春を迎え、新たな生活がスタート。一方、日本の小学校教育をめぐっては、かねてより「集団行動」に疑問の声が出ている。授業前の「起立、礼、着席」や、朝礼での「整列」、子どもたちが役割分担する「掃除の時間」など、確かに集団行動を求められる場面は多い。
【映像】子どもたちの実際に“集団行動”を行う様子
集団行動は、学習指導要領で「特別活動」として、教育に取り入れることになっている。しかし、ネットでは「軍隊みたいで窮屈だった」「集団行動できないと仲間外れにされる」「みんなで同じ行動する必要ある?」といった声があがる。
そんな中、小学校の日常を追ったドキュメンタリー映画の短縮版が話題に。『Instruments of a Beating Heart』と題された同作品では、子どもたちの掃除や、力を合わせて楽器演奏に挑む様子が描かれ、アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。
日本式の“集団行動”による教育には意味があるのか。『ABEMA Prime』で議論した。
文科省「小学校学習指導要領解説」によると、「特別活動」とは、集団活動を自主的、実践的に取り組むことで、課題解決を通して生き方への考えを深め、自己実現を図る態度を養うもの。人間関係形成や社会参画、自己実現の育成を目指し、主な活動としては学級活動、児童会活動・生徒会活動、クラブ活動、学校行事が挙げられる。
公立中学校の元教師・のぶさんは、日本式教育の問題点として、「集団が苦手な子は空気が読めないなど、協調性・集団の尊重でいじめを誘発する」「疑問をもたせない・指示通りに動かす・つらい環境でも逃げ出さないなど、管理しやすい教師都合の指導法になっている」「学校行事や掃除が見た目にとらわれ、特別活動の成果が教師の自己満足になっている」という3点を指摘。目的化している特別活動を変える時期だとの考えを示す。
自身が特別活動の主任だった際、反発した出来事があったという。「卒業式の2週間前、教頭が職員会議で『靴下の長さと色がバラバラだから、白いものに揃えよう』と提案しだした。阻止するため、事前に子どもたちに白い靴下を持っているかを聞いておいたが、半分ぐらいは持っていない。会議でそういう子に買わせるのかと聞くと、『考えていなかった』と。そうした考えが現場の偉い人から出てきてしまう」と語る。
来日して日本式の集団行動を初めて見たパックンは、「気持ち悪い」と思ったという。「300人もの小学生がいるのに静か。先生がまだ喋ってないのに友達と話さない。どうした?大丈夫か?と」。しかし、悪いことだけではないといい、「ゴミが落ちていなく、街が綺麗。みんなの社会はみんなで保つ、という精神が育まれている。アメリカの小学校には清掃員がいるが、お金もかかるし、子どもも甘えてしまう」と話す。
一方、のぶさんは掃除面でも問題提起。「中学1年生の担任時、ゴミを拾うように言ったら、『俺が捨てたんじゃないよ』と返ってきた。小学校の6年間で何を学んできたのか?と。掃除がただの作業になっていて、ゴミを放置したら教室がどうなるかに思いが至らない。本来の目的を子どもが理解できるように教えていないのが問題だ」とする。
これにパックンは「確かにその精神がうまく芽生えない生徒はいる。しかし、日本社会を見ると(集団行動は)成功しているようにも思う」との見方を示した。
教育学者で北海道教育大学旭川校・准教授の古川雄嗣氏は、「教員が“何のためか”を意識せず、惰性でやっている部分はあると思うが、パックンが言うように概ね成功しているのでは。もともと日本人は恐ろしいほど清潔感が高く、江戸末期、ゴミが落ちていないことに海外の人は衝撃を受けたらしい。今も子どもたちが“マイ雑巾”を持っているが、禅の修行のイメージからきている」と説明。その上で、現在の特別活動は「民主的な社会を作るための要素と、文化的な背景、そして戦前の軍隊式教育がないまぜになっている」とした。
学校での同調圧力に対する危惧は、文科省の中央教育審議会でも示されている。「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」(2021)では、「学校では『みんなで同じように』を過度に要求する面が見られ『同調圧力』を感じる子どもが増えた指摘もある」「。結果としていじめなどの問題や生きづらさをもたらし非合理的な精神論や努力主義など負の循環が生じかねない」としている。
のぶさんは、「みんながそろっていることが当たり前になると、そこからはみ出ている子に対しての目が厳しくなる。人間関係の構築は一番重要なことだが、枠にはまらない子を攻撃する構図が生まれてしまう」と指摘。体育祭を例に出し、「応援で声を出せない子がいる時、教員が一緒に『出そうよ』と言うのは正しいのか。“練習に参加しているだけですごいんだ”と、目的に向かって先生が手綱を引く必要がある」と話す。
パックンは「集団生活に加えて、個人の実力主義のスキルも持ってほしい」と投げかける。「特別活動では、上下関係の形成が育まれ、マニュアル通りに動く良い社員にはなると思う。しかし、社会を新しく作ったり変えていくような、自主的な人にはなりづらい。『自分たちで議論して決める』個人生活もやるべきだ」。
古川氏は、同調圧力が強まった背景について次のように語る。「1980年代から1990年代以降の“個性化教育”が始まって以降、伝統的な集団主義や画一主義が批判され、個性の重視と創造性を育むようになった。学校内でも『積極的に意見を言いましょう』といった活動が増えたが、それとは裏腹に、子どもはお互いに空気を読み合い、集団から浮かないように気を配るような傾向が出てきた。“KY(空気が読めない)”という言葉が出てきたのも2000年代だ。伝統的な集団主義教育で重視してきたのは、合う人間も合わない人間も安心していられる“学級づくり”。その土台がない中で意見を求められても、当たり障りのないことを言おうとする意識が働く」。
Z世代の承認欲求に関する意識調査(SHIBUYA 109 lab.調べ)では、「大勢の前よりも、個別で褒められたい」が62.7%にのぼり、「大勢の前で褒められるのはちょっと負担。目立つし、嬉しさより恥ずかしさが勝ってしまう」などの意見が出た。
こうした声に古川氏は「規律も一定程度は必要だが、情緒的な絆も必要。集団の安定性があって、初めて個性が発揮できるわけで、『集団か、個か』と対立させるのはおかしい」と述べた。(『ABEMA Prime』より)