仕事に家事、育児と忙しい日常を過ごす30~60代の働きざかり世代。そんな中、突然親の介護に生活ペースを乱されて苦悶する人は少なくない。
【写真】この記事の写真を見る(2枚)
「するべき」ではなく「しなくていい」をベースにした介護の方法論があってもいいのではないか? 介護の現場を数多く取材してきたノンフィクションライター・旦木瑞穂さんはそう提案する。
ここでは、旦木さんの『しなくてもいい介護』(朝日新書)より一部を抜粋。遠方に住む両親の介護に直面して大きな不安を抱えることになった澤田ゆう子さんの事例を紹介する。(全3回の1回目/続きを読む)
westイメージマート
◆◆◆
現在都内在住の澤田ゆう子さん(50代・既婚)の父親は、国家公務員だった。父親は関東郊外の代々続く旧い家の生まれで、26歳の時に親が決めた23歳の女性と結婚し、娘が生まれた。しかしその3年後、父親は30歳の時に当時22歳で新聞社に勤める澤田さんの母親に出会い、強く惹かれ合った2人は駆け落ちしてしまう。このことで父親は国家公務員の職を失ったばかりか、元妻に慰謝料を払うために、代々守ってきた田畑を売らなくてはならなくなり、跡取りであることを放棄させられた。
雇人が何人もいる商売屋の4女だった母親も、“略奪婚をした娘”という汚名を家にきせた罪を償うために、相続放棄を余儀なくされる。
その5年後、父親35歳、母親27歳の時に澤田さんが誕生。職を失った父親は、金融系の仕事に転職。財産も家という後ろ盾も失った両親は、懸命に働き、節約に勤しみ、貯金に明け暮れた。
やがて、定年と再雇用などを経て70歳で完全にリタイアした父親は、趣味のゴルフを楽しんだり、お囃子保存会に参加したり、神社の氏子をしたり、自治会役員を勤めるなど、忙しく過ごしていた。
澤田さんは大学卒業後、金融系の会社に就職し、34歳の時に8歳年上の専門商社に勤める男性と結婚し、都内で暮らしていた。澤田さんの新居は、実家からは公共交通機関でも車でも2時間ほどかかる距離だった。
澤田さんは、両親が働いている頃は、ゴールデンウィークや年末年始休みくらいしか実家に顔を出さなかったが、母親は60歳前に、父親は70歳で完全に現役を退いてからは、両親それぞれに携帯電話を持たせ、毎日朝晩、電話をするようにしていた。
2012年4月後半。83歳になった父親から、「数日前に顔面に小さな傷ができた」と電話を受けた。澤田さんは、「小さな傷」と聞いていたため、さほど心配はしていなかった。
ところがその1週間後のゴールデンウィーク。澤田さん夫婦が実家に帰省すると、父親の顔面は大きく腫れ上がっていた。父親は「痛い! 痛い!」と絶叫し、号泣しながら痛みに悶える。一方75歳の母親は、そんな父親におののき、「どうしよう、どうしよう」とオロオロしながらおいおい泣くばかり。
澤田さん夫婦は、急いで父親を救急外来へ連れて行くと、医師は「帯状疱疹」と診断。痛み止めのブロック注射をしてもらったものの、完全には痛みはおさまらない。父親はなおも痛みを訴え、呻き続ける。
「入院できませんか?」と澤田さんは頼んでみたが、「帯状疱疹で入院はできない」と断られてしまう。
父親が心配だった澤田さんは、そのまま実家に滞在することにした。
「痛みに涙する父は可哀そうでなりませんでしたが、何もできないくせに隣でオロオロするだけで、『お父さんがおかしくなってしまった! どうしよう! どうしよう!』と訴え続ける母に対しては、何度ぶん殴りたいと思ったかしれません。今にして思えば、あの頃から認知症になり始めていたのでしょう。当時の母に父の世話は無理でした。もしもあの頃に戻れたなら、介護休暇をとるなり、同居するなりして、もっと早くから父のケアに専念する方法を選んだと思います」
澤田さんは、夜は父親の隣で眠った。父親の帯状疱疹の痛みは、昼夜問わず襲ってくる。強い薬で痛みを抑えると、今度は幻覚を見るようになった。父親は痛みや幻覚で度々絶叫する。その様子に怯え、「医者に毒を盛られた!」と大騒ぎする母親に、澤田さんは内心、「この人こそ入院させたい」と思った。父親が絶叫すると、母親も怯えて泣きわめき、澤田さんは母親を黙らせようと、つい声を荒げてしまう。澤田さんは3日で疲れ果て、先に都内の自宅に戻っていた夫に、「お願い実家に戻って来て!」と泣きついた。
連休明け。父親の帯状疱疹の腫れはひいたが、再び痛みが出れば叫び声を上げる父親をこのままにはしておけない。だが、いつまでも仕事を休めない。
澤田さんは、家族介護を経験している父親の旧友に相談した。すると、「介護サービスや介護施設を利用しては?」と勧められ、目から鱗状態に。「要介護認定を受けていなくても介護施設を利用できる」と知り、驚いたのだ。
「80歳を超える父がいるにもかかわらず、その時まで私は、自分の両親にとって介護なんて無縁のことだと思い込んでいました。世間知らずでした……」
当時は実家から徒歩15分の場所に、ショートステイができる施設がオープンしたばかり。澤田さんはその施設に飛び込み、受付で利用システムを訊ねた後、父親の旧友からベテランケアマネジャーを紹介してもらう。ショートステイとは、基本的には要介護認定を受けている人が、介護施設に短期間入所し、日常生活の世話や介護サービスを受けること。ケアマネジャーは、介護を必要とする人が適切なサービスを利用できるように支援する専門職。介護保険における正式名称を「介護支援専門員」という。
介護サービスを利用する流れとしては、要介護認定を受けてからサービスの利用を始めるのが一般的だが、急を要する場合は、申請した日に遡って保険料の給付を受けるということも可能。仕事に戻るために、一刻も早く父親を入所させたかった澤田さんは、まずは申請だけしておき、入所が決まってから要介護認定を受けることにした。
要介護認定とは、介護保険を利用するための権利を獲得する手続きだ。被介護者の介護を必要とする度合いによって、要支援1~2、要介護1~5の7段階に認定される。(詳しくはP82表2-2)
ケアマネジャーのアドバイスで、母親も一緒に要介護認定を受けると、約1ヶ月後に出た結果は、父親要介護3、母親要介護1。
介護施設への入居を嫌がるであろう父親には、通院先の主治医から「病院のベッドに空きがないので、新設の療養施設に入りましょう」と説明してもらい、施設の車で迎えに来てもらった。その日は、救急外来を受診した日から、まだ1週間しか経っていなかった。
「自宅から目と鼻の先にあるとはいえ、突然見知らぬ施設に連れてこられ、父は目を丸くしていました。私は、『ここは病院関連の療養施設で、病院のベッドが空くまでの待機場所なのよ』と、嘘の説明をしました」
その施設長が親戚の親しい友人だったこと、スタッフたちが親身になってサポートしてくれたこと、そして地域の自治会役員などを引き受け、長老的な立場だった父親がその施設の利用者となることを、施設経営者が歓迎してくれたことが功を奏し、父親は快適に療養をスタート。
15分ほどの距離だったため、この頃は母親1人で自転車に乗り、面会に行くことができた。澤田さんは父親が入所している間、1人になる母親のため、頻繁に母親の様子を見に実家に通った。
父親の帯状疱疹は1ヶ月ほどで軽快。その後は自宅から施設に通い、日帰りで食事や入浴、機能訓練などを受けられるデイサービス(通所介護)を利用した。
「あの思い出したくないほど絶望的だった1週間で、我ながらよく全てを決行できたと思います。こんな時、口だけ出してお金を出さない兄弟姉妹がいなくて、一人っ子で良かったと心底思いました」
だが、痛みが薄らいだ父親は、その施設が病院でないことを認識したのか、通所を続けることを嫌がるようになってしまう。
7月。澤田さんは、数年前から夏になると必ず体調不良に陥り、入院して栄養剤を点滴していた父親が心配だった。「帯状疱疹が治ったばかりで、体力が落ちている時に何かあってはいけない」「介護保険で体力回復のサポートができないか」と考え、ケアマネジャーに相談することにした。
父親が通所を嫌がるようになったことと併せて相談すると、ケアマネジャーはホームヘルパーの利用を勧めた。ホームヘルパー(訪問介護員)は、被介護者の自宅を訪問し、食事、排せつ、入浴、家事などの身体介護や生活援助を行い、利用者の生活や、心身の自立を支援し、重度化を防止する在宅介護の専門職だ。
しかし澤田さんは、実家の中に、プロであってもよく知らない他人を入れることにためらいがあり、両親が受け入れられるだろうかという不安も大きかった。
初対面の日、澤田さんが夫とともに実家へ行くと、訪れたヘルパーは男性だった。澤田さん夫婦は一抹の不安を覚えたが、それはすぐに消し飛んでいた。彼はたちまち父親の心と胃袋を鷲みにし、母親の信頼を得たのだ。
「彼が来てくれるようになってから、父の血色がみるみる良くなりました。彼は調理師の免許を持ち、数々のレストランに勤務した経験のある、市内で最も長いヘルパー歴を持つスーパーヘルパーでした。誠実に仕事をしてきた彼は、役所からの信頼も厚く、豊富な人脈や介護知識があり、私たちは何度も救われました。最初はためらいましたが、家に介護ヘルパーを入れることを早期に決断できて、本当に良かったと思います」
彼は、「僕が行くと、利用者さんは体重が増えちゃうんですよ~」と言って、用意された食材で手際良く美味しい料理を作ってくれた。
入浴が大好きな父親は、彼の車が到着した音がすると、いそいそと服を脱ぎ始めた。彼は玄関を上がってくるなり脱衣所へ向かい、ズボンを脱ぎ、父親の背中を流してくれる。
父親の入浴が終わると、「はーい、おかあさ~ん、お父さんの身体拭いて~」と、母親に声がかかる。母親が父親の体を拭いていると、彼はそっと澤田さんに耳打ちする。「お父さんのパンツが汚れていたから、お風呂でサッと洗っておきました。後で洗濯機を回してください」。そして台所へ行くと、「あ、栗がある! 今日は栗ご飯にしましょう!」と言って栗をき始める。
「入浴介助に汚れた下着の下洗いに栗ご飯……。どれも私にはできないことです。彼に感心し、のめり込んでいく両親や私を見て、ケアマネジャーさんが、ヘルパー主導の介護に疑問を呈し始めましたが、私はケアマネさんのほうを変えました。ケアプラン(介護サービス計画書)を作るケアマネさんよりも、実際に介護をしてくれるヘルパーさんの意見と知識のほうが、私には重要だったのです」
一方同じ頃、日頃の言動に不安を感じた澤田さんが母親を病院に連れ出し、脳の検査を受けさせたところ、「アルツハイマー型認知症」と診断される。機能回復のため、週1回のデイサービスを利用することになった。
◆◆◆
この続きは、『しなくてもいい介護』(朝日新書)に収録されています。
〈レシート下の広告を見て「浮気してきたんや!」とレジの女性を疑い始め…夫(73)と40代の娘を苦しめた認知症の妻(76)の“嫉妬妄想”〉へ続く
(旦木 瑞穂)