選挙の神様「藤川晋之助氏」死去 「彼は政治を甘くみている」…後見人を務めた石丸伸二氏に“苦言”を呈していた

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3月11日、選挙プランナーの藤川晋之助氏が死去した。享年71。藤川氏と言えば、永田町では「選挙の神様」として知られ、昨年、都知事選に出馬した石丸伸二候補を全面支援し、次点となる165万票を獲得させたことで一般にも知られる存在となった。しかし、その後、石丸氏と袂を分かち、この1月には「週刊新潮」の取材に、彼に対する苦言を呈していた。「遺言」とも言えるその発言を振り返る。
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【写真を見る】藤川氏が参謀を務めた都知事選挙、「石丸人気ってこんなにすごいの?」銀座の路上を聴衆で埋め尽くした石丸伸二氏
藤川氏はもともと自民党田中派で議員秘書を務めていた。一時は政治家の道を志し、大阪市会議員となるも、その後は断念し、秘書や政党の事務局長などの黒子に徹するように。選挙となれば選対で「ドブ板選挙」を指揮。圧倒的な勝率を見せ、「選挙の神様」と言われた。
昨年の都知事選では上述のように石丸候補の選対を仕切り、SNS戦略も駆使して、前安芸高田市長の石丸氏に、閣僚経験者である蓮舫候補を上回る票を獲得せしめた。一躍その名が高まり、各陣営から相談が殺到するようになったという。この2月には、デヴィ夫人が旗揚げした「12(ワンニャン)平和党」の選対委員長に就き、来るべき参院選で陣頭指揮を執る予定だった。
スポーツ報知は、死因をこう伝えている。
「右足を低温やけどしたことが原因で細菌が入り、2月下旬に入院。ICUに入るなど治療を続けていた。10日午前までは話もできる状態だったが、その後急変。もともと心臓に持病も抱えており、そのまま11日未明に亡くなったという」
藤川氏の知人によれば、
「もともと糖尿病を患うなど、それほど健康状態はよくありませんでしたが、突然のことで驚きです。最近は都知事選での業者への金銭支払いを巡り、石丸陣営が公選法違反で刑事告発された件を非常に気にしていました」
その石丸氏は1月に地域政党「再生への道」立ち上げを表明し、6月の都議選への候補者擁立を進めている。藤川氏の死はそこにも影響するとの見方もあるが、実は、藤川氏は既に石丸氏と袂を分かっていたという。
それを報じた「週刊新潮」1月30日号によれば、都知事選後、藤川氏は石丸氏に「政治塾を立ち上げたほうがいい」と助言。「再び都知事選に出たいなら、地道に仲間をつくって政治の世界に関わり続けるべきだ」とのメッセージだった。しかし、石丸氏は聞き入れず、「日本や世界の根本的な問題に新しい視点を提供する」とうたう動画メディア「ReHacQ」で、著名人と対談したり、旅番組に出たりと、タレント文化人のように振る舞っていた。
石丸氏の新党設立にあたっても、藤川氏は相談を受けたが、既に気持ちが冷めていたようで、協力を断った。ただ、部下が石丸新党の事務局長に就くことは許したという。
この件を当の藤川氏にぶつけてみると、
「右腕だった部下を断腸の思いで手放し、石丸新党の事務局長に就かせているわけですから、石丸君には頑張ってほしいと思っていますよ」
そう答えながらも、
「しかし、僕が彼を応援することはありません」
と、明言した。
「彼が新党を立ち上げると言ってきた時に“東京をどうしたいのか”と聞きました。そうしたら“政策はいらない”と答えられた。彼は会見で述べたように“プラットフォームをつくりたい”という話を私にしました。たしかにアイデアは斬新で面白いけれど、政策も党議拘束もない、それでは政党としてガバナンスがなかなか利かなくなると思います。だから、今回は事務所としては応援できないと距離を置きました」
石丸氏が掲げる「政治屋の一掃」というスローガンについても、
「都議会には一生懸命やっている議員だっているわけです。それなのに、まるで石丸君の新党だけが正義であって、他は党派性にとらわれた旧態依然とした利権政治家だというようなレッテルを貼るのは、いかがなものかと思います」
新党の行く末については、
「会見後、多くのメディアで報じられており、注目度は高い。一定の票は集めると思います。ただし、仮に10から15の議席を獲得したところで、新人たちがいきなり活躍するなんて難しい。都政の知識や経験がなければ、役人にうまくあしらわれるだけです。普通は2~3期目から、きちんと仕事ができるようになるもの。それなのに、2期8年が上限でいいのでしょうか。政治を甘く見ていると思いますね」
藤川氏の他にも、石丸氏のもとを離れた人はいるといい、
「前回、熱心に応援してくださった方々が“お礼の言葉もない”と、離れてしまう現象が起きています。次回はどれだけのボランティアが、再び集まるでしょうか。また、石丸君を応援してくださった方々の目には、新党の個々の候補予定者はどう映るのでしょうか」
そして最後に言い残した。
「石丸君に理念や政策があれば、応援したかった。でも、もはや彼には、自分は必要ないと思うのです。きっと僕は“古い”ということですからね」
一方の石丸氏は、死去の一報が流れた後、Xでこうポストした。
「訃報に実感が湧きません。まだLINEがふと届きそうな気がします。都知事選を振り返って“楽しかった”と言って頂いたのが一番嬉しい言葉でした。藤川さん、本当にありがとうございました」
藤川氏の「苦言」は届いているのだろうか。
デイリー新潮編集部

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