「いったいどうなっているのか…」上空から降ってきた道路がそのまま突き刺さっている“異様な光景”…四国の国道から見えたナゾの建造物の正体とは?

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旅行で四国を訪れ、室戸岬に向かって国道55号を車で走っていた時のこと。ふと海のほうに視線を向けると、異様すぎる光景が目に飛び込んできた。アスファルトで舗装された道路が、地面から垂直に立っていたのだ。上空から降ってきた道路が、そのまま突き刺さっているようにしか見えなかった。
【画像】 上空から降ってきた道路がそのまま突き刺さっている“異様な光景”… “ナゾの建造物”の正体に迫った様子を写真で一気に見る
国道から見えた異様な光景
思わず車を停めて、じっくり観察してみる。突き刺さった道路があるのは、今いる国道55号から100メートルほど離れた海の近くだ。国道がやや高い場所を走っているため、見下ろす形になる。見間違いかとも思ったが、何度見ても間違いではなかった。
せり立った道路にはセンターラインがあり、どう見ても地面に突き刺さった道路にしか見えない。

これはいったいどうなっているのか……。気になった私は、国道を離れて突き刺さった道路に近づいてみることにした。

徐々に接近すると、まずはその大きさに驚いた。突き刺さった道路は10階建てのマンションと同じぐらいの高さがあった。さらに近づくと、ついにその正体が明らかになった。
突き刺さった道路は、港に架かる橋だった。橋の下を船舶が通過する際に橋が動く“可動橋”の一種で、橋が跳ね上がる構造になっている。

ちょうど橋が跳ね上げられた状態のところを、国道から目撃したのだった。
この橋は手結港可動橋(正式には高知県手結港臨港道路可動橋)といい、高知県香南市夜須町の手結港に架かっている。2002年に高知国体が開催された際、公園のヤ・シィパークなどとともに、周辺へのアクセスの向上を図るため設置された。
橋は港の開口部に架けられているため、橋が邪魔になって船舶の出入りができなくなってしまう。そのため、決まった時間に橋が跳ね上がり、その間に船舶が運航できる可動橋として設置された。

可動橋にも旋回するものや橋が上昇するものなど様々な種類があるが、手結港可動橋は橋桁が跳ね上がる“跳開橋(ちょうかいきょう)”といわれるもの。跳開橋といえば、今は動かなくなってしまったが、東京都の隅田川に架かる勝鬨橋が有名で、かつては中央部がハの字型に跳ね上がっていた。
手結港可動橋は1本の橋がそのまま跳ね上がる“片側跳ね上げ式”の可動橋で、私はこれまで見たことがなかった。だからこそ、見慣れない異様な光景だったわけだ。

せっかくなので橋が動いているところを見たくなり、後の行程は気にしないことにして、手結港に居座ることにした。近くには案内看板もあり、日中はおおむね1時間おきに上げたり下げたりを繰り返している。

夜間はずっと上がった状態になるため、車や人が橋を通行することができない。橋を通行できるのは1日に6時間半に限られており、船舶優先の橋ということなのだろう。橋が動くまで待っている間に、周辺を散策してみることにした。
橋が架かる手結港を眺めていると、年季の入った美しい石積みが気になった。

近くの案内板には、1657年に竣工した堀湊(ほりみなと)で、石積みが往時を偲ばせる、と書かれている。今から360年以上前に竣工していたとは、想像をはるかに上回る歴史の深い石積みだった。

ちなみに堀湊とは、河口付近の地面を掘って海水を引き込み、人工的に造られる港のこと。

現在では掘り込み港と呼ばれ、外海の高い波の影響を受けにくいという利点がある。案内板には、夏の暴浪を防ぐことができる土佐藩屈指の良港であったとも記されていた。

さらに調べてみると、手結港は日本初の本格的な掘り込み港で、江戸時代初期のものとしては最大級の規模だという。橋にも驚いたが、手結港の歴史にも驚いた。
そして、その港が今も現役で使われ続けていることが嬉しかった。橋の外洋側にも、国体が行われた2002年に港が新たに整備された。港の機能をそちらに集約すれば、内側の港を使う必要がなくなる。そうすれば橋を可動橋にすることもなく、車や人が常時通行できるし、建設費も安く済むが、そうはしなかった。
文化財や産業遺産が保存されることも重要だが、実際に生活の一部として使われ続けていることに、とても大きな意義を感じる。固定された橋ではなく可動橋として建設されたことで、港も存続できたといえるのではないだろうか。
また、当然といえば当然の話だが、手結港の周辺には可動橋のほかにも道路があり、橋が跳ね上がっている間も数分程度で迂回できるため、橋がなくてもそれほど困ることはない。しかし、迂回路は道幅が狭い生活道路であるため、橋が下りている間は、可能な限り可動橋を通行したいものだ。
そうこうしている間に橋は既に下がっており、そして跳ね上がろうとしていた。

時刻になると、鉄道の踏切にあるものと同じ遮断機から“カンカン”と音を出し、遮断棒が下りてきた。道路が閉鎖されると遮断機の音がやみ、係員が周囲の安全を念入りに確認した後、橋が傾き始めた。

橋はゆっくりと角度を上げ、約6分間かけて70度になったところで止まった。

幅10メートル、長さ32メートルを超える橋が70度になるのだから、圧巻というほかない。

正面から見ても、横から見ても、どこから見ても不思議な光景だ。

橋が跳ね上がると同時に、港に入ってゆく漁船の姿があった。

長い歴史を刻んできた手結港が今も同じ用途で利用され、それに可動橋が一役買っている姿を目の当たりにして、私は一人で静かに感動していた。

高知県といえば足摺岬と室戸岬を有し、海のイメージが強い。しかし、実際には急峻な四国山地が背後に迫り、山が多い県でもある。昔から、遠方と行き来するためには陸路では難儀し、海路を用いることが多かった。四国と本州が橋で結ばれたのも、ここ40年ほどの話に過ぎない。江戸時代、土佐藩の参勤交代も、もっぱら海路が利用されていた。

また、高知県といえば台風が日本列島に接近した際の上陸地点になることが多く、台風銀座としても知られている。台風などの荒天時に退避できる港は、とても重要な社会基盤のひとつだった。手結港も、そのような背景から築港されたと考えられている。

360年以上にわたり人々の往来と安全を支え、海産物によって地域の生活を支え、森林資源を運び出して外貨をもたらしてくれた手結港。それとは一見、対照的にも見える近代的な手結港可動橋だが、江戸時代から続いてきた歴史を途絶えさせることなく、脈々と受け継ぐために一役買っている。

地面に突き刺さった道路が、今後も手結港を見守り続けてほしいと願っている。
撮影=鹿取茂雄
(鹿取 茂雄)

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