「原因はワクチン?」愛犬の死を疑った男性の後悔

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日本の夏の暑さはペットにとっても過酷でしかありません(写真:220 Selfmade studio/PIXTA)
【グラフで見る】イヌの飼い主325名に「愛犬が熱中症にかかったことがある」か聞いた結果は?
飼っている動物が病気になったら、動物病院に連れていきますよね。動物病院には外科、内科、眼科など、さまざまな専門領域の獣医師がいますが、獣医病理医という獣医師がいることを知っていますか?
この記事では、獣医病理医の中村進一氏がこれまでさまざまな動物の病気や死と向き合ってきた中で、印象的だったエピソードをご紹介します。
病理解剖は、物言わぬ動物たちの遺体から「メッセージ」を読み取る行為です。病理解剖を行うことで、必ずしもすべてではありませんが、その動物が死に至るまでの経緯や、病気とどのように闘ってきたかを知ることができます。
これから本格的に始まる、日本の暑い夏。人間同様、ペットたちにとっても命にかかわる季節です。
毎年5月から10月にかけて、獣医病理医として働く僕のもとには、暑さが原因で亡くなったペットの遺体が数多く持ち込まれます。イヌ、ネコ、フェレット、カメ……種はさまざまですが、飼われている数の多さもあってイヌが圧倒的に多い印象です。
月に10件の動物の病理解剖があったとして、そのうち2~3件が高温による熱中症や脱水による死亡です。
イヌの飼い主325名に「愛犬が熱中症にかかったことがあるか聞いたところ、24.3%が「ある」と回答」。(出典:日本気象協会推進「熱中症ゼロへ」プロジェクト公式サイト 『飼い主に聞いた「愛犬の熱中症」に関する調査』より)」
夏の盛りである7~8月はもちろん、意外に思われるかもしれませんが、5月や10月といった初夏や初秋にも、まんべんなく病理解剖の依頼がきます。5月や10月は「そこまで暑くないから、特に注意をしなくても大丈夫だろう」という飼い主さんの油断が起きがちな時期なのだと思われます。
「動物病院で予防接種をした直後に死んでしまったんです。そのワクチンのせいじゃないかと思うんですが……」
ある夏の暑い日、50代と思われる男性がパグの遺体を抱えてやってこられました。3歳のオスのパグで、動物病院でワクチン接種をしたあと、その日のうちに亡くなってしまったのだといいます。
飼い主さんは、そのワクチンが愛犬の突然死の原因なのではないか、と疑っているようでした。
ワクチンを打ったイヌが、アナフィラキシーショックのような強い副反応を起こすことはあります。ただ、イヌのワクチンによる副反応の発生率は0.5%前後で非常に少なく、経験的にはワクチン以外が原因の死亡も少なくありません。
とはいえ、決めつけは禁物。いつものように予断を極力排し、慎重に病理解剖を進めました。
まず、遺体に触れてすぐに気づいたのは、その体温の高さでした。
通常、動物は亡くなると、1時間ごとに体温が0.5~1℃ずつ下がり、やがて周囲の環境と同じ温度になります。亡くなってから半日程度経っているにしては、明らかに体温が高いと感じました。
次に、外観を詳しく観察していくと、舌や口腔粘膜が真っ赤に充血していることに気づきました。
さらに、解剖して体内を見ていくと、血管が拡張して臓器や組織に静脈血が溜まっている状態、いわゆる「うっ血」も確認されました。これらは、熱中症で亡くなった動物に典型的な解剖所見です。
ちなみに、熱中症と合わせて起こりやすいのが脱水症状で、水分が失われてドロッとした血液や血栓が観察されます。また、皮下組織は水分が足りず乾いた状態になっていることもあります。この子の場合も、皮下組織の乾燥や血液の濃縮といった所見が観察されました。
改めて飼い主さんに、このパグが亡くなる前後の状況を詳しく尋ねてみます。すると「車で動物病院に連れていってワクチンを打ち、その後、外出ついでに公園で運動をさせた。はしゃいで、元気いっぱいに走り回っていた」とおっしゃいます。
ワクチン接種後の激しい運動で副反応が生じることもありますが、解剖所見と、この証言とを統合して判断すると、やはり死因はワクチンによるアナフィラキシーショックではなく、真夏の公園で激しく運動したことによる熱中症だった可能性が高いと考えられました。
パグは短頭種(たんとうしゅ)と呼ばれ、顔が平たく、鼻が短いといった特徴を持つ犬種です。短頭種には、ほかにフレンチブルドッグ、チワワ、シーズー、ボストンテリアなどがいて、いずれも見た目のかわいらしさからペットとして人気です。
しかし、実は短頭種は健康面でいくつかの弱点を抱えています。特に、鼻が小さく短いため呼吸器に負荷がかかりやすく、熱中症にもなりやすいのです。
イヌという生きものは、人間のように汗腺を持っておらず、汗をかいてその気化熱で体温を下げることができません(正確には、肉球には汗腺があり、足の裏には汗をかきます)。その代わり、イヌは口を開けて舌を出し「ハァハァ」と呼吸することによって(これをパンティングといいます)、熱を体外に放出し、体温を調節しています。
しかし、呼吸が制限されている短頭種は、パンティングが苦手。体の熱をうまく放出できませんから、ほかの犬種よりもずっと熱中症にかかりやすいのです。
ですから、短頭種を飼っておられる方は、気温が高い日の散歩や運動にはよくよく注意してほしいのです。ちょっと興奮して走り回っただけでも、短頭種のイヌたちは体温が急激に上昇して、体調を崩してしまうことがあります。
このパグも、小まめに水を飲ませたり、日陰で休ませたりしていれば、そもそもワクチンを打ったあとに公園で走り回ったりさせず、安静にさせていれば、命を落とさずにすんだでしょう。
病理診断の結果を説明しながら、僕はそのことを、酷だとは思いながらも飼い主さんにお伝えしました。
飼い主さんは肩を落とし、深く後悔しておられるようでした。朝には元気だった愛犬が、自身の無知とちょっとした不注意で命を落としてしまったのですから、無理からぬことです。
失われた命は戻りません。この飼い主さんが再び動物と暮らすことがあるなら、せめてこの悲しい経験を教訓として生かしてほしい――そう僕は願わずにはいられませんでした。
熱中症が疑われるとき、人間であれば、まず涼しい場所に避難させ、服をゆるめて首のまわり、脇の下、足の付け根などを水道水や氷嚢で冷却します。脱水症状を起こしている場合には、水分も補給させます。
高温によって体調を急激に崩したペットへの対処も、基本的には同じです。
ぐったりしている、よだれが増えている、呼吸が荒い、意識がもうろうとしているなどの様子が見られたら、まずは涼しい場所に避難させ、常温の水道水などをかけて体を冷やしてあげてください。
それでも症状が改善しないようなら、人間でいえば救急車を呼ぶような場面です。できるだけ早く、動物病院に連れていきましょう。
何より大切なのは、そもそも熱中症や脱水症状を起こさないようにすることです。
室内飼いのイヌの場合は、空調の利いた室温20~25℃、湿度40~60%の環境を整えましょう(エアコンの不意の故障には注意してください)。窓から直射日光がケージに当たらないように、ケージの設置場所を工夫するとともに、飲み水を切らさないようにすることも重要です。
外飼いの場合は、日よけがあり、風通しのいい場所に小屋を設置して、直射日光や高温にさらされないようにしてあげましょう。
散歩や運動は気温の高い日中を避け、比較的涼しい早朝や夕方に行うようにしましょう。
日中はアスファルトの表面が高温になり、散歩に出たイヌが肉球をやけどしてしまうことがあります。肉球のやけどが直接命にかかわることはありませんが、痛くてつらい思いをさせないに越したことはありません。
被毛が多いとやはり熱がこもりますし、蒸れによって皮膚病を起こしやすくなりますから、夏の間は毛を短めにカットしてあげることも有効です。
子どもの頃に飼っていたシェルティーは、毎年夏になるとトリマーさんに「サマーカット(ライオンカット)」にしてもらっていました。毛が短くなると、本当に気持ちよさそうにしていたものです。
ただし、毛を短くすることで紫外線にさらされやすくなって皮膚炎を起こしたり、直射日光があたって逆に熱中症になりやすい場合があったり、蚊やダニに刺されやすくなったり、といったデメリットもあります。
サマーカットする場合は、一度かかりつけの動物病院に相談するとよいでしょう。
動物の飼育のプロがいる動物園や水族館でも、夏の間に熱中症や脱水で体調を崩し、命を落とす動物が少なくありません。最近は人間に飼われる動物も高齢化していますから、加齢によって臓器の機能が低下している場合には、わずかな体温上昇で急激に体調を崩すこともあります。
「これまでの夏も大丈夫だったし、今年の夏もきっと大丈夫だろう」と甘く考えないように。
日本の夏は、ほんの少しの油断で大切なペットを失いかねない――ということを、これから本格的に夏を迎えるにあたってぜひ心に留めておいてくださいね。
(中村 進一 : 獣医師、獣医病理学専門家)(大谷 智通 : サイエンスライター、書籍編集者)

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