【杉山 登志郎】「発達障害の診断」が成人の臨床で増えている「納得の理由」…「カテゴリー診断」の非科学性

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あなたは本当にトラウマのことを知っていますか?
自然に治癒することはなく、一生強い「毒性」を放ち、心身を蝕み続けるトラウマ。
講談社現代新書の新刊・杉山登志郎『トラウマ 「こころの傷」をどう癒すか』では、発達障害と複雑性PTSDの第一人者である著者が、「心の複雑骨折」をトラウマを癒やす、安全かつ高い治療効果を持つ画期的な治療法を解説します。
本記事では、カテゴリー診断の非科学性についてくわしくみていきます。
※本記事は杉山登志郎『トラウマ 「こころの傷」をどう癒すか』より抜粋・編集したものです。
精神科の診断は、他の医学領域の診断とは著しく異なっています。その理由はといえば、ごく最近まで脳の中で何が起きているか皆目分からなかったためです。脳科学が飛躍的に進歩した今日といえども、脳の中で何が起きているのか、まだ本当に分かったという状況にはほど遠いのではないでしょうか。
興味のある方はぜひ櫻井(2023)による最新の解説『まちがえる脳』をお読みください。研究が進めば進むほど、これまで脳や精神病について解明されたと思われてきたことが、むしろまったく分かっていなかったという事実が明確に示されています。
最新の国際的診断基準であるアメリカ精神医学会が作成した「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版」(DSM-5)あるいは、世界保健機関(WHO)が作成した「国際疾病分類第11版」(ICD-11)において、精神疾患は、理念型による診断が行われています。
理念型という概念は、マックス・ウェーバーが社会科学を科学として成り立たせるための検討の中で作られたものです(Weber,1904)。それを精神医学に応用したのはヤスパースという後に哲学者になった医師です(Jaspers,1913)。理念型診断とは、端的にいえば、患者に現れる症状に基づく診断です。
一例を紹介します。DSM-5の注意欠如・多動症(ADHD)の診断基準は、「不注意」と「多動性および衝動性」に分けられます。
「不注意」では次のような項目が並びます。
a 学業、仕事、または他の活動中に、しばしば綿密に注意することができない(以下略)
b 課題または遊びの活動中に、しばしば注意を持続することが困難である
c 直接話しかけられたときに、しばしば聞いていないように見える
これがaからiまで9項目あって、子どもの場合は6項目以上に、成人は5項目以上に該当すると「不注意あり」と診断されます。
同じように「多動性および衝動性」を判定する項目も9つもあります。
a しばしば手足をそわそわ動かしたりトントン叩いたりする。またはいすの上でもじもじする
b 席についていることが求められる場面でしばしば席を離れる
と続きます。「不注意」の判定と同様に、子どもは6項目以上、成人は5項目以上該当すると「多動性、衝動性あり」と診断されます。
以上の例からもわかるとおり、DSM診断は病因を特定しておらず、症状による診断にとどまっています。一般的な病気は、疾病の病因が特定されており、バイオマーカーなどの客観的指標を参考に診断を行うことができますが、これとはまったく違うことが、お分かりいただけるのではないかと思います。
DSM-5やICD-11などの理念型診断は、症状の一覧表のようなものから成り立っていますが、実は、このリストに記載された症状以外にも診断の重要な手がかりがあります。その代表は、対人的相互交流の場に示される行動様式です。
精神症状は行動様式において示されることは、精神科医であれば誰しも賛同すると思います。躁状態の時と、うつ状態の時は、まさに行動様式が違っており、特に症状の一覧表のチェックを行わなくても瞭然と分かります。
経験豊富な児童精神科医であれば5階の窓から通りを見下ろしていても、道を歩く自閉症児を見つけ出すことは容易です。ちなみに筆者は、どんなところに行っても自閉症児や自閉症の成人を見つけてしまいます。こんなことが可能なのは、彼らに独特の行動特徴があるからに他なりません。ところがこのようなアナログ的な情報は、理念型診断の「症状」という言語による切り取りのみでは網羅することが困難です。
このことが、DSM-5のような症状のみによる診断(これをカテゴリー診断と呼びます)が全盛の中で「診断の拡散」を招いてしまうのです。経験豊富とはいえない精神科医が、カテゴリー診断の症状リストに該当するかどうかだけで診断すると、どうしても過剰診断になってしまうのです。
今日、成人の臨床において、発達障害の診断が明らかに増えているのはこの理由によります。カテゴリー診断で陽性になるからといって、発達障害と診断して良いのかどうか、実は慎重な検討が必要なことは言うまでもありません。
大きな声では言いたくないのですが、このカテゴリー診断における診断の拡張を最大限利用したのがメガファーマであることにも注意する必要があります。
科学的エビデンスを求める社会全体の流れの中で、心理療法的な治療は認知行動療法が主流となり、薬物療法についてさまざまなエビデンスが示されるようになりました。
エビデンスに基づく治療を行うことは、それ自体歓迎すべきことですが、正しい診断がなされることが前提となります。患者ではない人に投薬治療をしても効果がないばかりか、かえって症状を悪化させる危険があります。しかし、前述したように、理念型のカテゴリー診断自体が曖昧なため、拡張して適用されがちで、本来であれば治療対象にならない方まで精神疾患と診断されています。
メガファーマは、DSM-5やICD-11などのカテゴリー診断が拡張的になりがちなことを最大限活用して、エビデンスがあるとされる医薬品をどんどん売り込んでいます。こうした姿勢に筆者は危惧を覚えます。
後述するように、現在の精神科の病名は仮想概念であり、実体があるものではありません。実は、現在のカテゴリー診断が非科学的であることについてはすでに決着がついているのです。現在の診断は仮説に過ぎず、おそらく10年ぐらいの間に、大きく変化するのではないかと予想されます。
カテゴリー診断が無理ならば、近年全配列が明らかになったゲノムの解析を診断に使えばいいのではないかと思われる方も多いでしょう。確かに、ゲノム変異が、精神科疾患の成立に大きく影響していることは疑いありません。特に発達障害(神経発達症)は、遺伝的な素因が強いこともこれまでに示されてきました。ところが最近の分子生物学の研究で、発達障害とゲノム変異の関係は、想像されていたほど単純なものではないことがわかってきました。
特に重要なのが、従来の診断基準において一つではなくて、たくさんの疾患に関連が示される遺伝子変異の存在です(黒木、2020)。
重要な事実が二つあります。第一は、遺伝子変異は、精神科疾患の複数の診断カテゴリーに認められ、それらは統合失調症や双極性障害など主要な精神科疾患から発達障害にまで広がりが認められるということです。
第二は、それらの遺伝子変異が、特定の疾患における特異性をあまり示さないことです。たとえば、特定の遺伝子変異が認められる場合に、ある疾患について非常に高い発現率が認められるのであれば、そのゲノムの変異はその疾病に明らかな要因として働いていると分かります。
しかし、現実はそう単純なものではなかったのです。特定の精神疾患が発症するリスクが格段に高まる遺伝子変異はきわめて少なく、たいていの変異はわずかにリスクを高める程度のもので、しかも、主要な精神疾患に薄く広がっています。このように遺伝と精神疾患の関係は単純明快なものではなく、スッキリしない相関関係が存在するに留まっています。
さらにややこしいことに、最新の分子生物学の研究によって、ゲノム変異以外に、環境要因によって遺伝子のスイッチがオンになったりオフになったりする現象があることがわかってきました。エピジェネティクス(遺伝子スイッチ)です(『トラウマ 「こころの傷」をどう癒すか』第3章で詳しく説明します)。以上のことから分かるとおり、ゲノム変異だけを調べても、その人の精神疾患の発症リスクを測定することは困難です。ましてや、さらにそれを用いて精神疾患を分類し、診断することは不可能です。
現在までのゲノム解析が示す結論としては、ゲノム変異の単体ではなく、その集積によって精神科疾患を生じやすい素因が生じること、それに加えて、育ちの中で生じるさまざまな要因が絡み合って、発達障害を含む全ての精神科の「病気」に展開するというのが科学的に示された事実であるようです。
多数のゲノム変異が累積した時に、精神科疾患の臨床像が生じやすい基盤が作られるのですが、しかしそれはいくつものカテゴリー診断に重なっていて、さらに正常との間にも切れ目なく連続しているのです。
これは山の喩えを用いると分かりやすいかもしれません。発達障害それぞれは、穂高連峰のようなものです。どこまでが奥穂高岳でどこまでが前穂高岳でどこまでが西穂高岳なのか。さらに、穂高岳は連続的に槍ヶ岳までがっています。一方、富士山は、穂高連峰とは隔絶した独立峰ですが、今度は、どこまでが富士山なのでしょうか。3合目か、5合目か、8合目か。分節点を持たず、広い裾野が広がっているのです。例えば先に示した注意欠如・多動症の診断基準では、不注意項目が6点以上の子どもの場合、不注意陽性となりますが、5点だったら不注意なしとして良いのか。こんな議論がすぐに出てくるのです。
ゲノム解析の限界が明らかになる一方で、大規模データの統計学的な分析からは、別の視点にもとづく診断の可能性が示されるようになりました。
最初の議論は、パーソナリティ障害の解析でした。現行のカテゴリー診断によって分けるよりも、ビッグ5と呼ばれる5つの特性のその組み合わせによってパーソナリティ障害を分けるほうが、実際の臨床像によく一致していることが示されました。
ビッグ5について少しだけ触れます。ビッグ5とは、ニューロティシズム(心配性や敵意や自意識過剰、衝動性など)、外向性(温かみ、強引さ、興奮探求性、活動性など)、開放性(夢想、美意識、観念や感情など)、調和性(信頼、率直、優しさなど)、誠実性(秩序、義務感、達成努力など)という5つの因子です(Costa & McCrae, 1992)。この因子を連続的な性格傾向と考えて分類していくわけです。
この分類による表し方のほうが、さまざまな精神疾患の因子を正確に拾うことができることがわかりました。パーソナリティ障害に関するこの考え方は、すでにICD-11のパーソナリティ障害に取り入れられています(ただし、カテゴリー診断に慣れている人には、新しい分類法はわかりにくいことも指摘されています)。
この研究を嚆矢として、精神疾患を連続的な特性として、相互の関係を調べてみると、いくつかのクラスターに分けられることが示されました。その最初の研究において示された相関を図表2-1に示します(Krueger et al., 1999)。このような結果は、ゲノム解析の結果に示されたものとよく一致しています。つまり、このような連続性を持つ特性によって診断分類を分けるほうが科学的な事実により即しており、このモデルによる診断はディメンショナル・モデルによる診断(連続的な特性による診断)と呼ばれています。
この視点に立つと、自閉スペクトラム症か注意欠如・多動症かという問いは意味を成しません。なぜなら両者はそれこそ穂高連峰のように連続的に重なるからです。両者の違いはといえばどの症状がより強く生じているのかということに過ぎないわけです。それどころか、自閉スペクトラム症か統合失調症かという問いすらも意味をなさないかもしれないのです。この両者もことゲノムの変異からは連続性を持っているからです。
先述しましたが、精神科の診断基準はこれから10年ぐらいの間に大きく変わるのではないでしょうか。現行のカテゴリー診断は消失しなくとも、より科学的な方向へと大きな変更を余儀なくされるのではないかと予想されるのです。
われわれは、現在の診断名があたかも実体するものであるかのように扱う事をくれぐれも避けなくてはなりません。最近の研究が示すものは、現行のカテゴリー診断名は仮説に過ぎず、しかもどうやら非科学的であるという精神医学にとって不都合な真実です。

・櫻井芳雄(2023):『まちかえる脳』(岩波新書)
・Weber M(1904): Die “Objektivitt” sozialwissenschaftlicher und sozialpolitischer Erkenntnis. Archiv fr Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, 19(1), 22-87.
・JaspersK(1913):AllgemeinePsychopathologie.Springer.Berlin(.内村祐之等訳『精神病理学総論』(岩波書店)〈1953-1956 年〉
・黒木俊秀(2020):『自閉スヘクトラム症とアタッチメントの発達精神病理学』内海 健、清水光恵、鈴木國文編:『発達障害の精神病理II』(星和書店)
・Costa P.T, McCrae R.R.(1992): Normal Personality Assessment in Clinical Practice :the NEO Personality Inventory. Psychological Assessment, 4(1), 5-13.
・Krueger R F(1999): The structure of common mental disorder. Archives of General Psychiatry, 56(10):921-926.
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