「神戸連続児童殺傷事件」当時14歳の犯人・酒鬼薔薇聖斗は更生したと言えるのか? 少年事件の取材を続ける記者が感じた“モヤモヤ”

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか 不確かな境界』(川名壮志 著)新潮新書
「少年法の理念は加害者の少年を更生させること。でも、更生の法律的な定義はないんです」
【写真】この記事の写真を見る(2枚)
『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか』を上梓した川名壮志さんが新聞記者として初めて少年事件を取材したのは2004年のこと。初任地だった長崎県佐世保支局で小6女児同級生殺害事件に遭遇、被害者となった少女の父親は、直属の上司である同支局長だった。
「当時は、被害者の少女やその家族と一緒に食事をするような仲でした。一方で、記者としてあの事件を取材することは、加害者側にもしっかり迫るということでもあった。あれから20年以上少年事件の取材を続けていますが、その中で『更生』の意味を考えるようになったんです。『こうせい』と聞くと、犯した罪を悔い改める更正をイメージしますが、そうではなく更生。つまり、育て直して、新たな人生を生きられるようにする、ということなんです。でも、その考え方に同調できるかというと、どうしても躊躇がありました」
たとえば、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件。酒鬼薔薇聖斗を名乗った犯人は当時14歳で、事件の残忍さとあわせて世間を震撼させた。いまは一般社会で生活しているであろう彼は、果たして更生したのか。再犯をしなければ更生したと言えるなら、なぜ釈然としない思いが残ってしまうのか。
「それで気づいたのが、そもそも少年事件を起こした『少年』の捉えられ方が、時代によって変化しているということでした」
戦後に少年法が施行され、20歳未満の加害者の実名を報じることは禁じられたが、実際には報道の自由が優先されていた。1960年、日本社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺した17歳の山口二矢(おとや)は、早熟な右翼少年として実名だけでなく顔写真も報道された。68年に19歳で連続ピストル射殺事件を起こした永山則夫は、手記『無知の涙』を出版、少年事件が注目されるきっかけとなった。70年代以降は少年事件の匿名報道が定着、校内暴力や家庭内暴力、「いじめ」問題がクローズアップされるように。
そして、神戸連続児童殺傷事件以降にトレンド化したのが、精神鑑定だ。

「本来は刑事責任能力を調べるために行うのが精神鑑定ですが、少年事件の場合は、事件の動機や背景を調べるために行われるようになりました。個人にどんな特性があったか光を当てるのは意味があると思います。ただ、取材をしていると、家庭環境や教育の歪みで犯罪に追い込まれることが多いのに、その点があまり考慮されず、一足飛びに個人の問題にされているように感じるんです。そうなると、少年犯罪は社会が共有する問題ではなくなってしまう。実際に2010年代以降、少年事件の報道は減っています。報道ってやっぱり世論を反映するんです」
さらに川名さんが指摘するのが、民法改正で成年年齢が引き下げられたのをはじめ、法律によって「少年」の扱いが違うこと。特に18、19歳の位置づけは法律によってちぐはぐだ。
「時代という縦軸で見ても社会が『少年』に向ける視線は変化しているし、法律という横軸で見ても、その捉え方はバラバラ。『少年』という存在が不確かだという現実を、本書で伝えたかったんです。じゃあ、その少年の更生をどう考えればよいのか。答えは簡単に出るものではなく、僕自身もモヤモヤしたままです。ただ、どんな事件も、当事者とは別に、社会全体が負うべき責任がある。そこから逃げずに考え続けることこそ必要だと思っています」
かわなそうじ/1975年長野県生まれ。2001年毎日新聞社入社。04年、佐世保小六女児同級生殺害事件に遭遇する。後年事件の取材を重ね『謝るなら、いつでもおいで』『僕とぼく』を記す。他の著書に『密着最高裁のしごと』等。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年7月31日号)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。