人生100年時代、老後の生活設計は誰にとっても避けて通れないテーマです。思いもよらぬ事実や、家族の知られざる努力が、将来への見通しを大きく変えることもあります。そんな「お金」と「安心」のリアルな関係に迫ります。
定年退職後、再雇用で契約社員として働いてきた武田浩一さん(仮名・64歳)。同僚の多くが60歳の定年後も再雇用の道を選んでいましたが、浩一さんもそうしたのには、漠然とした老後への不安がありました。
「年金を受け取れるようになるまでは5年ある。その間、収入がないと、というのは不安でした」
家計の管理は結婚以来、妻・明子さん(仮名・62歳)にまかせていたので、正確にどれほどの貯蓄があるかは把握していません。しかし、これまでの自身が手にしてきた給与に対し、マイホームを買い、2人の子どもを大学まで通わせてきたことを考えると、老後、安心して暮らせるほどの貯蓄があるとは思えなかったといいます。
「再雇用を選んだのは積極的に働きたいと思ったわけではなく、仕方なく――というのが本音です」
再雇用で契約社員となり、給与は半分程度の月25万円。モチベーションも大きく下がったものの、老後の安心のため、今はそんなこと言っていられない――そう思って働いてきました。そして、65歳の誕生日まで半年をきり、65歳以降の働き方について思いを巡らせる日々。
勤めている会社では、希望すれば65歳以降も契約を更新でき、最長、70歳までは働くことができます。一方、65歳から受け取れる予定の年金は、基礎年金と厚生年金を合わせて、月18万円を超える程度。妻とふたり暮らし、家の維持費はおいておいて、家賃がかからないのであれば、何とかやっていけるだろうか――浩一さん、やはり不安が先行し、まだまだ働かないといけないだろうと、覚悟はしていたといいます。
【ともに65歳以上の無職の夫婦の1ヵ月の支出】■支出計:25万6,521円(内訳)・食料:7万6,352円・住居:1万6,432円・光熱・水道:2万1,919円・家具・家事用品:1万2,265円・被服及び履物:5,590円・保健医療:1万8,383円・交通・通信:2万7,768円・教養娯楽:2万5,377円・その他の消費支出:5万2,433円出所:総務省『家計調査 家計収支編 2024年平均』
【ともに65歳以上の無職の夫婦の1ヵ月の支出】
■支出計:25万6,521円
(内訳)
・食料:7万6,352円
・住居:1万6,432円
・光熱・水道:2万1,919円
・家具・家事用品:1万2,265円
・被服及び履物:5,590円
・保健医療:1万8,383円
・交通・通信:2万7,768円
・教養娯楽:2万5,377円
・その他の消費支出:5万2,433円
出所:総務省『家計調査 家計収支編 2024年平均』
65歳、年金を受け取るようになってからの働き方を、妻・明子さんへ。どこかお金に関係する話をすることへの気まずさが入り混じった感情だったといいます。
そこですっと2冊の貯金通帳をテーブルに置いた明子さん。そして「今まで、おつかれさまです」とひと言。浩一さん、預金通帳を手に取ります。日常使いの銀行ではない銀行のもので、少々訝しく思いながら中を確認すると、思わず「え、マジか……」と口にしたあと、次の言葉が出てこなかったといいます。
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、せんまん……
2冊の預金通帳を合わせて5,000万円。今まで見たことのない金額に、思わず二度見。何度も桁を数え直し、自身の目を疑いました。「あなたの退職金もここに入っているけれど、これだけあれば、もう大丈夫よね」と明子さん。
「本当はちゃんと言ったほうがいいかなと思ったんだけど、年金を受け取れるようになるまでは働いてほしいなと思って……ごめんなさい」
明子さんは、浩一さんの毎月の給料から生活費を切り詰め、余った分を少しずつ貯蓄に回していたこと、そして、自身のパート収入や、独身時代からの貯蓄も合わせて運用し、時間をかけてこの金額まで増やしてきたことを打ち明けました。資産形成において「時間を味方につける」とはよくいったもの。明子さんは、見事、具現化したわけです。
一方の浩一さん。自分の知らないところで、お互いの老後のことを考えてくれていたとは――ただ漠然と老後の不安を口にしていたことが急に恥ずかしくなるとともに、不安なく仕事を辞められる安堵感を覚えたといいます。
内閣府『令和6年版高齢社会白書』によると、高齢者世帯の貯蓄額の中央値は1,677万円。さらに詳しく貯蓄額の分布を見てみると、4,000万円以上の貯蓄を持つ世帯は17.9%にのぼります。一方で、老後資金2,000万円不足問題が話題になりましたが、実際に2,000万円以上の貯蓄を有するのは42.5%。あの騒動以来、「老後のために2,000万円」がひとつの目標になった感がありますが、高齢者世帯の6割弱は目標値以下というのが現状です。
このような現状もあるからでしょう。働く高齢者は増加の一途を辿っています。「65~69歳」の就業率は2023年、53.5%。10年間で13ポイント以上上昇しました。「70~74歳」は34.5%(10.8ポイント増)、「75歳以上」は11.5%(3.2ポイント増)。原則、年金を受け取れるようになる65歳以降も、半数以上が働いているというのが実情です。
「65歳で仕事を辞められるというのは、すごく幸せなことなんですね」と浩一さん。改めて、妻・明子さんには感謝しかないといいます。
[参考資料]
総務省『家計調査 家計収支編 2024年平均』
内閣府『令和6年版高齢社会白書』