「子どもに性被害について明かさざるを得なかった」 大阪地検トップから性暴力を受けた被害女性が明かす悲痛な胸の内 「私たち家族は地獄のような毎日」

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【前後編の後編/前編からの続き】
元大阪地検トップ・検事正の北川健太郎被告(65)による「性的暴行」事件が混迷を極めている。「準強制性交罪」で逮捕、起訴され、初公判で容疑を認めていた被告が昨年末の第2回公判を前に一転無罪を主張。裁判は仕切り直しとなり、次回の期日は未定のままだ。また、被害者である、元部下で女性検事のAさんは昨年10月、本件に関して被告側に捜査情報を漏えいし、また(Aさんを)誹謗中傷する発言を行ったとして、同僚だった副検事を名誉毀損と国家公務員法違反などの疑いで刑事告訴している。
その経緯は【前編】に詳しいが、このように「検察の闇」に挑むAさんを支えたものの一つが家族の存在である。Aさんには夫と子どもがいる。性犯罪を告発するに当たり、Aさんは家族に何を伝えたのか。そして二人の反応は――。【後編】では、夫、そして子どもの支えについて本人が証言する。
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【写真を見る】上司である大阪地検トップからの性被害にあった女性 心の支えになった「子どもからの手紙」も
Aさんは自ら「被害者に力添えできる検事の仕事が生きがい」と述べるように、日々激務をこなしていた。検事、妻、そして母として、仕事に家事、育児と多忙な日々を送っていたという。とりわけ大きな事件を担当している時期は、徹夜をすることもあるなど仕事に忙殺されていた。そんなAさんを夫は応援し、家事や育児を引き受けるなどのサポートも十分にしていたという。
Aさんが北川被告から性被害に遭ったと主張しているのは、2018年9月のこと。しかし、それを家族に打ち明けるまでに逡巡があったのは当然だろう。昨年10月に行った会見で、Aさんは被害のその夜の様子を明かしている。「(被害を受けて)帰って、汚された体を洗って、洗って、洗いまくりました」「子どもを抱きしめながら、泣きながら寝ました」「夫は優しい人で、家事も育児も手伝ってくれて、ずっと私の仕事を応援してくれていましたので、検事正からレイプされたなんてとても言えませんでした」。
結局、夫に被害を打ち明けたのは、事件から1年以上たった後のことだった。Aさんは事件後、北川被告を許せず、上級庁に訴えようとした。すると北川被告は「地検の検事正による大スキャンダルで、(あなたが)この件を表沙汰にすれば、(私は)自死する他ないと決意している」「大阪地検は組織として立ち行かなくなる」「ご主人にも言わないように」と脅迫し、口止めをしてきたという。また、「複数人の女性と関係を持ったが、失敗したのはあなただけ」とも述べた。Aさんはそれに強い恐怖と憤りを感じ、ついに夫に被害を打ち明けたのだ。
「普段は優しい夫ですが、この時は“北川を殺す”と激高し、“処罰をすべきだ”と言っていました。しかし私は当時、“検事を続けたいし、組織や職員に迷惑をかけたくないから、処罰できない”と思っていました。それを夫に伝えると、夫も泣く泣く“処罰できないのであれば、北川被告が損害賠償をすると言っているので受け取らざるを得ない”“罪を償わせるためにはそれしかない”と。私も夫も別にお金が欲しかったわけではありません。でもその時はそれしか方法がなかった。損害賠償金を受け取ることは被害者としての正当な権利行使ですが、それでも口止めをされ、北川被告を処罰もできなかったので、汚いお金を握らされた気がして、惨めで屈辱的な気持ちになりました。それでも夫は変わらず、私がその後も検事として仕事をするためにサポートを続けてくれた。でも、この件についてはお互いに話もできなくなっていきました」
こうしたAさんや家族の苦しみを横目に、北川被告は検察庁を2019年に退職。「口外しないなら喜んで死ぬ」とまで言っておきながら、自らはホテルで盛大な退官記念パーティーを開き、多額の退職金を手にし、以後は弁護士として活動。検察幹部や後輩の検察官と飲み歩き、まるで関西検察のドン然と振る舞っていたという。
「被害感情を逆なでされ続けました。私は少なくとも、北川は私が所属する検察組織にはもう関わろうとしないはずだと信じていましたから……。精神的にどんどん追い込まれ、心の病が悪化しました。ついに夫から“このままだと死んでしまうかもしれないから病院に行ってくれ”と言われました。受診したところPTSDで仕事は無理だと診断されました。北川が処罰されないままでは、検事の仕事ができなくなる……。そこで検事としての尊厳と家族との平穏な生活を取り戻すために、被害申告をすることを決めました。夫に伝えると、“応援する”と言ってくれました」
かくしてAさんは昨年2月、検察組織に被害を打ち明け、刑事告訴に踏み切ったのである。それに当たり、北川被告には先の損害賠償金を全額返金している。しかし、その後、【前編】で述べたような副検事の言動を知った。
「しかも、それを検察組織は放置していました。私の体調は悪化し、再び病欠に追い込まれた。本来助けてくれるはずの検察組織にも裏切られて孤独で、誰も助けてくれないことが怖くて……。家でもずっと塞ぎ込んで泣き続けていました。夫が私の悩みを聞き続けてくれました。夫も、どうしたら私を救えるかと苦しみ続けています。夫には本当に感謝していますが、夫もまた事件の被害者なのです」
夫に打ち明けるのさえ辛い経験だったはずだが、Aさんは子どもにも性被害を打ち明けている。いや打ち明けざるを得なかったというのが正確なところだ。
「救いを求め、組織の問題を内部告発するために、昨年10月、会見を行わざるを得ませんでした。この件がたくさん報じられたのはよかったですが、個人情報を秘匿していたのに自宅に取材に来る記者さんがいた。子どもと接触してしまう可能性もあり、子どもに被害を打ち明けざるを得ませんでした。子どもには詳しい話はしていませんが、検察庁内で、上司の人から性的な被害を受けた、と。『性的な』と言えば何があったのか分かる年齢ではあります。“ずっと前に被害を受けたけど最近まで言えなかった。今、裁判になってる。その後も検察庁の中でいろんな被害を受けている”“だから仕事に行こうとしたけど行けなくなってしまった”と。子どもは“すぐに訴えたらよかったのに”とすごく怒ってくれました。その後は、子どもなりに、私が大変な状況だから、この件について触れないようにしてくれていて、報道も見ないようにしています。母親に甘えたいのに我慢して気遣ってくれています」
Aさんにとって、この間ずっと支えとなり続けているのは、子どもが事件前に書いてくれた手紙だという。
「夜遅くまで仕事をしている日も多く、そんな日は、子どもが起きている間に帰宅できなかったのですが、帰宅すると子どもが手紙を書いてくれていました。紙の切れ端に“ママお帰り”“起きたらちゅーしてね”“起きたらぎゅーしてね”“お仕事ありがとう”と。それが私の心の一番の支えでした。切れ端の手紙を持ち歩いたり、職場に置いたりして、苦しい時はそれを見て仕事を頑張っていました。それなのに、北川や副検事、そして検察組織によって仕事もできない状態に追い込まれてしまった……。今はその手紙を家に飾り、私の近くに置いています」
Aさんは同様の理由で昨年10月の会見後、母やきょうだいにも被害を伝えざるを得なかったという。
「年老いた母は毎日ずっと泣いています。きょうだいもずっと心配してくれています。私たち家族は、未来が見えず、地獄のような毎日を送っています。そんな中で、集まった6万筆の署名(「事件の厳正な捜査と真相解明と求める」として法務省などに提出された署名)は本当にうれしかった。孤独だった私たちに大きな力を与えてくれました。事件の真相を知りたいし、尊厳と正義を回復するために厳罰を求めていきたい。検察組織には被害者に寄り添った適正な対応をしてほしいし、共に戦ってほしいと思います」
前編【副検事が“セカンドレイプ”に加担… 「これでお前も俺の女だ」と部下に性的暴行を加えた大阪地検トップ、被害者が怒りの証言 「検察の組織としての問題が根底に」】では、被害女性が語った、検察組織が抱える根深い問題について報じている。
「週刊新潮」2025年2月27日号 掲載

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