辛口の経済評論家として知られる岸博幸氏(62歳)が、自民党公認候補として今夏の参院選に出馬(比例区)する。
一橋大学卒業後の’86年に通産省(現・経済産業省)に入省。小泉政権で経済財政政策担当相、総務相を務めた竹中平蔵氏の秘書官として、構造改革の実務を担当した。
’06年に経産省を退官した後は慶應義塾大学大学院で教鞭をとるかたわら、情報番組やバラエティ番組にも出演。常に政治、特に自民党の経済政策を批判し続けてきた。その岸氏が、一体なぜ自民党から出馬するのか……本人を直撃した。
20年もの間、与党の政策を厳しく批判してきた僕がなぜ今回、自民党から選挙に出ることを決めたのか。「見損ないました」「自民党の手先になるんですか」……出馬会見を開いて以降、僕の耳にはたくさんの厳しい声が届いています。
こうした反応が起こるのも、当然のことだと受け止めています。だからこそ、しっかりと自分の口でその理由を説明したいと思いました。
出馬を決めた理由は主に2点あります。
ひとつはいまの僕が余命宣告を受けている身であること。そしてもうひとつは、まさにいま、日本の経済を復活させる好機が訪れており、残り少ない命をかけてその道筋をつけたいと思ったからです。
まずは病気のことからお話ししましょう。
2年前の’23年、多発性骨髄腫という血液のがんの一種に罹患していることが判明しました。これは免疫をつかさどる形質細胞が悪性化する病気で、男性の罹患率は10万人に6・9人という、珍しい疾患です。
幸いなことに末期のステージではなかったものの、完治が難しい病気でした。主治医からは「正しい治療を受け続ければ10年は大丈夫」との説明を受けましたが、もちろん10年は必ず大丈夫という保証もないですし、治療技術の進歩で15年以上に伸びる可能性もあります。だから、僕はその宣告を受けたとき「人生は残り10年」と覚悟を決めました。それが2年前のことですから、現在は「残り8年」ということになります。
実は、過去には何度か時の総理から選挙への出馬オファーを受けていましたが、すべて即断で断ってきました。大学での仕事、メディアでの仕事、そして自治体と組んでの地方活性化の仕事―それぞれが充実しており、それらをすべて投げ打って政治家を目指すという選択は、病気になる前の僕にとって現実的ではありませんでした。
しかしいまの僕には残り時間がありません。今回、自民党の幹部から「出馬しないか」と声をかけていただいたとき、即断での辞退をしない自分がいました。そのとき頭によぎったのは、ある盟友の晩年の姿でした。
岸氏が想起した「盟友」とは、今年1月に死去した経済アナリストの森永卓郎氏(享年67)のことである。
原発不明がんとの闘病生活を送っていた森永氏は、亡くなる直前まで著作の執筆とラジオ出演を続け「本当のことを言って死のう」という自らのポリシーを体現してみせた。
昨年、僕は森永さんと共著を出す機会があり、日本の未来についてお互いに本音の議論ができたと思っています。
こと経済政策とその評価に関して言えば、森永さんと僕は考え方が大きく異なっていました。「小泉・竹中路線」が日本をダメにしたというのが森永さんの持論ですが、その竹中さんの秘書官を務めていたのが僕ですから、意見が合わないのは当然のことです。
しかし僕と森永さんには、若かりし時代に霞が関で仕事をしたこと(注:森永氏は’80年代、専売公社から旧経済企画庁に出向していた)や、「がんとの闘い」という人生における共通項があり、それが立場や思想を超えた人間の絆となっていました。
余命数ヵ月という状況のなかでも徹夜をして同時に何冊もの本を書き上げ、命を削って訴えを続けた森永さんの姿を思い出すと、「人生残り8年はゆったり過ごそう」というラクな道は選べなかった。天国の森永さんに「岸さん、あなた本当にそれでいいわけ?」と見透かされる。それは絶対に嫌でした。
後編記事『【独自】余命8年の可能性もあるなかで……経済評論家・岸博幸氏が自民党からの出馬を決めた「意外な理由」』へ続く。
亡き森永卓郎さんとの対話、そして僕の経済政策に対する考えをまとめた書籍『ザイム真理教と霞が関の真実―余命8年の元官僚が命を賭ける日本再生の処方箋』が6月27日に発売されます。政治と官僚のあるべき姿、そして経済復活のシナリオに興味のある方はぜひ、ご一読いただければ幸いです。
「週刊現代」2025年07月07日号より
【つづきを読む】余命8年の可能性もあるなかで……経済評論家・岸博幸氏が自民党からの出馬を決めた「意外な理由」