「“子ども用おむつ”が履けるほどガリガリに…」7人を殺害《北九州監禁殺人事件》犯人カップルの『おぞましい拷問手口』

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罪のない7名が残酷な手口によって殺害された「北九州監禁殺人事件」。裁判所から「善悪のたがが外れた首謀者」と位置づけられた主犯・松永太、「愚直な実行者」と位置づけられた共犯者・緒方純子の世にもおぞましい犯罪手口とは……。狂気に走った31組のカップルの血の記録『世界の殺人カップル』(鉄人社)のダイジェスト版・後編よりお届けする。
【衝撃画像】「“子ども用おむつ”が履けるほどガリガリに…」拷問の末に殺された『7人の男女』
共犯者の緒方純子(写真提供:小野一光)
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松永太死刑囚による凄惨な支配と虐待の末に、緒方一家6人が命を落とした北九州連続監禁殺人事件。一家の全滅と共犯者による自白によって明らかになった監禁生活の実態は、想像を絶する恐怖に満ちていた。
松永の支配は徹底していた。真冬でも半袖の服を着用させ、部屋を移動する際には匍匐前進を強要。小便はペットボトルや浴室で行わせ、大便は1日1回と制限し、食事の際には蹲踞の姿勢を崩さないことを命じた。
これに逆らえば、家族間での通電の虐待が待っていた。まさに松永の奴隷そのものだった家族たちは、やがて互いの命を奪い合う地獄へと突き落とされていく。
1997年に始まった共同生活の中で、松永は被害者らに序列を与え、序列が下の者は上の者に通電などの罰が施されるよう定めた。そのため、全員が上の地位を得ようと死にもの狂いとなり、互いを批判した者への密告も頻繁に行われるようになった。さらに松永は室内に盗聴器を設置したことをほのめかし、家族の間に疑心暗鬼を生み出していった。
そんな地獄のような暮らしが半年ほど経過した1997年12月、緒方の父親が通電を受けている最中に死亡する。それを皮切りに殺人の歯車は加速していく。翌1998年1月には、松永が母親に通電を続けたところ、精神に変調をきたして奇声を上げるようになった母親を、松永の指示で妹が足を押さえつけ、妹の夫が電気コードで首を絞めて殺害した。
続けて2月には妹の様子がおかしくなり、彼女の娘が足を押さえ、夫が電気コードで首を絞めて殺害。4月になると妹の夫が食事制限のうえ、通電を繰り返されて衰弱。松永は「眠気覚まし剤とビールを飲ませ死に至らしめた」という。
松永は、「大人になったら復讐されるかもしれない」という恐怖から、妹の息子の殺害も指示。緒方と妹の娘が電気コードで絞殺し、Bさんの娘であるA子さんが足を押さえていた。その後は妹の娘への虐待が加速し、彼女が2歳児用おむつが履けるほどやせ細ると、松永は「家族のところに行こう」と説得。6月、彼女は自ら弟が殺害された場所に横たわり目を閉じ、その首を緒方とA子さんが電気コードで締めて殺害した。こうして緒方一家の6人が完全にこの世から消えてしまった。
この悪夢が終わりを告げたのは、2002年3月のことだった。監禁されていた被害者で唯一の生存者であるA子さんが隙を見て脱出し、祖父母宅へ逃げ込み、警察に通報。翌日、松永と緒方は逮捕された。
警察の調査によって事件の全容が明らかになり、2005年9月28日の判決公判で裁判長は「生き地獄のように過酷で、松永は支配しただけでなく、家族を疑心暗鬼、相互不信に陥らせ、孤立させた」と述べ、松永が事件の首謀者、緒方は「松永の意図をいち早く察知し、積極的かつ主体的に動いた」と認定し、2人に死刑を宣告した。
しかし、2007年9月26日の控訴審判決で、福岡高裁は緒方が松永の暴力によりDV被害者特有の心理状態に陥っていた可能性があるとして、無期懲役に減刑。松永の死刑は一審判決が支持され、2011年12月12日の最高裁で両被告の刑が確定した。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
(「文春オンライン」編集部/Webオリジナル(外部転載))

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