近年、東京など世界各国で開催されるようになった、「LGBTQ+」の権利を主張するレインボーパレード。年々 参加者も増え、認知も広がる中、「受け入れたくても、受け入れられない…」と人知れず 悩む人たちがいる。我が子からカミングアウトされた親たち…。ミヨコさんは当時、大学生の息子に「ゲイだ」と告白された。「家に帰ってきて、友だちを連れてきている姿に、ちょっと考えるところがあった。それで聞いてもらいたいことがあるんだよねって言うから…」。
【映像】「僕、ゲイなんだ」とカミングアウトした息子(実際の写真)
そして、電話で「僕、ゲイなんだ」。ミヨコさんは「本当に寝れなくて、どうなるんだろうっていうのが先立った。夫は怒って『それでいいのか!』ってすごい反対していた」。
頭では 多様性は大事と理解していながらも、心の理解が追い付かず、不安と葛藤で眠れない日々が続いたという。「世の親はやっぱり親の言う通りになってもらいたい気持ちが強い。自分たちと同じ生活をしてほしい、子どもを作ってほしいっていうのがあるかもしれない。これから先、世間を歩いていけるんだろうかと心配した」と話す。
あるアンケートでは、LGBTQ+の子を持つ 当事者の親の方が「愛を持って子どもと接することができない」という回答も。親だからこそ受け入れてほしいと願う子どもが多いのも、現実だ。当事者は勿論、その親さえも悩む「カミングアウト」。どう受け止めればいいのか。当事者、その母親と共に『ABEMA Prime』で考えた。
中学3年生のときにゲイであることを自覚した平山裕三さんは、「家族に一生隠して生きていくのか」と悩んだという。「2、30年前の出来事で、今はLGBTの情報もアクセスしやすいが、その頃はなかなか…。カミングアウトしている当事者の方もいなかったので、迷いもあって女性とお付き合いさせていただいたこともあった」。
そんな中、親にカミングアウトしたのは「大学3年生の就職活動で、企業の説明会に『服装が自由』と書いてあった。文面通りに受け取って、私服で行ったら、みんなスーツだった。家に帰って、そのことを話したら、母親に『なんであんたは昔から人と違うことをしようとすんの』って言われ、喧嘩になって、勢いで『僕はゲイだからだ』って答えた」と振り返る。
母親のヨシコさんの当時の心境は、困惑し、整理がつかない状態。「どうして?」「育て方を間違えた?」「病気?治せるなら治したい」などと自分を責めるようになった。また、ヨシコさんから父親へ話すと、第一声は「気持ち悪い」と理解不能だった。
父親の反応を知った平山さんは、「すごくショックを受けて、(父親と)2、3日話さないときがあった」。しかし、「父親が何か考えたのか。『今までわかってあげられなくてごめんね』って直接泣きながら謝ってくれて、そこから関係性がまた始まった」と明かす。
「カミングアウトしたときの親の反応」調査によると、母親は「末だに受け入れられてない」が12.4%、「完全に拒否」が6.8%。父親は「末だに受け入れられてない」が10.9%、「完全に拒否」が7.8%。(電通タイバーシティ・ラボ「LGBTQ+調査2020」)
ヨシコさんは、平山さんのカミングアウトを受けて、「苦しい思いで人生を送るよりは、自分に素直に送ってもらいたい」と願うが、今でも「ゲイであることを受け入れることはできない」という。「親戚はみな知っているが周囲の人には自分から話すことはできない」「今でも彼女を連れてきてほしい」「結婚して子どもを作ってほしい」と思っている。
カミングアウトについて、平山さんは、「当時、自分を受け止めてくれているコミュニティがあって、最終的な砦は家族だと思っていた。やっぱり大切な存在なので、言いたかった。そのきっかけは勢いだったが、結果的に言えてよかったと今でも思っている」。
親に受け入れられないことについては、「素直なリアクションだと思うので、良い悪いじゃない。しかし、受け入れられないことと差別することは違う。受け入れられないこと自体は受け止める」との考えを示した。
当事者と家族を支援する団体「レインボーファミリー札幌」代表で、カミングアウトの経験を持つ、武藤義弘氏は「カミングアウトをして、親が受け入れられないのは、“カミングアウトのスタート点”として受け止めるべきだと思う」と語る。
また、「良くも悪くも、そこがスタートで、そのあとコミュニティの情報を与えたり、私の場合は母にゲイの友人をいっぱい会わせて、とにかくコミュニティに触れてもらった。意外と身近なところに答えはあるのかと思う」と述べた。
(『ABEMA Prime』より)