《池袋暴走事故》「毎日、亡くなった方々のご冥福を祈っています」車いすで面会、額には大きなアザが…飯塚幸三受刑者が語った“獄中生活”

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家族が事件や事故に「巻き込まれる」ことをイメージする人はいるが、「加害者」になることまで想像する人は少ないであろう。しかし、あなたの大切な家族が他人の命を奪ってしまい、ある日突然、加害者家族になることは、特殊な人々だけが経験することではなく、日常に潜むリスクなのだ。
【写真】この記事の写真を見る(3枚) ここでは、2000件以上の加害者家族支援を行ってきた阿部恭子氏の著書『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)から一部を抜粋。2019年4月19日に「東池袋自動車暴走死傷事故」を引き起こした飯塚幸三受刑者(91)の受刑生活を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

◆◆◆飯塚幸三受刑者 時事通信社拘置所側も先例がない高齢者90歳の収監 幸三が東京拘置所に収監されてから数日後、妻の下には夫から手紙が届いていた。「あまりに悲惨な状況に、母は泣き崩れてしまって……」 長男も、手紙の内容に衝撃を受けていた。 車椅子がなければ歩けない状態になった幸三は、拘置所内でトイレに行こうとした際、転倒してしまい頭に怪我をしてしまったのだ。トイレは血だらけになり、拘置所内の規則として「始末書」を書かなければならなかったのだという。 拘置所側も先例がなく、対応に窮したようだった。壁に緩衝材として発泡スチロールを張り、転倒で怪我をしないよう応急措置を施した。 刑事施設にはてすりがない。杖も武器になるので使えないため、歩くことが困難な幸三にとっては、トイレに行くことが過酷な試練となっていた。終いには、おむつで対応しなければならなかった。 房の中には椅子がなく、壁に寄りかかっていなければならない。就寝時間以外に横になってはならず、まるで拷問である。 90歳(取材当時)の足の不自由な老人にはあまりに過酷な状況に、家族は打ちのめされていた。 収監から1週間後、私は東京拘置所での長男の面会に同行することになった。「まさか、人生でこのような場所に来るとは想像もできませんでした」傷だらけでの面会 数々の著名人も収監されていた東京拘置所。広大な敷地と設備、出入りする面会人の雰囲気に、長男は圧倒されていた。私がこれまで出会ってきた家族は、皆、同じ言葉を口にする。 電光掲示板で番号が呼ばれた後、セキュリティゲートを通り抜け、長い廊下を歩いて上の階に上がり、面会室に入った。 幸三は、刑務官3人に支えられながら車椅子で面会室に現れた。額には大きな紫色のあざができている。私はその姿を見ただけで、胸が潰れそうな思いだった。それでも、「わざわざ来て頂いて、申し訳ないですね」 幸三は自宅で見せていた笑顔と同じ、穏やかな表情で挨拶をした。 刑事施設の過酷な状況に、屈強な男性が面会室で涙を流す姿をこれまで何度か見たことがあるが、幸三の穏やかさ、余裕とも取れる表情に、真の強さを感じた。 20分間の面会は、今後の報道対応や家族間の事務手続きの話で終了した。 長男は、父親と話ができてよかったと言っていたが、それでも痛々しいあざが残る父の姿に、ショックを隠し切れない様子だった。妻にこの傷だらけの姿は見せなくてよかったと思った。「あの様子で、刑務所でやっていけるのでしょうか……」 おそらく2週間程度で幸三の身柄は刑務所に移る。どこに行くことになるのか、収監先は家族であっても知らされることはない。本人からの便りを待つほかないのである。過酷な受刑生活 幸三の収監先として、世間では医療刑務所が濃厚だと騒がれていたが、私はありえない選択肢だと考えていた。医療刑務所の対象になるのは、がん患者や人工透析が必要な人々で、幸三は歩行が不自由な以外は、いたって健康だからだ。「上級国民は刑務所の待遇も違うんじゃないか」 収監されてからも、特別待遇の有無について、世間からの執拗な追及は続いていた。 拘置所への収監から約2週間後、幸三は地方のある刑務所に移送されていた。やはり医療刑務所ではなく一般の刑務所だった。 私は家族より一足先に、刑務所での面会を試みた。幸三が収容されている施設は私も過去に何度か足を運んだことがあるが、介護施設が設置されているだけで、高齢者の人権に配慮されてはいるものの、処遇に変わりはないはずだった。 刑務官に車椅子を押されて面会室に入ってきた幸三は、拘置所の頃よりは幾分か、顔色がいいように感じられた。 アクリル板を挟んでの会話だが、耳に不自由もないようだった。「毎日、日が昇るたびに、亡くなった方々のご冥福を祈っています」 自宅にいる時と変わらず、はじめに遺族と被害者への謝意を述べた。 幸三は禁固刑なので作業はなく、読書をしたりしている様子だった。「高齢受刑者の方々ともお会いしますが、皆さん、私よりずっと若い」 幸三はそう言って笑顔を見せた。確かにそうだろう。90歳での入所は日本ではじめてのケースに違いない。手すりがなく、トイレに行く際は転倒しないよう神経を使って 不便はないか尋ねると、「ここは刑務所で介護施設ではないので、やはりてすりはないんです」 拘置所同様、トイレに行く際は転倒しないよう神経を使っているようだった。介護施設であれば、何かあればナースコールで職員を呼ぶことができるが、もしここで転倒してしまうと、刑務官が見回りに来るまで助けてもらうことができない。幸三にとっては、1日1日が緊張の連続だった。 過酷な受刑生活を送る幸三を支えているのは、友人からの励ましと、帰りを待つ家族の存在である。 ひとり、刑務所にいる夫を待つ妻もまた、つらい日々を過ごしている。 幸三の体力では、手紙を書くことさえ容易ではない。夫の無事を祈りながら妻は手紙を書き、返事が届く日を待ち続けている。「あの人がきちんと刑期を終えて戻ってくるまで、私もしっかりしていなくちゃね」 妻は心配する長男にそう話しているという。 私の下には、過去に幸三と仕事をしていた海外在住の友人たちから励ましのメールが届いており、改めてその人望の厚さを実感させられた。 幸三と面識のない人々からも、体調を気遣うメールや便りが多数届いており、嫌がらせをする人ばかりではない。 私は帰りを待つ家族のために、幸三の受刑生活を見守っていくつもりだ。上級国民バッシングとはなんだったのか この事件は、高齢者ドライバーを象徴する事件となった。事件報道以降、運転免許証を自主返納する人は急増。事故が起きた2019年に免許を自主返納した人は前年から約18万人増え、過去最多の約60万人に上った。うち75歳以上は約6割を占めた。 幸三の不逮捕に批判が集中したのは、当時の安倍政権下の数々の疑惑も影響している。 幸三は2015年、安倍政権下で勲章を受章し、「桜を見る会」にも出席していた映像が残っていたことから、ネット上では政治家、特に安倍政権との関係を囁かれ、安倍政権批判の材料にもされていた。 普段、加害者に同情的なコメントをするリベラルな人々の中にも、安倍政権批判の側面から上級国民バッシングを支持した人々もおり、孤立無援な状況に陥っていた。 幸三と昵懇(じっこん)の仲の政治家は、私が話を聞く限り存在しない。現役の時ですら、政治家との付き合いに積極的ではなかった幸三をかばう政治家などいるはずがない。世間で騒がれた特権などないからこそ、一般の刑務所で過酷な受刑生活を送っているのだ。 私は本件にかかわるにあたって、飯塚家に何らかの政治的特権が与えられていないか注視していたが、特権に関する追及は専らネット上の名もなき人々が不正確な情報を元に騒ぐだけで、この点を真正面から追及した報道はなく、社会的に検証されることはなかった。「上級国民バッシング」はその後も、政治家や芸能人の特権剥奪を目的に、名もなき一部の市民にとってはかつて、手の届かないはずだった人々の社会的地位を奪う手段となっている。ある著名人の誹謗中傷を繰り返し書類送検された加害者のひとりは、上級国民バッシングを「ネット市民革命」と呼んで正当化していた。 革命とは、権力に対して無力な市民が暴動を起こし構造変革を強いることであるが、上級国民バッシングによって日本の社会構造は変わったかといえばそうではない。本質的な問題は解決していないのである。「上級国民」という言葉が報道やネット上で多く用いられるようになったのは、2015年、デザイナーの佐野研二郎氏の東京五輪のエンブレムのデザインに盗用疑惑が持ち上がったことからである。 組織委員会がエンブレムの白紙撤回を発表した際、組織委員会の事務総長が「一般国民にはわかりにくい」という表現を用いたところ、ネットを中心に「一般人には理解できないほど高尚なデザインなのか」という批判として「上級国民」という言葉が広がった。その後、この事故によって不正追及のキーワードに発展した。 幸三は金や権力に固執する人物ではないが、世間の思惑に対して無防備だった。沈黙はすべて疑惑から逃れるためと解され、苛烈なバッシングも一時的反応と思いきや、事態は悪化の一途を辿って行った。家族に社会的制裁が及ぶ高齢者ドライバーによる死亡事故 メディアによる偏向報道、推定有罪報道は今に始まった問題ではないがSNSが台頭する現代ではさらに拍車がかかっている。だからこそ、こうした背景を踏まえて対応策を講じなければならなかったのだ。 加害者が高齢者で被害者が若年者であった場合、特に世間の処罰感情は強く、加害者が厳罰を逃れるならば、代わりに家族が制裁を受けるべきというように、その矛先は家族へと向けられる。甚大な被害に対して、誰かが相応の責任を取らなければ収まらない世間の処罰感情にこたえるように、加害者家族が自ら命を絶つ悲劇も生じ、世の中はそれで事件の幕引きを図ってきたのだ。 しかし、加害者家族が代わりに罪を引き受け犠牲になったとしても、一時的な世間の処罰感情を満たすだけであって、事件の本質的な解決にはならない。 幸三は一般的には高齢であるものの自立した生活を送っており、子どもたちがコントロールしなければならない状況にはなく、親の言動に対して子どもたちにまで責任があるというには無理がある。 近年、高齢者ドライバーによる死亡事故が社会問題化し、メディアも大きく取り上げる機会が増えたことから、高齢者と暮らす家族の緊張感が高まっている。事故が起こると必ず「家族はなぜ止めなかったのか」という議論になり、家族に社会的制裁が及ぶからである。 しかし、家族連帯責任によって事故抑止を図ろうとするならば、家族関係の悪化を招き家族間の暴力や虐待といった問題を生むリスクを孕んでいる。家族が日常生活のすべてを管理することは、現実に不可能である。「何度言っても親は運転をやめない」 という悩みを抱える家族は少なくないが、子どもの言うことを素直に聞く親など稀である。医師から助言してもらうか、一定の年齢以上運転免許を停止する法律を制定するほかない。公共交通機関が未発達で、タクシーもほとんど通らないような地域もあることから、全国一律ではなく地域の実情に即した政策にならざるを得ないだろう。 高齢化社会に生きるすべての人にとって、決して他人事ではない問題である。メディアの“犯罪報道”の影響力 加害者家族の被害者性が封印されてきた背景には犯罪報道の問題があり、メディアも国家による加害を助長してきたといえる。 加害者家族を支援するにあたって、何が原因で事件が起きているのか、徹底的な洗い直しが不可欠である。犯罪報道では、犯行動機について、「痴情のもつれ」や「金欲しさ」といった曖昧な結論のまま、事件を終わらせてきた。 犯罪報道のピークはたいてい逮捕直後であり、捜査段階で上がった情報によって、犯罪者の印象は決まり、裁判を待つまでもなく世間による裁きが下されるのである。安倍晋三元首相殺害事件がまさにそうである。事件発生時、影響力のあった首相を殺害し、日本の治安を大きく揺るがしたとして、山上徹也(当時40代)への死刑求刑もあり得るのではないかという報道もあった。 ところが、山上の伯父がメディアのインタビューに答え、母親が旧統一教会の信者であり、多額の献金をしていた事実を告白したことによって、各メディアの矛先が旧統一教会に向けられた。さらに、自民党との関係が次々と明らかになるにつれて、山上に対する世論は同情する方向に大きく傾いた。 彼自身ではどうしようもできなかった不遇な家庭環境が明らかとなり、起訴前から減刑を求める署名活動が始まった。また、山上のプリズン・グルーピーが誕生し、勾留されている山上のもとには数多くのラブレターや差し入れ品が連日届いているという報道もある。 山上を「下級国民の神」と表現するメディアもあり、おそらく刑事裁判が始まっても同情的な世論は維持されるであろう。 それゆえ、捜査段階での報道対応が重要なのである。東池袋自動車暴走死傷事故でも、逮捕直後の印象が決定的となり、上級国民バッシングは判決確定まで収まることはなかった。 本件ではその後、数々の誤報が明らかとなったが、捜査段階では曖昧な情報がそのまま報道されることが多い。幸三が長男に電話をかけたのは、事件発生から55分後であったが、警察は記者会見で「事故直後」と発表し報道された。この誤差が、ウェブ上で長男が隠蔽工作をした根拠にされるなどおそらく記者も想定しておらず、具体的に何分後だったのか、確認することもなかったのであろう。 加害者家族の証言によればこのような誤報は度々起きているのだが、加害者家族として声を上げることはさらなる批判を招くリスクがあり、ほとんど訂正されることはない。ネガティブな情報にさらに尾ひれがついた情報がウェブ上で拡散される現代、加害者家族の証言を伝える役割の重要性は増すばかりである。 東池袋自動車暴走死傷事故に関しては社会的関心が高く、事実訂正の記事が炎上しつつも注目されたが、社会的影響が小さいと判断された事件では、加害者家族の証言に耳を傾けるメディアなど少ないのが現状なのである。《東北妊婦死体遺棄》「人間のクズ!」妊娠中の妻に罵倒され続けた夫は、延長コードで彼女の首を…“仮面夫婦”を演じた男女の悲惨な末路 へ続く(阿部 恭子)
ここでは、2000件以上の加害者家族支援を行ってきた阿部恭子氏の著書『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)から一部を抜粋。2019年4月19日に「東池袋自動車暴走死傷事故」を引き起こした飯塚幸三受刑者(91)の受刑生活を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
飯塚幸三受刑者 時事通信社
幸三が東京拘置所に収監されてから数日後、妻の下には夫から手紙が届いていた。
「あまりに悲惨な状況に、母は泣き崩れてしまって……」
長男も、手紙の内容に衝撃を受けていた。
車椅子がなければ歩けない状態になった幸三は、拘置所内でトイレに行こうとした際、転倒してしまい頭に怪我をしてしまったのだ。トイレは血だらけになり、拘置所内の規則として「始末書」を書かなければならなかったのだという。
拘置所側も先例がなく、対応に窮したようだった。壁に緩衝材として発泡スチロールを張り、転倒で怪我をしないよう応急措置を施した。
刑事施設にはてすりがない。杖も武器になるので使えないため、歩くことが困難な幸三にとっては、トイレに行くことが過酷な試練となっていた。終いには、おむつで対応しなければならなかった。
房の中には椅子がなく、壁に寄りかかっていなければならない。就寝時間以外に横になってはならず、まるで拷問である。
90歳(取材当時)の足の不自由な老人にはあまりに過酷な状況に、家族は打ちのめされていた。
収監から1週間後、私は東京拘置所での長男の面会に同行することになった。
「まさか、人生でこのような場所に来るとは想像もできませんでした」
数々の著名人も収監されていた東京拘置所。広大な敷地と設備、出入りする面会人の雰囲気に、長男は圧倒されていた。私がこれまで出会ってきた家族は、皆、同じ言葉を口にする。
電光掲示板で番号が呼ばれた後、セキュリティゲートを通り抜け、長い廊下を歩いて上の階に上がり、面会室に入った。
幸三は、刑務官3人に支えられながら車椅子で面会室に現れた。額には大きな紫色のあざができている。私はその姿を見ただけで、胸が潰れそうな思いだった。それでも、
「わざわざ来て頂いて、申し訳ないですね」
幸三は自宅で見せていた笑顔と同じ、穏やかな表情で挨拶をした。
刑事施設の過酷な状況に、屈強な男性が面会室で涙を流す姿をこれまで何度か見たことがあるが、幸三の穏やかさ、余裕とも取れる表情に、真の強さを感じた。
20分間の面会は、今後の報道対応や家族間の事務手続きの話で終了した。
長男は、父親と話ができてよかったと言っていたが、それでも痛々しいあざが残る父の姿に、ショックを隠し切れない様子だった。妻にこの傷だらけの姿は見せなくてよかったと思った。
「あの様子で、刑務所でやっていけるのでしょうか……」
おそらく2週間程度で幸三の身柄は刑務所に移る。どこに行くことになるのか、収監先は家族であっても知らされることはない。本人からの便りを待つほかないのである。
幸三の収監先として、世間では医療刑務所が濃厚だと騒がれていたが、私はありえない選択肢だと考えていた。医療刑務所の対象になるのは、がん患者や人工透析が必要な人々で、幸三は歩行が不自由な以外は、いたって健康だからだ。
「上級国民は刑務所の待遇も違うんじゃないか」
収監されてからも、特別待遇の有無について、世間からの執拗な追及は続いていた。
拘置所への収監から約2週間後、幸三は地方のある刑務所に移送されていた。やはり医療刑務所ではなく一般の刑務所だった。
私は家族より一足先に、刑務所での面会を試みた。幸三が収容されている施設は私も過去に何度か足を運んだことがあるが、介護施設が設置されているだけで、高齢者の人権に配慮されてはいるものの、処遇に変わりはないはずだった。
刑務官に車椅子を押されて面会室に入ってきた幸三は、拘置所の頃よりは幾分か、顔色がいいように感じられた。
アクリル板を挟んでの会話だが、耳に不自由もないようだった。
「毎日、日が昇るたびに、亡くなった方々のご冥福を祈っています」
自宅にいる時と変わらず、はじめに遺族と被害者への謝意を述べた。
幸三は禁固刑なので作業はなく、読書をしたりしている様子だった。
「高齢受刑者の方々ともお会いしますが、皆さん、私よりずっと若い」
幸三はそう言って笑顔を見せた。確かにそうだろう。90歳での入所は日本ではじめてのケースに違いない。
不便はないか尋ねると、
「ここは刑務所で介護施設ではないので、やはりてすりはないんです」
拘置所同様、トイレに行く際は転倒しないよう神経を使っているようだった。介護施設であれば、何かあればナースコールで職員を呼ぶことができるが、もしここで転倒してしまうと、刑務官が見回りに来るまで助けてもらうことができない。幸三にとっては、1日1日が緊張の連続だった。
過酷な受刑生活を送る幸三を支えているのは、友人からの励ましと、帰りを待つ家族の存在である。
ひとり、刑務所にいる夫を待つ妻もまた、つらい日々を過ごしている。
幸三の体力では、手紙を書くことさえ容易ではない。夫の無事を祈りながら妻は手紙を書き、返事が届く日を待ち続けている。
「あの人がきちんと刑期を終えて戻ってくるまで、私もしっかりしていなくちゃね」
妻は心配する長男にそう話しているという。
私の下には、過去に幸三と仕事をしていた海外在住の友人たちから励ましのメールが届いており、改めてその人望の厚さを実感させられた。
幸三と面識のない人々からも、体調を気遣うメールや便りが多数届いており、嫌がらせをする人ばかりではない。
私は帰りを待つ家族のために、幸三の受刑生活を見守っていくつもりだ。
上級国民バッシングとはなんだったのか この事件は、高齢者ドライバーを象徴する事件となった。事件報道以降、運転免許証を自主返納する人は急増。事故が起きた2019年に免許を自主返納した人は前年から約18万人増え、過去最多の約60万人に上った。うち75歳以上は約6割を占めた。 幸三の不逮捕に批判が集中したのは、当時の安倍政権下の数々の疑惑も影響している。 幸三は2015年、安倍政権下で勲章を受章し、「桜を見る会」にも出席していた映像が残っていたことから、ネット上では政治家、特に安倍政権との関係を囁かれ、安倍政権批判の材料にもされていた。 普段、加害者に同情的なコメントをするリベラルな人々の中にも、安倍政権批判の側面から上級国民バッシングを支持した人々もおり、孤立無援な状況に陥っていた。 幸三と昵懇(じっこん)の仲の政治家は、私が話を聞く限り存在しない。現役の時ですら、政治家との付き合いに積極的ではなかった幸三をかばう政治家などいるはずがない。世間で騒がれた特権などないからこそ、一般の刑務所で過酷な受刑生活を送っているのだ。 私は本件にかかわるにあたって、飯塚家に何らかの政治的特権が与えられていないか注視していたが、特権に関する追及は専らネット上の名もなき人々が不正確な情報を元に騒ぐだけで、この点を真正面から追及した報道はなく、社会的に検証されることはなかった。「上級国民バッシング」はその後も、政治家や芸能人の特権剥奪を目的に、名もなき一部の市民にとってはかつて、手の届かないはずだった人々の社会的地位を奪う手段となっている。ある著名人の誹謗中傷を繰り返し書類送検された加害者のひとりは、上級国民バッシングを「ネット市民革命」と呼んで正当化していた。 革命とは、権力に対して無力な市民が暴動を起こし構造変革を強いることであるが、上級国民バッシングによって日本の社会構造は変わったかといえばそうではない。本質的な問題は解決していないのである。「上級国民」という言葉が報道やネット上で多く用いられるようになったのは、2015年、デザイナーの佐野研二郎氏の東京五輪のエンブレムのデザインに盗用疑惑が持ち上がったことからである。 組織委員会がエンブレムの白紙撤回を発表した際、組織委員会の事務総長が「一般国民にはわかりにくい」という表現を用いたところ、ネットを中心に「一般人には理解できないほど高尚なデザインなのか」という批判として「上級国民」という言葉が広がった。その後、この事故によって不正追及のキーワードに発展した。 幸三は金や権力に固執する人物ではないが、世間の思惑に対して無防備だった。沈黙はすべて疑惑から逃れるためと解され、苛烈なバッシングも一時的反応と思いきや、事態は悪化の一途を辿って行った。家族に社会的制裁が及ぶ高齢者ドライバーによる死亡事故 メディアによる偏向報道、推定有罪報道は今に始まった問題ではないがSNSが台頭する現代ではさらに拍車がかかっている。だからこそ、こうした背景を踏まえて対応策を講じなければならなかったのだ。 加害者が高齢者で被害者が若年者であった場合、特に世間の処罰感情は強く、加害者が厳罰を逃れるならば、代わりに家族が制裁を受けるべきというように、その矛先は家族へと向けられる。甚大な被害に対して、誰かが相応の責任を取らなければ収まらない世間の処罰感情にこたえるように、加害者家族が自ら命を絶つ悲劇も生じ、世の中はそれで事件の幕引きを図ってきたのだ。 しかし、加害者家族が代わりに罪を引き受け犠牲になったとしても、一時的な世間の処罰感情を満たすだけであって、事件の本質的な解決にはならない。 幸三は一般的には高齢であるものの自立した生活を送っており、子どもたちがコントロールしなければならない状況にはなく、親の言動に対して子どもたちにまで責任があるというには無理がある。 近年、高齢者ドライバーによる死亡事故が社会問題化し、メディアも大きく取り上げる機会が増えたことから、高齢者と暮らす家族の緊張感が高まっている。事故が起こると必ず「家族はなぜ止めなかったのか」という議論になり、家族に社会的制裁が及ぶからである。 しかし、家族連帯責任によって事故抑止を図ろうとするならば、家族関係の悪化を招き家族間の暴力や虐待といった問題を生むリスクを孕んでいる。家族が日常生活のすべてを管理することは、現実に不可能である。「何度言っても親は運転をやめない」 という悩みを抱える家族は少なくないが、子どもの言うことを素直に聞く親など稀である。医師から助言してもらうか、一定の年齢以上運転免許を停止する法律を制定するほかない。公共交通機関が未発達で、タクシーもほとんど通らないような地域もあることから、全国一律ではなく地域の実情に即した政策にならざるを得ないだろう。 高齢化社会に生きるすべての人にとって、決して他人事ではない問題である。メディアの“犯罪報道”の影響力 加害者家族の被害者性が封印されてきた背景には犯罪報道の問題があり、メディアも国家による加害を助長してきたといえる。 加害者家族を支援するにあたって、何が原因で事件が起きているのか、徹底的な洗い直しが不可欠である。犯罪報道では、犯行動機について、「痴情のもつれ」や「金欲しさ」といった曖昧な結論のまま、事件を終わらせてきた。 犯罪報道のピークはたいてい逮捕直後であり、捜査段階で上がった情報によって、犯罪者の印象は決まり、裁判を待つまでもなく世間による裁きが下されるのである。安倍晋三元首相殺害事件がまさにそうである。事件発生時、影響力のあった首相を殺害し、日本の治安を大きく揺るがしたとして、山上徹也(当時40代)への死刑求刑もあり得るのではないかという報道もあった。 ところが、山上の伯父がメディアのインタビューに答え、母親が旧統一教会の信者であり、多額の献金をしていた事実を告白したことによって、各メディアの矛先が旧統一教会に向けられた。さらに、自民党との関係が次々と明らかになるにつれて、山上に対する世論は同情する方向に大きく傾いた。 彼自身ではどうしようもできなかった不遇な家庭環境が明らかとなり、起訴前から減刑を求める署名活動が始まった。また、山上のプリズン・グルーピーが誕生し、勾留されている山上のもとには数多くのラブレターや差し入れ品が連日届いているという報道もある。 山上を「下級国民の神」と表現するメディアもあり、おそらく刑事裁判が始まっても同情的な世論は維持されるであろう。 それゆえ、捜査段階での報道対応が重要なのである。東池袋自動車暴走死傷事故でも、逮捕直後の印象が決定的となり、上級国民バッシングは判決確定まで収まることはなかった。 本件ではその後、数々の誤報が明らかとなったが、捜査段階では曖昧な情報がそのまま報道されることが多い。幸三が長男に電話をかけたのは、事件発生から55分後であったが、警察は記者会見で「事故直後」と発表し報道された。この誤差が、ウェブ上で長男が隠蔽工作をした根拠にされるなどおそらく記者も想定しておらず、具体的に何分後だったのか、確認することもなかったのであろう。 加害者家族の証言によればこのような誤報は度々起きているのだが、加害者家族として声を上げることはさらなる批判を招くリスクがあり、ほとんど訂正されることはない。ネガティブな情報にさらに尾ひれがついた情報がウェブ上で拡散される現代、加害者家族の証言を伝える役割の重要性は増すばかりである。 東池袋自動車暴走死傷事故に関しては社会的関心が高く、事実訂正の記事が炎上しつつも注目されたが、社会的影響が小さいと判断された事件では、加害者家族の証言に耳を傾けるメディアなど少ないのが現状なのである。《東北妊婦死体遺棄》「人間のクズ!」妊娠中の妻に罵倒され続けた夫は、延長コードで彼女の首を…“仮面夫婦”を演じた男女の悲惨な末路 へ続く(阿部 恭子)
この事件は、高齢者ドライバーを象徴する事件となった。事件報道以降、運転免許証を自主返納する人は急増。事故が起きた2019年に免許を自主返納した人は前年から約18万人増え、過去最多の約60万人に上った。うち75歳以上は約6割を占めた。
幸三の不逮捕に批判が集中したのは、当時の安倍政権下の数々の疑惑も影響している。
幸三は2015年、安倍政権下で勲章を受章し、「桜を見る会」にも出席していた映像が残っていたことから、ネット上では政治家、特に安倍政権との関係を囁かれ、安倍政権批判の材料にもされていた。
普段、加害者に同情的なコメントをするリベラルな人々の中にも、安倍政権批判の側面から上級国民バッシングを支持した人々もおり、孤立無援な状況に陥っていた。
幸三と昵懇(じっこん)の仲の政治家は、私が話を聞く限り存在しない。現役の時ですら、政治家との付き合いに積極的ではなかった幸三をかばう政治家などいるはずがない。世間で騒がれた特権などないからこそ、一般の刑務所で過酷な受刑生活を送っているのだ。
私は本件にかかわるにあたって、飯塚家に何らかの政治的特権が与えられていないか注視していたが、特権に関する追及は専らネット上の名もなき人々が不正確な情報を元に騒ぐだけで、この点を真正面から追及した報道はなく、社会的に検証されることはなかった。
「上級国民バッシング」はその後も、政治家や芸能人の特権剥奪を目的に、名もなき一部の市民にとってはかつて、手の届かないはずだった人々の社会的地位を奪う手段となっている。ある著名人の誹謗中傷を繰り返し書類送検された加害者のひとりは、上級国民バッシングを「ネット市民革命」と呼んで正当化していた。
革命とは、権力に対して無力な市民が暴動を起こし構造変革を強いることであるが、上級国民バッシングによって日本の社会構造は変わったかといえばそうではない。本質的な問題は解決していないのである。
「上級国民」という言葉が報道やネット上で多く用いられるようになったのは、2015年、デザイナーの佐野研二郎氏の東京五輪のエンブレムのデザインに盗用疑惑が持ち上がったことからである。
組織委員会がエンブレムの白紙撤回を発表した際、組織委員会の事務総長が「一般国民にはわかりにくい」という表現を用いたところ、ネットを中心に「一般人には理解できないほど高尚なデザインなのか」という批判として「上級国民」という言葉が広がった。その後、この事故によって不正追及のキーワードに発展した。
幸三は金や権力に固執する人物ではないが、世間の思惑に対して無防備だった。沈黙はすべて疑惑から逃れるためと解され、苛烈なバッシングも一時的反応と思いきや、事態は悪化の一途を辿って行った。
メディアによる偏向報道、推定有罪報道は今に始まった問題ではないがSNSが台頭する現代ではさらに拍車がかかっている。だからこそ、こうした背景を踏まえて対応策を講じなければならなかったのだ。
加害者が高齢者で被害者が若年者であった場合、特に世間の処罰感情は強く、加害者が厳罰を逃れるならば、代わりに家族が制裁を受けるべきというように、その矛先は家族へと向けられる。甚大な被害に対して、誰かが相応の責任を取らなければ収まらない世間の処罰感情にこたえるように、加害者家族が自ら命を絶つ悲劇も生じ、世の中はそれで事件の幕引きを図ってきたのだ。
しかし、加害者家族が代わりに罪を引き受け犠牲になったとしても、一時的な世間の処罰感情を満たすだけであって、事件の本質的な解決にはならない。
幸三は一般的には高齢であるものの自立した生活を送っており、子どもたちがコントロールしなければならない状況にはなく、親の言動に対して子どもたちにまで責任があるというには無理がある。
近年、高齢者ドライバーによる死亡事故が社会問題化し、メディアも大きく取り上げる機会が増えたことから、高齢者と暮らす家族の緊張感が高まっている。事故が起こると必ず「家族はなぜ止めなかったのか」という議論になり、家族に社会的制裁が及ぶからである。
しかし、家族連帯責任によって事故抑止を図ろうとするならば、家族関係の悪化を招き家族間の暴力や虐待といった問題を生むリスクを孕んでいる。家族が日常生活のすべてを管理することは、現実に不可能である。
「何度言っても親は運転をやめない」
という悩みを抱える家族は少なくないが、子どもの言うことを素直に聞く親など稀である。医師から助言してもらうか、一定の年齢以上運転免許を停止する法律を制定するほかない。公共交通機関が未発達で、タクシーもほとんど通らないような地域もあることから、全国一律ではなく地域の実情に即した政策にならざるを得ないだろう。
高齢化社会に生きるすべての人にとって、決して他人事ではない問題である。
加害者家族の被害者性が封印されてきた背景には犯罪報道の問題があり、メディアも国家による加害を助長してきたといえる。
加害者家族を支援するにあたって、何が原因で事件が起きているのか、徹底的な洗い直しが不可欠である。犯罪報道では、犯行動機について、「痴情のもつれ」や「金欲しさ」といった曖昧な結論のまま、事件を終わらせてきた。
犯罪報道のピークはたいてい逮捕直後であり、捜査段階で上がった情報によって、犯罪者の印象は決まり、裁判を待つまでもなく世間による裁きが下されるのである。安倍晋三元首相殺害事件がまさにそうである。事件発生時、影響力のあった首相を殺害し、日本の治安を大きく揺るがしたとして、山上徹也(当時40代)への死刑求刑もあり得るのではないかという報道もあった。
ところが、山上の伯父がメディアのインタビューに答え、母親が旧統一教会の信者であり、多額の献金をしていた事実を告白したことによって、各メディアの矛先が旧統一教会に向けられた。さらに、自民党との関係が次々と明らかになるにつれて、山上に対する世論は同情する方向に大きく傾いた。
彼自身ではどうしようもできなかった不遇な家庭環境が明らかとなり、起訴前から減刑を求める署名活動が始まった。また、山上のプリズン・グルーピーが誕生し、勾留されている山上のもとには数多くのラブレターや差し入れ品が連日届いているという報道もある。
山上を「下級国民の神」と表現するメディアもあり、おそらく刑事裁判が始まっても同情的な世論は維持されるであろう。
それゆえ、捜査段階での報道対応が重要なのである。東池袋自動車暴走死傷事故でも、逮捕直後の印象が決定的となり、上級国民バッシングは判決確定まで収まることはなかった。
本件ではその後、数々の誤報が明らかとなったが、捜査段階では曖昧な情報がそのまま報道されることが多い。幸三が長男に電話をかけたのは、事件発生から55分後であったが、警察は記者会見で「事故直後」と発表し報道された。この誤差が、ウェブ上で長男が隠蔽工作をした根拠にされるなどおそらく記者も想定しておらず、具体的に何分後だったのか、確認することもなかったのであろう。
加害者家族の証言によればこのような誤報は度々起きているのだが、加害者家族として声を上げることはさらなる批判を招くリスクがあり、ほとんど訂正されることはない。ネガティブな情報にさらに尾ひれがついた情報がウェブ上で拡散される現代、加害者家族の証言を伝える役割の重要性は増すばかりである。
東池袋自動車暴走死傷事故に関しては社会的関心が高く、事実訂正の記事が炎上しつつも注目されたが、社会的影響が小さいと判断された事件では、加害者家族の証言に耳を傾けるメディアなど少ないのが現状なのである。《東北妊婦死体遺棄》「人間のクズ!」妊娠中の妻に罵倒され続けた夫は、延長コードで彼女の首を…“仮面夫婦”を演じた男女の悲惨な末路 へ続く(阿部 恭子)
東池袋自動車暴走死傷事故に関しては社会的関心が高く、事実訂正の記事が炎上しつつも注目されたが、社会的影響が小さいと判断された事件では、加害者家族の証言に耳を傾けるメディアなど少ないのが現状なのである。
《東北妊婦死体遺棄》「人間のクズ!」妊娠中の妻に罵倒され続けた夫は、延長コードで彼女の首を…“仮面夫婦”を演じた男女の悲惨な末路 へ続く
(阿部 恭子)

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