〈「たたくことがこの子のためになる」「正しいことをしている」我が子の口を塞ぎ、むちを打つ…“エホバの証人”の“宗教一世母”に育てられた息子が語った“意外な言葉”〉から続く
安倍元首相銃撃事件を機に社会で注目されるようになった「宗教二世」問題。今だからこそ語れた当事者によるリアルな言葉とは……。
【画像】どこか不気味…オウム真理教の子どもたちが描いた絵を見る
ここでは、毎日新聞取材班が宗教二世問題に関わる人々の苦悩、国や自治体の対応にまで迫った『ルポ 宗教と子ども』(明石書店)の一部を抜粋。二世信者としてオウム真理教に入信していた女性がかつてを振り返る。(全3回の2回目/続きを読む)
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〈事件を機に声をあげなければと決意しました〉。咲(仮名)は安倍元首相の銃撃事件から約1カ月後、宗教二世としてツイッターにアカウントを開設し、自らの体験をつづっていた。
オウム真理教の施設で修行に明け暮れた日々。脱会後も、周囲から冷たい視線を浴びて社会における居場所を失うつらさ。野口は生々しい記述に強く引き込まれた。
咲はツイッターのDMを開放していなかったが、関係者を通じてメールで連絡を取ると、「取材を前向きに考えています」と返信してくれた。咲が最も警戒していたのは、職場など自身の周囲にオウム真理教にいたことが分かってしまうことだった。同居する家族が心配するため、自宅では電話取材にも応じられない。テキストメッセージで慎重に連絡を取りながら取材日時を決めた。周囲に話が漏れることがないように、毎日新聞社内で話を聞くことにした。
待ち合わせ場所に現れた咲は、化粧やアクセサリーにこだわっている様子が一目で分かるおしゃれな女性だ。よくしゃべり、笑い、影を感じさせない。同世代の野口は「友達にいそうなタイプだ」と思った。ところが、取材に入ると「緊張する……」と口にし、表情は一転して硬くなった。咲は「伝えたいことや出来事をまとめてきました」とバッグからメモを取り出し、遠い日の記憶をたどり始めた。
〈 咲(40代)はオウム真理教の元二世信者だ。小学生の頃、母に連れられて関東の道場に通った。「ほら、私もできるよ」。ヨガをほめてもらうのがうれしかった。習い事感覚で始めたが、その先に悲劇が待ち受けているとは思いもしなかった。〉
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富士山のふもとは、極限まで冷え込んでいた。大人の信者に交じり、冬の夜道をひたすら歩く。心は悲鳴を上げていた。「帰りたい、帰りたい……」。水ぼうそうを患った体は熱を帯び、足元がふらつく。遠くに見える民家の明かりがうらめしい。「なんで私はこんなことをしているんだろう」。気に留めてくれる人は誰もいなかった。
母が帰依したのは、夫婦関係の不和が原因だ。父の浮気で心のバランスを崩した。「前世のカルマ(業)のせい。あなたが悪いわけではない」。他の信者から説かれて心が楽になった。持病のアレルギーも呼吸法で改善したように感じ、信仰にのめり込んだ。
咲も平日は夜、週末はほぼ一日中、修行に励んだ。足をれんげ座に組み、教祖のマントラ(呪文)が録音されたカセットテープを繰り返し聞いて復唱した。中学に入ると、修行は激しさを増した。静岡県富士宮市の教団施設。10日間の集中修行では暗く寒い夜道を歩かされ、側溝に落ちそうになった。
同じ姿勢で夜通しの読経。居眠りすると指導役が床をたたいて起こした。水ぼうそうの発疹が赤くつぶれても、大人たちは「浄化が起きているね」と言うだけだった。「死の世界」を体験するという修行もあった。今では薬物が使われたとわかるが、教祖から渡された紙コップ入りの液体を飲み、強烈な幻覚にさいなまれた。
宿題をする余裕もなく、成績はみるみる落ちた。授業中は先生に当てられないか不安で、学校に行くだけでじんましんが出た。家と学校とオウム。その日常の中で、咲はハルマゲドン(人類最終戦争)が来て世界は滅ぼされるという終末思想に染まった。高校に上がると、身一つで母と出家した。
1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きた。咲は情報を遮断された教団施設内で生活していたから、そのことを知らなかった。施設が強制捜査を受けた際、咲の所持品も調べられた。
写真はイメージ AFLO
「正しいことをしているからたたかれる」。大人たちの主張を信じ、警察に聞かれても偽名を名乗った。高校生だったが「20歳です」と言い張った。
同年5月、松本元死刑囚が首謀者として逮捕され、教団は壊滅状態になった。咲は親戚の家に身を寄せ、オウムから脱会した。しかし、その後が「地獄」だった。
「命がけで、人生を全部かけて取り組んでいたものが悪だと言われた」。言いようのない喪失感と絶望にさいなまれた。親族にも「一族の恥。オウムに所属していただけで加害者だ」と邪険にされた。
別の高校に転入したが、勉強についていけない。教団をバカにする同級生の軽口には耳を塞いで耐えた。そんな中、おそろいのコートを着るほどの親友ができた。この人ならわかってくれるはずだと打ち明けた。「実は私、オウムにいたことがあって……」。すると、友達の母親が乗り出してきた。「もう付き合わないで」。何度も手紙を送ったが、返事は来なかった。
咲は声が出なくなった。声を出そうとすると涙が止まらなくなった。
高校を退学し、家に引きこもった。テレビでは事件が繰り返し取り上げられ、咲はそれを正視できなかった。母は仕事のため不在がちで、話す相手もいなかった。帰宅した母にしがみつき、怒鳴りちらした。「なんでこんなことになったんだ!」
自分の居場所がないことに耐えられなかった。「オウムに連れていって」と信者に頼み、再び教団に戻った。そこには必ず誰かがいて、声をかけてくれた。「話をしてくれる。ただ、それだけで良かった」と咲は振り返る。2年ほど通ったが、過去と決別しようと覚悟を決め、再び脱会した。それ以来、教団とは関係を断ち切っている。
後悔し続けていることがある。仲良しだった同年代の二世信者の男性。咲は「人生を取り戻そう」とアルバイトをしながら通信制の短大で学んでいたが、男性は社会復帰できずに弱音を吐いていた。「何言っているの。頑張りなさいよ」。咲がそう言った数日後、男性は自ら命を絶った。
「教団に連れ去られる夢を見たんだ」。男性は追い詰められながら、最後まで咲に電話で話をしてくれた。「苦しみの深さに気付いてあげられなかった」。自分を責めても、彼の声はもう聞けない。
咲が一時期教団に戻ったことや、男性の死を思い起こす時、旧統一教会の信者を思わずにはいられない。「いろんな悩みや、親の影響で教団に入り、出るに出られない人もいる。生身の人間であることをわかってほしい」と思いをはせる。
咲はオウムにいたことをひた隠しにしてきた。人付き合いを減らし、職場でも表面的な会話しかしない。そうすれば生き抜けると思っていた。しかし、安倍元首相の銃撃事件で山上被告が逮捕され、その背景に教団への恨みがあったことが報じられるようになると、感情にふたができなくなった。「彼は私だったんじゃないか」。SNSに宗教二世としての思いをつづるようになった。
「私たちは透明な子どもだった」と咲は言う。脱会後、大人の元信者に苦しい境遇を訴えても「だから?」と相手にされなかった。自分で信仰を選んだ大人と、判断がつかぬまま教義を植え付けられた子ども。失った時間の重さは同じではない。「助けを求めても、大人は見てくれなかった。生きながらにして透明な存在にされていた」
かつての咲がそうだったように、今も多くの宗教二世が声を上げられないままだと思う。「亡くなった人、心を病み社会に出られなくなった人、まだ社会を知らない子どもたち。大人が異変に気付き、何度も声をかけてほしい」
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咲は「話し忘れたことはないかな」と手持ちのメモを確認していた。そして、取材が終わると「あぁ」と大きく息を吐き、「がちがちに固まっています」と自分の手を見つめた。相当緊張していたのだろう。自分では選びようがなかった環境によって、信者だった時も、脱会後も、周囲にSOSを気付いてもらえなかった咲。その声を社会に届けることへの使命感や、親の信仰で苦しむ子どもたちを何とかしたいという気迫が、野口にひしひしと伝わってきた。
咲はオウムにいた頃の経験が、今でも時折フラッシュバックすることがある。富士山のふもとで修行していたのが年末年始だったため、今でもその時期に夜道を歩くと「帰りたい、帰りたい」という子どもの頃の叫びがよみがえり、涙があふれてくる。そんな時はコンビニエンスストアに駆け込み、飲み物や雑誌を買って心を落ち着けるという。
咲と別れた後も、野口は「私たちは透明な子どもだった」という言葉が脳裏から離れなかった。それは、子ども自身が声を上げようとしても、周りに透明な膜のようなものがあって誰にも届かない、誰にも気付かれない無力感ではなかっただろうか。そして、それは多くの宗教二世に共通する苦しみではないだろうか。
〈《画像あり》「親の名前や顔を忘れた」「おうむにかいせ」7歳なのに3歳並みの体の子も? 児相が保護したオウム二世信者…元職員が明かす子どもたちの描く“奇妙な絵”〉へ続く
(毎日新聞取材班/Webオリジナル(外部転載))