〈女子少年院の実態〉「薬を打たれてヤッたことが忘れられなくて辛い」と相談も…元法務教官は「加害者になる以前に、被害者だったケースがほとんど」

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女子専用の少年院は、現在全国に9施設ある。そこには、窃盗、傷害・暴行、詐欺、薬物などの罪を犯した、おおむね12歳から23歳未満の「少年」が収容されている。少年法では20歳未満の者を「少年」と定義しているため、女子であっても「少年」と呼ばれる。関東近県の女子少年院に約5年間勤務した元法務教官のA氏は、「心身をすり減らすことも多かったが、少女が変わる瞬間に立ち会えたのは貴重な時間だった」と振り返る。
【画像】元刑務官が見た「薬物依存症の少年が性依存に苦しむ姿」
A氏が勤務していた女子少年院では、薬物や窃盗の罪を犯し、家庭裁判所で少年院送致の決定を受けた女子少年を、100人に満たない規模で収容していたという。
A氏の勤務形態は、日勤日は9時から17時まで、週に1回の夜勤日は仮眠を取りながら朝から翌朝まで勤務するというものだった。
収容者のほとんどが義務教育を受ける年代であるため、日中の大半は教育活動が行われていたという。
「収容されているのは、小学生以上の12歳から23歳の少年で、知的レベルもさまざまです。そのため、教育活動といっても、教室で黒板を前に全員が同じ内容を学ぶのではなく、個々の理解度に合わせて進めます。学習は5教科ごとの教材を用いて行い、法務教官は常に教室内を見回り、少年たちが挙手した際には質問に答えます。
また、独居室にいる少年は室内にブザーがあるので、そのブザーが鳴ったら対応に向かいます。IQ70台の『境界性知能』の少年も多く、20代でも九九ができない、漢字が書けないというケースもありました」
刑務所と同様に、女子少年院でも日常生活において私語は厳禁である。ただし、収容者は少年であるため、1日1回または2日に1回は必ず少年と教官が話す時間が設けられていたという。
当時20代だったA氏は、ほぼ同年代の少年たちから、次のような悩みを打ち明けられた。
「親がヤクザで、幼い頃から薬物が身近にあった19歳の子でした。全身には立派な刺青が入っていましたね。その子は同年代の友人と共に海外まで薬を仕入れに行き、売人をしていました。
そして、『更生できたとしても、あの子(友人)との関係を断ち切って新たな人生を歩むのは簡単だけど、それだけで本当にいいのだろうか』と悩んでいたんです。
難しい問題でした。2人で一緒に考えながら、『断る勇気』や『危険を察知する力の身につけ方』など、さまざまな選択肢を模索しました」
「薬を打たれてやったセックスが忘れられなくて辛い」
また、薬物依存症の少年が性依存に苦しむ姿も見たという。
「覚醒剤依存の少年のほとんどは、父親や周辺の成人男性に無理やり薬を打たれたり、誘われて打ったりしてしまうケースがほとんどです。そして、もれなく近親相姦やレイプ、セックスに誘われています。
『薬を打たれてやったセックスが忘れられなくて辛い』と相談を受けたこともありますし、自由帳に『シャブやりたい、セックスしたい』と書き殴る子や、卑猥な絵を描く子もいました。中には、週2回の入浴中に湯船の中で自慰行為を始めてしまう子もいました」
また、出所を迎えたものの、「この子は本当に更生できたのだろうか」と疑念が残る少年もいた。その子は14歳にして地元の“ドン”のような存在になり、さらに1児の母でもあったという。
「その子は、売春をはじめ、薬物や暴力など、あらゆることを経験していました。私たち教官を騙したり、困らせたりすることをおもしろがっていて……。
たとえば、『頭が痛いから薬がほしい』と言うので頭痛薬を渡したところ、別の教官には『A先生にお腹の薬を頼んだのに、頭の薬を渡された』と言い、私が始末書を書く羽目になったこともありました。
満期を終えて出所しましたが、更生してまっすぐな道を歩む少年がほとんどの中で、その子は異質な存在でした」
一方で、見違えるように更生した少年もいたという。それについてA氏は、「あのような瞬間に立ち会えたことは、なによりの宝物」と語る。
「その少年は不良グループでの窃盗恐喝などの罪で入所したのですが、院内でも粗暴で反抗的な態度が目立ち、集団生活ができずに独居で過ごしていました。
でも、あるキリスト教団体から贈られたお菓子と、『主はみんなを見ている』と書かれた小冊子を読んだそうです。その内容に感動したのか、『神という存在を初めて知った。これを指針に生きていける』と内省ノートに綴っていました。
その後は表情からも警戒心が薄れ、態度も穏やかになり、ついには独居から集団部屋に移ることができました」
あわせてA氏は「人からの指示ではなく、自ら手にして読んだものだからこそ、彼女の心に響いたのだと思う」と話す。
また、少年たちだけでなく、その親たちとも向き合ってきたA氏。しかし、「少年の変貌」よりも、「親の変わらなさ」のほうが深刻だったという。
「少年と親の面会には、数多く立ち会いました。でも、いきなり説教を始める親や、少年が何を言っても無関心な親が多く、少年の目を見て話を聞く姿勢の親は、ほんのわずかでした。
家庭環境が悪い中で育った子どもは、そもそも家庭が安心できる居場所ではないため、再犯率も高く、少年院に戻ってくるケースも少なくありません。子どもの目を見て、その様子を見守る――そんな当たり前のように思える姿勢が、彼女らの親にはありませんでした」
また、父親や成人男性から薬を打たれ、苦しんできた少年を多く見てきたA氏だからこそ、ある思いに駆られたことがあったという。
「女子少年の犯罪の裏には、男子少年や成人男性、そして実父や義父の存在があることが多かったです。特に薬物系は顕著。だからこそ、『また男のせいか……!』と苦しくなることもありましたね。
女子少年の多くは、加害者になる前に被害者なんです。女子少年院は、社会の泥をすくって、綺麗に返していくような場所でしたね」
A氏は、法務教官として生涯働き続けていきたいと考えていたが、家庭の事情やさまざまな要因から離職。しかし「将来は保護司になりたい」と今の心境を語る。
「少年のためになることをしたいという思いは、今でもずっと残っています。今後の人生のどこかで、それを実現できればと思っています」
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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