恋愛すら御法度なアイドル界において、高校生のときに結婚し、今では孫がいることを公言している44歳のアイドルがいる。彼女の名はフジコちゃん。厳格な親のもとに育ち、放課後に友人とマクドナルドへ行くという、ありがちな経験さえ大事件になったという。その壮絶な半生と、アイドル活動に懸ける思いに迫った。
【画像】後藤真希にそっくりだった出産後のフジコちゃん
フジコちゃんは1981年1月13日生まれ。広島を拠点にするご当地アイドルグループ・悪女時代の最年少メンバーとして、3年前から活動している。
グループは「夢を語るのに年齢制限はない!」「何歳だって輝ける!」などがテーマで、2021年にはつんく♂が楽曲提供したアラフォーアイドルユニットにも参加。14人組で、うち2人には孫がおり、フジコちゃんは“孫がいるメンバー第1号”だったそうだ。
──加入のきっかけを教えてください。
フジコちゃん(以下、同) 娘が27歳、息子が26歳なんですが、ずっとダンスを習っていて、私もダンスがしたいと思っていたんです。そんなとき、たまたま素人時代の私が悪女時代とステージでコラボするイベントがあったんですが、メンバーがみんなすごくキラキラしてるなと憧れて。
そしたら、1期生で総取締役の大倉様から声をかけてもらい、テストに合格してメンバーになりました。その直後くらいに娘が出産して孫ちゃんができて、今年で3歳になります。
──それまでアイドルにご興味は?
全然なかったですね。小2で広島に来たんですが、家が厳しいのでいろいろ制限されていて、流行りの音楽も聴いていなくて。
テレビも、父の見ている『日曜討論』とかを一緒に見たりしていました。でもSMAPは好きでしたね! あれくらい有名な方だと、さすがに私でも知っていました。
今、グループではきゅんきゅん担当(※註、かわいい系でアイドルらしいポジション)なんですが、そこもまだ手探りだったりします。
──厳しいというと、どんなご家庭だったんですか?
すごく真面目で厳しい両親に育てられ、自由がない状態ではありました。帰りは寄り道禁止で、習いごともピアノとか水泳を月~金まで全部やって、土日は友達と遊んではいけないルールもありました。
──かなり早い段階で結婚・出産されていますが、どのようないきさつだったのでしょう?
高校のころ、どうしてもマックのポテトが食べたくて、友達に誘われたのもあって放課後に食べて帰ったんですよ。そしたら、怒られて、おじいちゃん・おばあちゃんの家がある岡山県の学校に転校することになったんです。
岡山に行ったら、なぜか今度は広島での生活より行動範囲が広がった。コンビニに行ったら、ヤンキーと出会って、その人が旦那になるというなりゆきですね(笑)。
──ウソみたいな本当のことが突然起こるんですね。マックに誘われた友人とはどんなご関係で?
中学時代の友達です。私、当時から人見知りすぎて全然友達がいなくて、高校も馴染めなかったんですよ。その娘は数少ない友達で、学校は別だったんですが帰りの電車が一緒になるので、そこからマックに行ってしまいました。
──運命を変えた友人と言っていい気がしますが、今も付き合いはあるんでしょうか。
転校してからは会ってないんですよね。軽い気持ちで行ったマックが、そんな大ごとになったのも知らないと思います(笑)。ちょっと会ってみたいなって思いはありますね。
──高校生活はその後どうなりましたか?
高2で妊娠・結婚したので、もう中退しかないという感じで辞めました。でも、19歳で離婚しちゃったので、そこからは2年ぐらい親元にいて、その後も働きながら2人の子どもを育てました。
──お仕事はどんなことを?
子どもがやんちゃで小学生のうちは呼び出しも多く、すぐに迎えに行けるような環境でないといけないので、最初はバイトでした。
書店、パチンコ、ラーメン店なんかを経験して、中学に上がって子育てがひと段落してからは正社員に。大手通信会社の受付とかもやりました。今もアイドルとOLを両立しているんですが、アイドルをやっていることは職場には言ってません……(苦笑)。
──とても厳格な教育を受けられましたが、ご自身の教育方針は?
もう真逆です(笑)。思いを尊重しながら自由に、その子の個性を活かして、「今日も1日楽しかった」って思えるような日を送ってくれたらいいなと思っていました。
──お子さんやご両親は、急にアイドルになってどんな反応でしたか?
子どもは「そうなんだ」くらいですね。もう成人して何年か経ってたし、けっこう冷静でした。でもライブは観に来たことがないですね。孫ちゃんはこの前、2歳下の妹と来てくれたんですけど。
親は、もうあきらめてる感じもあるんじゃないですかね(笑)。でも、この前はライブに来てくれました。
──アイドル活動でいうと、グループがつんく♂さんの楽曲に参加していますが、つんく♂さんがアイドル界の名プロデューサーだということはご存知でしたか?
音楽を聴いてなくてもシャ乱Qは知っていたので、つんく♂さんがすごい人という認識はありました。でも、提供楽曲はアラフォーアイドルプロジェクトという企画でしたし、私は加入前なのでお会いできていません。
あと私、モーニング娘。に後藤真希さんが入ったとき、「ゴマキに似てる」ってめっちゃ言われたんですよ!「あんたテレビに出てない?」って言われたらゴマキだったみたいな(笑)。こういうお話もしてみたいですし、早くお会いしたいなと思います。
──そんなことが(笑)。最初は馴染みのなかったアイドル界ですが、今はどうお感じでしょうか。
ずっと続けていきたいですね! グループがいま結成13年で、1期生は13年やってるわけなので、それを超えていきたいなと。自分が歌い終わってターンした瞬間に倒れるみたいな、そんなアイドル人生の最期を遂げたいです(笑)。
──44歳で現役アイドルですが、“女性は若いほうが魅力的”と心無いことを言う人もいますし、アイドル界はとくにその風潮が強いと思います。こうした業界で「ここは若い娘より魅力的」というアピールポイントはどこでしょう?
人生経験がやっぱり違いますね。ファンの方は40~50代が多いけど、みんな可愛くて大切な存在で、全てを包み込めます。
あと、歳を重ねた魅力っていうのは、若い娘には出せないと思います。ライブで1日2ステージとかあったらすごくぐったりなんですけど、その歳でしか出せないものもあるんです!
──次の誕生日で45歳と40代後半に入りますが、ここから50代に向けてどんな人間になっていきたいですか?
私、無知なことでけっこう苦労しているので、ちょっとだけ知恵をつけて、少し賢くかわいいおばちゃんになりたいなと思います(笑)。あとは、写真集なんかはいまのうちに撮っておきたいですね。
──最後に、今後の目標を教えてください。
それはもう『紅白』です! メンバーみんなで出たいです!
取材・文/久保慎