北海道を震撼させる凶悪ヒグマ「OSO18」…!捕獲作戦に参加したハンターが打ち明ける「化け物じみた生態」

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放牧された牛を次々と襲い、命を奪っていくヒグマ「OSO18」による被害が北海道東部で相次いでいる。2019年の出現以来、人間の追跡をかいくぐる様はまさに化け物だ。いつ人にも被害が出るかわからないため、現地の人々は恐怖に震えている。
国立公園である釧路湿原の一部を有する、北海道・標茶町。たった一頭のヒグマが、この町の住民約7200人の日常を一変させてしまった。
「7月18日にウチの牧場でもOSO18(以下・オソ)による被害があってから、ビクビクしながら過ごしています。外に出ることすら怖くなってしまったのです。子供が毎年の楽しみにしていた外でのバーベキューもできなくなりました」
怯えた表情で語るのは、飼育する牛をオソに殺害された標茶町・佐々木牧場で牧場主を務める佐々木裕之さんだ。
オソとは、2019年7月から標茶町、厚岸町で放牧されている牛を襲い続けているオスのヒグマだ。呼び名は初めて被害を出した標茶町オソツベツ地区の地名と、現場に残された足跡の横幅が18cmだったことから、北海道庁が付けたコードネームである。
残された足跡から体長は2m以上、体重は320kgから350kgの超大型だと推測される。
2019年に撮影されたOSO18とみられるヒグマ(写真提供/標茶町役場)
オソによる被害に遭った牧場の従業員が明かす。「ウチの牧場の牛も、ついにオソに襲われてしまい、急いで現場を見にいきました。すると、体重200kgを超える牛が、背骨を折られ、身体を真っ二つにされた信じられない光景が目に飛び込んできたのです。無残な死骸を見て、化け物じみた力を持ったヒグマなのだと、強い恐怖と衝撃を感じました」被害が繰り返される異例の事態巨大な牛も仕留める、恐るべきパワーによる被害は拡大し続けた。標茶町役場・農林課林政係の担当者が語る。「オソとみられるヒグマに襲われた牛は、標茶と厚岸を合わせるとこれまでに65頭にも上ります。そのうち半数近い30頭が死亡しているのです」これまで放牧地に入り込み、牛を襲うヒグマはまったくと言っていいほど確認されてこなかった。同じヒグマが連続して牧場へ被害を出していることも異例の事態だ。 多くの牛が犠牲となっている状況で、町や猟友会も手をこまねいていたわけではない。例年、オソによる被害は牛の放牧が始まる6月以降に固まっている。活動が活発化する前に標茶・厚岸両町は年明けから10基を超える箱罠と15基の監視カメラを設置し、オソによる被害を未然に防ぐべく動いてきた。だが、オソの捕獲にはつながらなかった。巨大で獰猛なだけでなく、人間の追跡を振り切る用心深さも兼ね備えているためだ。これまで3年間にわたり被害を出していながら、オソだと思われるヒグマの目撃例はわずか1例しか報告されていない。監視カメラに姿を捉えられたことすら、たった2回だ。冗談が現実に今年7月に入るとオソは再び姿を現し、放牧されていた牛を襲い命を奪い始めた。前出の佐々木牧場・佐々木さんが語る。「被害に遭った7月18日は雨が降っていました。雨だとヒグマは臭いや音を紛らわせることができます。こんな時はクマが出るんだよなと冗談半分で言っていたところ、それが現実となってしまったんです。ウチの牧場は放牧地の周辺にオソ対策として、電流の流れる柵を張り巡らせていました。手は打っていたので、まさかウチには来ないだろうという思いもありました。しかし、オソは柵を避けるため、なんと鉄線の下を掘って放牧地へ侵入してきたのです」 雨の降りしきる中、オソは音と気配を消して牛へと近づいていく。そして爪を突き立てた。佐々木さんが続ける。「夜中に背後から襲われたようで、内臓が深くえぐられていました。可愛い牛がやられて悔しい気持ちがありますが、被害にあった牛の死骸を見て、自分や家族の身の危険を感じる気持ちのほうが上回っています」牛の死骸をおとりに待ち伏せ佐々木牧場の被害を確認した地元猟友会は、本来ならすぐに撤去する牛の死骸を、あえて現場へ置いたままにすることにした。牛の残りの肉を口にしようと、再びオソが戻ってきたところを仕留めようと考えたのだ。標茶町の猟友会に所属するベテランの猟師が語る。「佐々木牧場の近隣にある類瀬牧場でも7月11日に被害が出ました。このエリアにオソがいると踏んで、早朝の3時半から5時までと、夕方から日没までの間に現場周辺で待ち伏せをすることにしました。猟友会のメンバー10人が2名ずつのペアになり、佐々木牧場と類瀬牧場にそれぞれ交代制で1組ずつ張り付きました。役場からの要請で、もしオソが現れた場合は躊躇せず発砲していいという許可も得ていました」猟師たちはライフルを手にした状態で現場近くに車を止め、中でオソが戻ってくるのを待ち構えた。しかしこの期間、一向にオソは姿を見せなかった。人間の行動を学習する「当初、危険を感知する能力に長けたオソは我々の行動を察知し、森に身を隠したのだと思いました。ですが、奴は大胆な行動に打って出たのです。警戒を始めて7日目の朝、時間通りに我々が現場に到着すると、なんと牛の死骸が、もとあった場所から無くなっていた。オソが近くに現れたに違いない―。全身に緊張と恐怖が走りました」(前出・猟師)警戒に当たった猟友会員らが確認したところ、牛の死骸は約30m離れた場所に引きずられていた。 だが、注意して見渡しても、肉眼で見える範囲にオソの姿はなかった。同じ猟師が続ける。「まだ近くの茂みに潜んでいるかもしれない。最大限の注意を払いながら周囲を捜索したのですが、オソの姿を捉えることはできませんでした。思えば、この日も雨が降っていました。天候もそうですが、オソは私たちがどの時間帯に警戒に当たっているのかを学習し、隙を突いて再び現れたのだと思います。奴は私たちが気付いていない間も、遠くから人間を観察していたはずです。そして私たちが一旦持ち場を離れる深夜に姿を現した。鳥獣保護管理法により、我々が日没から日の出までの時間は発砲ができないことを知っているかのような行動でした」「週刊現代」2022年11月19・26日号より後編記事『甚大な被害を出し、人間を嘲笑うかのように挑発…!最恐ヒグマ「OSO18」の捕獲が今年も困難である「深刻な理由」』では、OSO18が今後もたらすであろうさらなる脅威と、捕獲が困難である理由に迫っていく。
オソによる被害に遭った牧場の従業員が明かす。
「ウチの牧場の牛も、ついにオソに襲われてしまい、急いで現場を見にいきました。すると、体重200kgを超える牛が、背骨を折られ、身体を真っ二つにされた信じられない光景が目に飛び込んできたのです。
無残な死骸を見て、化け物じみた力を持ったヒグマなのだと、強い恐怖と衝撃を感じました」
巨大な牛も仕留める、恐るべきパワーによる被害は拡大し続けた。標茶町役場・農林課林政係の担当者が語る。
「オソとみられるヒグマに襲われた牛は、標茶と厚岸を合わせるとこれまでに65頭にも上ります。そのうち半数近い30頭が死亡しているのです」
これまで放牧地に入り込み、牛を襲うヒグマはまったくと言っていいほど確認されてこなかった。同じヒグマが連続して牧場へ被害を出していることも異例の事態だ。
多くの牛が犠牲となっている状況で、町や猟友会も手をこまねいていたわけではない。例年、オソによる被害は牛の放牧が始まる6月以降に固まっている。活動が活発化する前に標茶・厚岸両町は年明けから10基を超える箱罠と15基の監視カメラを設置し、オソによる被害を未然に防ぐべく動いてきた。だが、オソの捕獲にはつながらなかった。巨大で獰猛なだけでなく、人間の追跡を振り切る用心深さも兼ね備えているためだ。これまで3年間にわたり被害を出していながら、オソだと思われるヒグマの目撃例はわずか1例しか報告されていない。監視カメラに姿を捉えられたことすら、たった2回だ。冗談が現実に今年7月に入るとオソは再び姿を現し、放牧されていた牛を襲い命を奪い始めた。前出の佐々木牧場・佐々木さんが語る。「被害に遭った7月18日は雨が降っていました。雨だとヒグマは臭いや音を紛らわせることができます。こんな時はクマが出るんだよなと冗談半分で言っていたところ、それが現実となってしまったんです。ウチの牧場は放牧地の周辺にオソ対策として、電流の流れる柵を張り巡らせていました。手は打っていたので、まさかウチには来ないだろうという思いもありました。しかし、オソは柵を避けるため、なんと鉄線の下を掘って放牧地へ侵入してきたのです」 雨の降りしきる中、オソは音と気配を消して牛へと近づいていく。そして爪を突き立てた。佐々木さんが続ける。「夜中に背後から襲われたようで、内臓が深くえぐられていました。可愛い牛がやられて悔しい気持ちがありますが、被害にあった牛の死骸を見て、自分や家族の身の危険を感じる気持ちのほうが上回っています」牛の死骸をおとりに待ち伏せ佐々木牧場の被害を確認した地元猟友会は、本来ならすぐに撤去する牛の死骸を、あえて現場へ置いたままにすることにした。牛の残りの肉を口にしようと、再びオソが戻ってきたところを仕留めようと考えたのだ。標茶町の猟友会に所属するベテランの猟師が語る。「佐々木牧場の近隣にある類瀬牧場でも7月11日に被害が出ました。このエリアにオソがいると踏んで、早朝の3時半から5時までと、夕方から日没までの間に現場周辺で待ち伏せをすることにしました。猟友会のメンバー10人が2名ずつのペアになり、佐々木牧場と類瀬牧場にそれぞれ交代制で1組ずつ張り付きました。役場からの要請で、もしオソが現れた場合は躊躇せず発砲していいという許可も得ていました」猟師たちはライフルを手にした状態で現場近くに車を止め、中でオソが戻ってくるのを待ち構えた。しかしこの期間、一向にオソは姿を見せなかった。人間の行動を学習する「当初、危険を感知する能力に長けたオソは我々の行動を察知し、森に身を隠したのだと思いました。ですが、奴は大胆な行動に打って出たのです。警戒を始めて7日目の朝、時間通りに我々が現場に到着すると、なんと牛の死骸が、もとあった場所から無くなっていた。オソが近くに現れたに違いない―。全身に緊張と恐怖が走りました」(前出・猟師)警戒に当たった猟友会員らが確認したところ、牛の死骸は約30m離れた場所に引きずられていた。 だが、注意して見渡しても、肉眼で見える範囲にオソの姿はなかった。同じ猟師が続ける。「まだ近くの茂みに潜んでいるかもしれない。最大限の注意を払いながら周囲を捜索したのですが、オソの姿を捉えることはできませんでした。思えば、この日も雨が降っていました。天候もそうですが、オソは私たちがどの時間帯に警戒に当たっているのかを学習し、隙を突いて再び現れたのだと思います。奴は私たちが気付いていない間も、遠くから人間を観察していたはずです。そして私たちが一旦持ち場を離れる深夜に姿を現した。鳥獣保護管理法により、我々が日没から日の出までの時間は発砲ができないことを知っているかのような行動でした」「週刊現代」2022年11月19・26日号より後編記事『甚大な被害を出し、人間を嘲笑うかのように挑発…!最恐ヒグマ「OSO18」の捕獲が今年も困難である「深刻な理由」』では、OSO18が今後もたらすであろうさらなる脅威と、捕獲が困難である理由に迫っていく。
多くの牛が犠牲となっている状況で、町や猟友会も手をこまねいていたわけではない。例年、オソによる被害は牛の放牧が始まる6月以降に固まっている。活動が活発化する前に標茶・厚岸両町は年明けから10基を超える箱罠と15基の監視カメラを設置し、オソによる被害を未然に防ぐべく動いてきた。
だが、オソの捕獲にはつながらなかった。巨大で獰猛なだけでなく、人間の追跡を振り切る用心深さも兼ね備えているためだ。
これまで3年間にわたり被害を出していながら、オソだと思われるヒグマの目撃例はわずか1例しか報告されていない。
監視カメラに姿を捉えられたことすら、たった2回だ。
今年7月に入るとオソは再び姿を現し、放牧されていた牛を襲い命を奪い始めた。前出の佐々木牧場・佐々木さんが語る。
「被害に遭った7月18日は雨が降っていました。雨だとヒグマは臭いや音を紛らわせることができます。こんな時はクマが出るんだよなと冗談半分で言っていたところ、それが現実となってしまったんです。
ウチの牧場は放牧地の周辺にオソ対策として、電流の流れる柵を張り巡らせていました。手は打っていたので、まさかウチには来ないだろうという思いもありました。
しかし、オソは柵を避けるため、なんと鉄線の下を掘って放牧地へ侵入してきたのです」
雨の降りしきる中、オソは音と気配を消して牛へと近づいていく。そして爪を突き立てた。佐々木さんが続ける。「夜中に背後から襲われたようで、内臓が深くえぐられていました。可愛い牛がやられて悔しい気持ちがありますが、被害にあった牛の死骸を見て、自分や家族の身の危険を感じる気持ちのほうが上回っています」牛の死骸をおとりに待ち伏せ佐々木牧場の被害を確認した地元猟友会は、本来ならすぐに撤去する牛の死骸を、あえて現場へ置いたままにすることにした。牛の残りの肉を口にしようと、再びオソが戻ってきたところを仕留めようと考えたのだ。標茶町の猟友会に所属するベテランの猟師が語る。「佐々木牧場の近隣にある類瀬牧場でも7月11日に被害が出ました。このエリアにオソがいると踏んで、早朝の3時半から5時までと、夕方から日没までの間に現場周辺で待ち伏せをすることにしました。猟友会のメンバー10人が2名ずつのペアになり、佐々木牧場と類瀬牧場にそれぞれ交代制で1組ずつ張り付きました。役場からの要請で、もしオソが現れた場合は躊躇せず発砲していいという許可も得ていました」猟師たちはライフルを手にした状態で現場近くに車を止め、中でオソが戻ってくるのを待ち構えた。しかしこの期間、一向にオソは姿を見せなかった。人間の行動を学習する「当初、危険を感知する能力に長けたオソは我々の行動を察知し、森に身を隠したのだと思いました。ですが、奴は大胆な行動に打って出たのです。警戒を始めて7日目の朝、時間通りに我々が現場に到着すると、なんと牛の死骸が、もとあった場所から無くなっていた。オソが近くに現れたに違いない―。全身に緊張と恐怖が走りました」(前出・猟師)警戒に当たった猟友会員らが確認したところ、牛の死骸は約30m離れた場所に引きずられていた。 だが、注意して見渡しても、肉眼で見える範囲にオソの姿はなかった。同じ猟師が続ける。「まだ近くの茂みに潜んでいるかもしれない。最大限の注意を払いながら周囲を捜索したのですが、オソの姿を捉えることはできませんでした。思えば、この日も雨が降っていました。天候もそうですが、オソは私たちがどの時間帯に警戒に当たっているのかを学習し、隙を突いて再び現れたのだと思います。奴は私たちが気付いていない間も、遠くから人間を観察していたはずです。そして私たちが一旦持ち場を離れる深夜に姿を現した。鳥獣保護管理法により、我々が日没から日の出までの時間は発砲ができないことを知っているかのような行動でした」「週刊現代」2022年11月19・26日号より後編記事『甚大な被害を出し、人間を嘲笑うかのように挑発…!最恐ヒグマ「OSO18」の捕獲が今年も困難である「深刻な理由」』では、OSO18が今後もたらすであろうさらなる脅威と、捕獲が困難である理由に迫っていく。
雨の降りしきる中、オソは音と気配を消して牛へと近づいていく。そして爪を突き立てた。佐々木さんが続ける。
「夜中に背後から襲われたようで、内臓が深くえぐられていました。可愛い牛がやられて悔しい気持ちがありますが、被害にあった牛の死骸を見て、自分や家族の身の危険を感じる気持ちのほうが上回っています」
佐々木牧場の被害を確認した地元猟友会は、本来ならすぐに撤去する牛の死骸を、あえて現場へ置いたままにすることにした。牛の残りの肉を口にしようと、再びオソが戻ってきたところを仕留めようと考えたのだ。標茶町の猟友会に所属するベテランの猟師が語る。
「佐々木牧場の近隣にある類瀬牧場でも7月11日に被害が出ました。このエリアにオソがいると踏んで、早朝の3時半から5時までと、夕方から日没までの間に現場周辺で待ち伏せをすることにしました。
猟友会のメンバー10人が2名ずつのペアになり、佐々木牧場と類瀬牧場にそれぞれ交代制で1組ずつ張り付きました。役場からの要請で、もしオソが現れた場合は躊躇せず発砲していいという許可も得ていました」
猟師たちはライフルを手にした状態で現場近くに車を止め、中でオソが戻ってくるのを待ち構えた。しかしこの期間、一向にオソは姿を見せなかった。
「当初、危険を感知する能力に長けたオソは我々の行動を察知し、森に身を隠したのだと思いました。ですが、奴は大胆な行動に打って出たのです。
警戒を始めて7日目の朝、時間通りに我々が現場に到着すると、なんと牛の死骸が、もとあった場所から無くなっていた。オソが近くに現れたに違いない―。全身に緊張と恐怖が走りました」(前出・猟師)
警戒に当たった猟友会員らが確認したところ、牛の死骸は約30m離れた場所に引きずられていた。
だが、注意して見渡しても、肉眼で見える範囲にオソの姿はなかった。同じ猟師が続ける。「まだ近くの茂みに潜んでいるかもしれない。最大限の注意を払いながら周囲を捜索したのですが、オソの姿を捉えることはできませんでした。思えば、この日も雨が降っていました。天候もそうですが、オソは私たちがどの時間帯に警戒に当たっているのかを学習し、隙を突いて再び現れたのだと思います。奴は私たちが気付いていない間も、遠くから人間を観察していたはずです。そして私たちが一旦持ち場を離れる深夜に姿を現した。鳥獣保護管理法により、我々が日没から日の出までの時間は発砲ができないことを知っているかのような行動でした」「週刊現代」2022年11月19・26日号より後編記事『甚大な被害を出し、人間を嘲笑うかのように挑発…!最恐ヒグマ「OSO18」の捕獲が今年も困難である「深刻な理由」』では、OSO18が今後もたらすであろうさらなる脅威と、捕獲が困難である理由に迫っていく。
だが、注意して見渡しても、肉眼で見える範囲にオソの姿はなかった。同じ猟師が続ける。
「まだ近くの茂みに潜んでいるかもしれない。最大限の注意を払いながら周囲を捜索したのですが、オソの姿を捉えることはできませんでした。
思えば、この日も雨が降っていました。天候もそうですが、オソは私たちがどの時間帯に警戒に当たっているのかを学習し、隙を突いて再び現れたのだと思います。奴は私たちが気付いていない間も、遠くから人間を観察していたはずです。
そして私たちが一旦持ち場を離れる深夜に姿を現した。鳥獣保護管理法により、我々が日没から日の出までの時間は発砲ができないことを知っているかのような行動でした」
「週刊現代」2022年11月19・26日号より
後編記事『甚大な被害を出し、人間を嘲笑うかのように挑発…!最恐ヒグマ「OSO18」の捕獲が今年も困難である「深刻な理由」』では、OSO18が今後もたらすであろうさらなる脅威と、捕獲が困難である理由に迫っていく。

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