東京・銀座などに店を構える料亭「金田中」の社長、岡副真吾容疑者(63)が覚醒剤と大麻を所持した疑いで逮捕されたのは4月9日のこと。家宅捜索では違法薬物が押収されたという。
金田中といえば、政財界や文化人にも愛されてきた日本を代表する料亭。岡副容疑者の妻である徳子氏も、名門の女将としてたびたびメディアに登場してきた。それだけに、今回の事件によるブランド力の低下は小さくないだろう。
老舗をめぐる“異変”は2年前にすでに始まっていたのかもしれない……。当時、グループの料理長が、驚きのブラック体質を告発していた。(以下は「週刊新潮」2023年4月13日号掲載の内容です)
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【写真】”美人すぎる女将”の胸中はいかに――逮捕された岡副真吾容疑者との2ショット
大正時代に東京・新橋の花街で創業した「金田中(かねたなか)」は、「新喜楽」「吉兆」とともに“日本三大料亭”と称される老舗である。
その歴史は「田中屋」という店の仲居頭だった金子とらがのれん分けを許されたことに端を発する。戦後間もなく、包丁一本の板前から身を興した岡副(おかぞえ)鉄雄がこれを買い取り、名声を築き上げてきた。新橋演舞場の新設者としても知られた初代の跡を継いだ2代目・昭吾氏も2014年に亡くなり、現在は3代目の真吾氏(61)が看板を守っている。
「コロナ禍もあって政治家が料亭へ出入りする機会も減りましたが、それでも“密談”は行われています。岸田総理も就任以来、財界人との会食や裏千家の例会など、数回にわたって『金田中』に足を運んできました」(全国紙デスク)
まさに名門健在といったところだが、そんな中、耳を疑うような話が飛び込んできた――。金田中グループは、本店である「新ばし 金田中」のほか「金田中 庵」「銀座 岡半」「茶洒 金田中」を運営しているのだが、
「岡副真吾社長のあまりの仕打ちにあきれ果て、3月末で料理長を辞めました」
そう吐露するのは、先月下旬まで「銀座 岡半」で料理長に就いていた50代男性。仮に山田氏としておくが、一体、名店で何が起きているというのか。
「私は『瀬里奈』『うかい亭』などを経て16年9月、金田中に入りました。これまでの職場と同じように、給料はともかくきちんと休みを頂ける店で働きたいと考え、飲食業向けの求人サイトを見て応募したのです」
募集要項には「休日は月に8~10日」とあったというのだが、
「入社後から『岡半』の副料理長を任され、当初はある程度、休みも取れていました。ところが私と同じ時期に入社した料理長が、その年いっぱいで辞めてしまったのです。そのため17年以降は私が料理長となり、店の休業日である日曜・祝日以外はほとんど休めなくなってしまいました」(同)
そもそも“同期入社”の料理長が辞めたのは、
「岡副社長が原因だったと言っても過言ではありません。普段、私たちが社長と対面するのは、おもに毎月の『試食会』の場でした。各店の料理長はじめスタッフが新メニューを披露し、社長や本店の総料理長に品評してもらうのですが、そうした場で社長は、料理を熟知しているわけではないのに気分に任せて声を荒らげ、酷評するのです。総料理長のようなベテランだろうとお構いなしで、私の前任者も、それに嫌気が差して辞めていきました」(同)
以降、山田氏は膨大な業務を一身に背負うことになったという。
「『岡半』の調理場には全体で3~4人しかおらず、通常営業に加えて通販商品の仕込みもあり、支配人の役割も兼ねていた私が休むわけにはいきませんでした。6年半の勤務で取得した有給休暇は合計で10日もありません。年間の休日が70日ほどしかなかった年もあり、おまけに一日の勤務時間は大体朝9時から23時ごろまで。休憩を除くと平均12時間以上は働いていました」(同)
また給与面でも、
「毎月の給与明細を見ると、残業代として『固定割増手当』という名目の支払いがあるのですが、実際にこなしてきた残業に比べたら、明らかに少ない。大体、この金額について会社から説明を受けたことはなく、合意したつもりもありません」
そんな環境にあって、社長の“指示”も苛烈を極めていたというのだ。
「私が以前に働いていた店のお客さんが来て下さったのですが、社長には『お前が連れてくる客のせいで元々のお客さんが来づらくなった』と叱られました。また、ある銘柄の日本酒が在庫切れした時は、欠品中で入荷できないと説明しても『お前が悪い』の一点張り。店内で社長と打ち合わせの約束をしていた時には、時間前に私が庭の掃除をしていたことで、到着が早まった社長から『俺が来るのになんで掃除なんかしているんだ』と怒鳴られたこともありました」(同)
まさしくワンマンの典型ではないか。
「社長は、重要行事である毎月の試食会にしばしば遅刻してきます。会は各店の夜の営業前、多くは14~15時ごろに行われるのですが、大体30分以上遅れてきて、ひどい時は『今から行く』と電話してきてから2時間かかったこともありました。時間にルーズなだけでなく、携帯電話など私物を店内や車内に頻繁に置き忘れるので、社内からは“大丈夫なのか”といった声も上がっていました」(同)
こうした社長の振る舞いに不信感を抱くのは山田氏に限らない。ある金田中グループの関係者が明かすには、
「2年前まで在籍していた料理人は、かつて渋谷のセルリアンタワー東急ホテルに入っていた金田中が閉店する際、最後に社長がお客様の前で自ら肉を焼くから、すき焼き用の肉をスライスして届けるようにと言われて用意しました。ところが後日、社長から『肉の厚さが違った。お前のミスだから弁償しろ』と不当に責められ、自腹を切って3万円を店のレジに入金する羽目になりました」
岡副社長は、新橋の料亭や芸者衆からなる組織で、「東をどり」を主催する「東京新橋組合」の頭取も務めている。が、これでは“売り家と唐様で書く三代目”となりかねない。
そして3月8日、決定的な“事件”が生じた。再び山田氏が言う。
「社長から新橋の本店に呼び出され、一方的な言いがかりをつけられました。『ランチのオニオングラタンスープに入れるバゲットがカリカリの状態ではなかった』『ハンバーグを生から調理せず、出来上がっているものを焼き直して提供した』などと、すべて事実無根。そもそも、私の担当した調理ではなかったのです」
ところが、それらを並べ立てて社長は、
「『お前の給料のうち20万円は役職給だが、決められたことをしていないので支払えない。ただし生活があるだろうから3カ月は待つ。いつ終わりにするか返事をくれ』と、事実上のクビを宣告してきたのです」(同)
山田氏は堪忍袋の緒が切れ、数日後、社長に辞意を伝えたのだった。
「3月25日の勤務を最後に退職しました。今後は休日出勤などの金銭的な補償と、暴言などで受けた精神的苦痛の損害賠償を求めていくつもりです」(同)
日本労働弁護団幹事長の佐々木亮弁護士が言う。
「原則として8時間×5日=週40時間を超えた分、また飲食店など一定の業種で10人に満たない職場では44時間を超えた分がそれぞれ残業の扱いになります。つまり、もし12時間×6日=週72時間の勤務実態であれば、例外なく労働基準法違反に該当するのです」
月の残業時間については、
「19年に施行された働き方改革関連法で、36協定(時間外・休日労働に関する労使間の協定届)を結んで行われる残業は、単月で100時間未満、2~6カ月の平均で80時間以内としなければならないとなっています。月80時間以上の残業はいわゆる『過労死ライン』とされており、100時間を超えると精神疾患の可能性も高まる。大変危険な状態だといえます」
さらに続けて、
「今回のように給与を大幅に下げると伝えておいて退職の意思を固めるよう示唆したのであれば、不法行為である『退職強要』に該当し得ると思われます」(同)
名だたる老舗に、およそふさわしからぬトラブル。当の岡副社長に質すと、
「(山田氏は)管理職として店を任せていましたが、店を刷新するにあたり、いろいろと話し合っていく中で『一緒にやっていけない』となり、悩んだうえで外れてもらうしかないと考えました」
としながら、
「(従業員を)怒鳴るのは、その時の良い悪いがあるわけですから。『これは違うよね』という話に関しては、それはあります。(労基法の)細かいことは分かりませんが、月100時間の残業はないと思いますし、そうした管理も彼がやってくれていたので……。勤務について法規に反しているという認識は一切ありません。有給を取るよう指示もしているつもりで、(山田氏が)有給を取っていないことも把握していませんでした」
その上で、代理人を通じて以下のように回答した。
「通知人(注・岡副社長)あるいは金田中グループの労務管理の不適切さが原因となって違法残業が行われているというのは事実に反する指摘です」
が、先の佐々木弁護士は、
「労基法の順守や従業員の健康管理などは使用者の責任ですから『知りませんでした』では済まされません。社長はもちろんのこと、経営陣全体が責任を負うことになる可能性もあります」
そう指摘するのだ。あらためて山田氏が言う。
「歴代の総理大臣が訪れるほどの店を経営しながら、その味や格を支えてきた従業員を蔑ろにするのは、断じて許されないと思います」
政財界では「金田中に行けるようになったら一人前」と言い継がれてきた。そんなブランド力を生む、かけがえのない伝統がいま大いに揺らいでいるのだ。
デイリー新潮編集部