戸籍情報システムが管理する文字「約70万字」…日本のデジタル化が進まない原因は「法務省」のせい?

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〈戸籍へのフリガナ記載について御確認ください〉
先月末、マイナポータルからこの件名のメールを受け取った人も多いはずだ。
今年5月26日、戸籍に氏名の読み仮名を記載する改正戸籍法が施行された。法務省はパンフレットで「行政手続きのデジタル化の進展」と「本人確認情報としての利便性」を強調している。
「ようやく、氏名の『ふりがな』が法的な根拠を持つようになりました。一歩前進ではあると思います。でも、遅すぎですよ」
そう話すのは、30年以上前から富士通で住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)の開発に携わってきた、行政システム総研顧問・蓼科情報主任研究員の榎並利博氏だ。
「戸籍に氏名の読み仮名を記載する法改正がここまで遅くなったのは、戸籍を所管するのが法務省だからでしょう。法務省が前例踏襲主義とはよく言われることで、制度をはじめ、とにかく変えたがらない。だから日本のデジタル化はなかなか進まないんです」
自治体システムの開発に長年関わってきた榎並氏は、その過程でたびたび、法務省が行政システムのデジタル化を阻む壁になっていることを痛感してきた。法務省に厳しい目を向けるのにはそれなりの理由があるのだ。
「自治体の情報システムを効率化するうえで最も厄介なのが、行政機関が管理する膨大な数の『文字』です。戸籍をコンピュータ化するための法改正で問題になったのも、戸籍で扱う『人名用漢字』をどうするかということでした。
1994年、法務省は戸籍法の改正と合わせて、戸籍をコンピュータ化する際に誤字・俗字を全て職権で訂正する方針を示しました。これに自民党議員が、『行政の都合で勝手に名前を変えるのはおかしい』と猛反発した。
法務省は結局、戸籍事務のコンピュータ化に伴って正字に訂正することにしていた誤字・俗字であっても、本人が変更を拒否すればコンピュータに入れず、原簿である紙の戸籍をそのまま残すことに決めてしまったんです」
このような経緯で1994年から戸籍のシステム化は進められていった。その後、戸籍手続きにオンライン化の要請が高まり、’04年に「戸籍統一文字」が定められることになる。
「戸籍統一文字は、法務省が標準化した文字です。その数は約5万6000字で、漢字数は約5万5000字。
ただし、戸籍法の改正時に本人から異議があれば誤字や俗字も認めるとしたため、戸籍統一文字に収容できない文字も当然あります」
一方「住基ネット統一文字」は、住基ネットが全国一斉稼働した’03年に総務省によって定められた。数は、漢字1万9000字を含む約2万1000字。
「行政手続きでは、住基ネット統一文字と戸籍統一文字のほかに、JISの漢字約1万字が使われています。この3つの文字セットを、経済産業省が’10年から『文字情報基盤』整備事業で整理し、約6万字を行政システムで使用する『文字情報基盤』文字としました。
しかし戸籍には、誤字などで記載されていてコンピュータ化に適合しない『改製不適合戸籍』というものが存在します。システム化できない文字が入っているので各自治体が紙で管理していて、それが大量にあるんです」
法務省の調査によると、全国の戸籍情報システムが管理する文字は約70万字に上る。デジタル庁はこの約70万字を分析。自治体の基幹業務システムの標準化を進めるため、約6万字の「文字情報基盤」文字と同一の文字と見なすなどして、約7万字に絞り込んだ。
デジタル庁は約7万字を「行政事務標準文字」とし、’25年度から全国自治体への順次導入を目指すも、戸籍システムについては「標準文字」への移行が先送りとなっているようだ。
「JISの第1水準から第4水準までを合わせると約1万字になりますが、この範囲が、私たちがパソコンやスマホで使っている文字体系です。
民間企業だと漢字をJISの範囲内で使えばいいので、簡単にデータ交換ができます。しかし、行政が7万の標準文字を扱うことになったとしても、民間とスムーズにデータ交換はできません。
しかも、コンピュータ化しないまま紙で管理している戸籍が大量にある。つまり、氏名のデータマッチングは難しい。だから、マイナンバーが必要になってくるんです」
「番号制度」の専門家としてマイナンバーの制度設計に携わってきた榎並氏いわく、「法務省は戸籍にマイナンバーを使うことに積極的ではない」という。
「戸籍事務にマイナンバーを導入する計画は、マイナンバー制度が始まる以前からありました。法務省は’14年に有識者で構成する『戸籍制度に関する研究会』を立ち上げていて、’15年の研究会では、戸籍システムの一元化や戸籍記載の正確性の担保などについて話し合われています」
その「戸籍制度に関する研究会」の最終取りまとめが出来上がったのは’17年。
「とりまとめには『マイナンバーの付番は戸籍の附票(住所の異動が記録されている書類)を使って行う』とあり、マイナンバー制度を導入しようという結論にはなっています。
ところが’19年の戸籍法改正では、『マイナンバーは使わない』としている。行政機関内で使われる情報提供用個人識別符号を割り当てて、情報連携を行うことになったんです」
マイナンバーを「使う」から「使わない」へ。研究会の最終とりまとめから戸籍法改正までの2年間に、いったい何があったのか。
「研究会の資料は公開されますが、その後どういう議論を経て法律が改正されたのか、法務省が公にしていないのでわかりません。結論が変わっているのだから、なんらかの議論はあったはずです。
想定でしかありませんが、戸籍が実態と合っていないことが問題になったのではないかと。というのは、戸籍は届け出がない限り、本人が亡くなっていても残り続けます。マイナンバーを振ることにすると、収拾がつかなくなるかもしれない。それを懸念して、使うのをやめたのではないかという気がします」
とはいえ、戸籍証明書が必要な手続きで、申請が楽になったケースもある。
たとえば、児童扶養手当認定手続きでは’24年8月から、マイナンバーを申請先の行政機関に提示すれば戸籍証明書の添付が不要に。今年3月からは、マイナポータル経由でパスポート申請をすると戸籍情報が自動的に連携されるため、紙の戸籍証明書の提出が必要なくなった。
「一応は改善しているという意味で、法務省にしては画期的といえるでしょうね。
ただ、表面的なところではちょっと便利になっているかもしれませんが、根本的な部分を変えないと非常に快適というレベルまではいかないと思います。やはり、戸籍の文字体系がきちんと整理されなければ、完全なデータ化はできないですから。
たとえば、今後は氏名のふりがなを中心に個人のデータを作り、そのうえで、個人を特定する番号は全てマイナンバーをつけて管理する。氏名の漢字はあくまで添え物として、あってもなくても構わない存在にしていくのがいいかもしれません」
そうなれば、世界に後れをとっている日本のデジタル化もやっと前進しそうだ。
「全体的なデジタルの制度設計はデジタル庁がやることになるでしょうから、いっそのこと、法務省とデジタル庁が統合してしまえばいいと思うんですよ。そうでもしないと、法務省はぜったいに変わらない気がします」
▼榎並利博(えなみ・としひろ)行政システム総研顧問、蓼科情報主任研究員。1981年、富士通入社。住民基本台帳など自治体向けシステムの開発に従事。1995年以降は富士通総研で電子政府・電子自治体、マイナンバーなどを中心に研究活動を行う。著書に『デジタル手続法で変わる企業実務』(日本法令)『マイナンバーの呪い』(青山ライフ出版)など
取材・文:斉藤さゆり

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