性に関する個人情報を暴露される「アウティング」行為を受けたとして、6月5日、芥川賞作家の李琴峰(り・ことみ)さんが甲府市議会議員にプライバシー権・人格権の侵害や名誉毀損に関し500万円の損害賠償を請求する民事訴訟を提訴した(東京地裁)。
本訴訟の原告である李琴峰さんは台湾出身で日本在住の作家・日中翻訳者。2021年、『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞。
2024年11月、李さんはインターネット上でアウティングや誹謗(ひぼう)中傷を受け続けてきたことを表明しつつ、トランスジェンダーであることを自身のホームページでカミングアウトした。
被告は、村松ひろみ・山梨県甲府市議会議員。2024年5月下旬、村松議員は自身のFacebookアカウントにおいて、李さんを名指しし「身体が男性で手術もしていません」「身体男性の女性でレズビアン、つまり恋愛はノーマル」などの記載を含む投稿を行った(以下「投稿A」)。
同月28日、投稿に気づいた李さんは警察に相談を行った。29日、警察官から電話で注意を受けた村松議員は投稿Aを削除。
同日、村松議員は「真相を確かめたわけではなかったので先の投稿は削除した」「断定的な投稿をしたことに関して謝罪する」という旨を表明したうえで、別の人物による投稿のスクリーンショットを貼付した投稿を行う(以下「投稿B」)。
その内には、李さんの未成年時の写真や過去の氏名など未公開の機微な個人情報や「女性自認の身体男性」「法的女性でもないみたい」「性別適合手術もしていないのかしら」などの記載が掲出されていた。
李さんは「警察に相談した結果、さらに悪質な投稿をされることになった」「次に警察に相談したら何をされるかわからない」と考えて、今回の提訴まで、村松議員に関して対応を取れなくなったという。
2024年6月、李さんは心療内科で適応障害と診断を受けた。なお、投稿Bは2025年6月5日時点で削除されていない。
原告側の発表によると、本訴訟は「公職者によるアウティングや名誉毀損(きそん)に対して、LGBTQ+(性的少数者)当事者が提訴する日本で初めての訴訟」であり、また「LGBTQ+のアウティングの違法性を認め、アウティング投稿記事の削除請求と損害賠償請求を認容する、日本での初めての判決を目指すもの」であるという。
本訴訟で請求する内容は、投稿Aに関する損害賠償200万円、投稿Bの削除および投稿Bに関する損害賠償300万円。
投稿Aについては李さんがトランスジェンダーであることを暴露している点がプライバシー権侵害、身体の形状について断定していることが自己コントロール権侵害にあたるほか、名誉毀損・名誉感情侵害にもあたると原告側は主張。
投稿Bについてもプライバシー権侵害や自己情報コントロール権侵害、名誉毀損・名誉感情侵害にあたるほか、写真の掲出は肖像権も侵害しているとして、投稿の削除と損害賠償を求める。
2020年11月25日、同性愛者に対するアウティングをめぐる訴訟(「一橋大学アウティング事件」)の東京高裁判決で、アウティングは個人の「人格権ないしプライバシー権などを著しく侵害するものであって、許されない行為」と判示された。
また、2023年10月25日には性同一性障害特例法の違憲訴訟の最高裁大法廷決定で、自身の性自認にしたがって法的な性別の取り扱いを受けることは「個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益」と示されている。
原告側はこれらの裁判例に基づきながら、村松議員の両投稿は李さんの「人格権およびアウティングされることなく差別されずに平穏に生活する権利」も侵害していると主張する。
提訴後に開かれた会見で、原告代理人の井桁大介弁護士は「そもそも(誰が行おうと)アウティングは法的に重要な問題である」と念を置きつつ、選挙により多数の支持を得て当選した公職者は私人よりも重い責任を負っていることを指摘。
トランスジェンダーは人口の0.5%、200人に1人の割合で存在すると推定されている。
当事者団体「Tネット」のアドバイザーを務める倫理学者の高井ゆと里准教授(群馬大学)は、村松議員の投稿は甲府市のトランスジェンダー当事者にとっては負のメッセージを放ち、またトランスジェンダーでない人たちには「こういったこと(アウティング)をやってもいいのだ」というメッセージを放つ、と指摘。
李さんも「選挙で票を集めて当選した人が(アウティングを)行うことで、『こういうことをやっていいんだ』と自分(村松議員)の支持者たちに、さらに広く一般社会に発信してしまう」と危惧を示した。
高井准教授によると、トランスジェンダー当事者にとって守られるべき「機微なプライバシー情報」は、本人が社会的性別移行をしているか否かなど、置かれている状況によって変動するという。
自身の性自認についてごく少数の人にしか打ち明けていない場合には、性自認を暴露されることがアウティングとなる。一方、性自認にしたがった生活(社会的性別移行)を開始している場合には、過去の性別に関する情報の暴露がアウティングとなる。今回のケースは後者だ。
「(本件では)李さんに敵対的な人、トランスジェンダーに敵対的な人が過去の情報を暴露した。これは、まぎれもないアウティング。
トランスジェンダーであると知られただけで、周りの人々の態度は変わり、仕事上の関係も破壊される。女性として生きてきた李さんの生活を破壊するのは、まぎれもない加害行為」(高井准教授)
李さんは「トランスジェンダー」という属性は自身の本質ではなく便宜上のものであると念を置きつつ、「性別移行の経験があるというだけで、差別にあってきた」と語った。
「トランスジェンダーであるというだけで、性器や性的志向、手術の有無など、性に関する好奇のまなざしを向けられ、『自分には詮索する権利がある』と思っている人々に無礼な態度を取られる」(李さん)
李さんは、村松議員とは全く面識がないという。「会ったこともやり取りもしたことがない。恨まれるようなことはしていないのに、ある日突然、攻撃された」(李さん)
代理人弁護士らも、投稿B内に貼付されていた情報などを村松議員が入手した経緯については「全くわからない」とコメント。
弁護士JPニュース編集部の取材に対し、村松議員からは以下の回答があった。
「訴状が届いていないため、内容についてはわかりかねます。
本件におきましては、最初の投稿は、立川警察署より削除するよう連絡をいただき、削除すれば提訴しない、とのことでしたので、すぐに削除をしてあります。
その後5月29日の投稿につきましては、削除するにあたり、私の投稿を見られた方々に、自分自身の過ちを伝え、謝罪する旨で投稿したものです。
それが名誉毀損にあたるのかどうかは、訴状を見た後弁護士に相談して従いたいと思います」