ポリープ13個で大量下血鬱病夫スマホ「はだけた女性」と350万借金…製薬会社40歳女性係長が飲んだ煮え湯

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北海道地方在住の胡麻由芽さん(仮名・50代)は、銀行員の父親と製造系の会社員の母親のもとに、第2子として生まれた。4歳上に兄がおり、戦争未亡人の父方の祖母と同居していた。
「父は仕事柄コミュニケーション能力が高いですが、家庭を顧みず、土日も接待という名の趣味に没頭する自分ファーストな人。母も私が物心ついた時には正社員でバリバリ働いていて、常に帰宅は19時や20時。夫に頼らなくても何でもできるという自信のせいか、パワフルでプライドが高く、『私は忙しくて必死なんだから、自分たちでちゃんと勉強とかしなさいよ!』とガミガミ言うだけで、休みの日は息抜きに実家ばかり。そんな両親なので、愛情を受けたという記憶がほとんどありませんでした」
母親は産前1週間、産後3週間の産休・育休を経て、仕事に復帰。胡麻さんは生まれた時に「先天性股関節脱臼」があったほか、生まれつき体が弱くて入退院を繰り返したため、母親は胡麻さんが3歳くらいまでは子連れで通勤し、胡麻さんを会社の託児所に預けて働いた。
しかし、その後の胡麻さんを育ててくれたのは父方の祖母だった。祖母は田畑仕事をしながら家事をし、胡麻さん兄妹を育てた。
いつの頃からか、胡麻さんは両親が不仲だということに気づいていた。家族そろって食事をすることも、旅行に行くこともない家庭だったが、幼い頃は近所の幼馴染や祖母の友だち達と過ごしていたので寂しさはなかった。
「家計は、遺族年金と年金収入のある祖母、会社員の父・母の3人それぞれ独立していました。裕福な家庭だったと思いますが、子どもにお小遣いをあげる考えがなく、各自独立していたため、当時現金で渡していた給食費の入れ忘れがたびたびありました。そもそも会話がない家庭だったため、大人たちはみな『誰かが渡しただろう』と思い込んでいたのです」
父親は教育に無関心。母親は忙しさから子どもと向き合う時間がほとんどない。小学校行事は、主に祖母が対応してくれた。
「私が小3~4の時の担任は、私の父が小学生だった頃の新任教師で、4歳上の兄も担任だったことがありました。そのため、『お父さんやお兄さんは賢かった。あなたは本当に頭が悪いね。本当にあのお父さんの子なの?』と嫌味を言われました。給食費を忘れて4キロの距離を走って取りに帰らされたり、同じ服ばかり着て不潔だと言われたり、前髪が長いと言ってガタガタに切られたこともありました」
それを知った祖母は担任と話をしてくれたが、その翌朝、胡麻さんは担任から呼び出され、「家の人に私のことを何て言ったの? 告げ口して! 担任の事を悪く言うのはダメなことなんだよ。よーく覚えておきなさい」と睨まれた。
翌日から胡麻さんは不登校になった。何があったかは話さず、ただ「学校に行きたくない。お腹が痛い」と訴えたが、母親も何があったのか聞かず、無理やり車で学校に連れて行くだけ。胡麻さんは学校へ行くフリをして押し入れに隠れたり、近所の叔母の家に隠れたりして、3~4年生の約2年間をやり過ごした。
その担任は、胡麻さんが小5になる年に他校へ転勤になり、1年後にクビになったという。胡麻さんの他にもあまり勉強が得意でない5人ほどが目をつけられ、嫌味を言われたり廊下に立たされたりと、理不尽な扱いを受けていたようだ。問題が明るみになって他校へ飛ばされ、他校でも同様なことがあり、お払い箱になったのかもしれない。
「え! 進学した? どこの学校だ?」
高校生になった胡麻さんは、入学式の朝、突然父親にこう言われて面食らった。父親は、娘がいつもと違う制服を着ていたことに気づいたのだ。
「母も祖母も、私が進学したことを父に伝えていないことも驚きましたが、父自身、自分の娘である私のことを知ろうともしていなかったことを知り、唖然としました」
やがて、高3になった胡麻さんは、「短大でもいいから」と進学を希望したが、母親に「働いて」と言われ断念した。
「当時、兄は1年浪人して県外の4年制大学に在学し、さらに2年大学院へ。親からの仕送りでアパート暮らし。同時期、父も県外に単身赴任中で、3カ所バラバラの生活は支出が多く、家計がきつかったのでしょう。のちに奨学金で進学という方法を知りましたが、その時は誰も教えてくれませんでした」
就職した胡麻さんが稼いだお金の半分は、母親によって勝手に家に入れられていた。文句を言うと、「家に入れるのが当たり前でしょ! 家賃がいらないんだから安いものよ」と言われ、定期預金通帳とハンコは母親に管理された。
母親に縛られていると感じた胡麻さんは、友人や職場の同期の家、彼氏の家などを転々と泊り歩き、極力家に帰らないようにした。
そして成人式前の年末、祖母が肝臓胆管がんで余命3カ月と診断される。
同じ頃、就職先は赤字続きで同期が次々と退職しており、胡麻さんも「余命わずかな祖母に寄り添いたい」と退職。昼間は入院先で祖母に付き添い、夜は居酒屋でアルバイトをする。
祖母は半年後に亡くなった。
その年の9月、製薬会社に正社員として採用されるが、父親はまだ単身赴任中で兄は大学院。胡麻さんはやはり実家を避け、友人や彼氏の家を渡り歩いた。
胡麻さんは20歳頃、機械系の会社員である同じ歳の男性を友人から紹介され、24歳の時に結婚。結婚後は、母親から催促されるため仕方なく、お盆と正月、法事などの行事の時は夫と共に実家に顔を出した。
結婚3年後には、胡麻さんの貯金500万円を頭金として3000万円のローンを組み、新築一戸建てを購入。過疎化が進む不便な山間に暮らす義両親を思い、同居を申し出たが「住み慣れた土地を離れたくない」と断られた。
なかなか子どもを授からなかった2人は、不妊治療を経て28歳の時に長女、その2年後に次女に恵まれた。
マイホームを購入したばかりだったため、夫に「産前産後休だけですぐ働いてほしい」と言われ、胡麻さんは産後2カ月で復帰。月・水・金は義母。火・木は実母に家に来てもらい、帰宅するまで子どもたちを見てもらった。
「母乳が出過ぎたため、仕事を2時間毎に抜けてしぼり、冷凍して持ち帰っていました。離乳食期には、子どもの離乳食はもちろん、母たちの昼ご飯も用意して出勤していました。私が育ったような会話のない家族はこりごりだったので、『あんな家庭にはなるまい』という思いが強く、仕事を続けても家事や子育てに手を抜きませんでした。夕食はなるべく家族そろって食べ、子どもがしたいと思う習い事に協力し、年に1~2度は家族旅行。夫は月曜定休だったので、休日のタイミングが合わず大変でした」
長女の子育てが大変だったので、次女が生まれた後は「保育所が受入れ可能な7カ月まで育休させてほしい」と夫に頼み、次女が7カ月になったときに、2人同時に保育所に預け、送迎は胡麻さんがほぼ1人で担った。
「夫は日曜隔週、月曜定休日。平日の帰宅は、20時~21時が当たり前。12月~3月決算期は深夜帰宅。今みたいに共働きだからって“家事育児分担”なんてなかった時代です。仕事が忙しいので頼み事なんてできません。かろうじてゴミ出しだけやってくれていました。子どもの行事は、卒園式・入学式・卒業式、これだけは休んでもらいましたが、他は夫は欠席です。その代わり、双方の祖父母に参加してもらいました。休みが合えば家族でショッピングや旅行をしましたし、子どもが小学校に入った頃は習い事が増え、送迎の協力があったりもしましたが、ほぼ私一人で奮闘してましたね」
40歳になった胡麻さんは、20年勤務してきた製薬会社で係長になっていた。
仕事に家庭にと、ますます多忙な生活を送っていた胡麻さんは、健康診断で便潜血の指摘を3年間無視し続けた結果、2月に大量の下血に見舞われ、ようやく病院を受診する。
即刻検査入院することになったが、直腸・大腸・小腸にポリープが13カ所点在していることが判明し、全て内視鏡術で摘出した後、内視鏡では摘出できなかった部分を開腹術で切除。約1カ月入院した。
「会社側の大きなプロジェクトに関わっていた途中で急に休職し、私が休んでいる間に運営が行き詰まったようで、復職した時は周囲の視線が冷たく、上長は不機嫌でした」
4月中頃に胡麻さんが復帰すると、プロジェクトチームを外され、4月下旬には異動になった。
「この時、中学生になった長女の反抗期が始まっていました。当時は職場の異動で仕事に慣れず、子育てにも悩んでいたため、夫に仕事や長女の相談をしたら、『仕事を家庭に持ち込むな! 俺も忙しい。反抗期なんだからほおっておけ』と叱られました。後から考えると夫も課長になり、一番忙しい時期でしたし、異動は会社側の配慮だったと気づきました」
同年7月。会社の朝礼で意識を失って倒れた胡麻さんは、救急搬送先でうつ病と診断された。
「4月から平均睡眠時間は1日3時間。眠っても中途覚醒を繰り返していました。10キロほど体重が落ちたのは、ポリープを取った後に食欲が落ちたせいだと思い込んでいました」
病院から「すぐに休職を要する」と会社へ通達。精神科医から「職場にも家にも課長がいて、気が休まらなかったね」とかけられた一言に、胡麻さんは涙が止まらなかった。
同年11月、主治医から半日だけ出社する許可が下り、12月から1日6時間勤務の許可が出た。
胡麻さんは、「私はまた人の役に立てるんだ」という喜びでいっぱいだったが、早朝覚醒はまだあり、服薬は続けていた。
12月初旬のある朝、早朝に目が覚めてしまった胡麻さんは、リビングに置いてあった夫の携帯電話にメールの着信があり、「こんな時間にメールなんて、緊急な用事かも?」と思い手に取る。すると表示された文面が、明らかに女性からのもの。気になった胡麻さんは、パスワードにあたりをつけて入力してみると、2回目で開いた。
「目にしたのは半裸の写メと『さっきの跡つけたとこ』という文面。血の気が引き、手が震え、倒れそうになった記憶が今も残っています。携帯の写真フォルダーを遡るともっと過激な写真もあり、4月ごろから不倫していたようです」
月曜休みの夫のため、日曜の夜、子どもたちが寝たことを確認してから不倫を問いただし、「離婚したい」と伝えると、夫は「家庭を壊す気はない。遊びだったから別れる!」と土下座。相手の女性とはゲームセンターで知り合い、本名も住所も知らないらしい。
双方の両親に伝えると、実母も義母も「子どもたちのために我慢して!」と言い、離婚を踏みとどまらされた。渋々再構築することにした胡麻さんだったが、うつ病が重症化。再び休職し、今度は部屋から一歩も出られない状態に。
「この頃の記憶はほとんどないです。12月後半には何度も自殺未遂し、強制入院も何回かあったはず。中1と小5の子どもたちには母が説明したようですが、『お母さんがおかしくなった』と思ってたのではないでしょうか。声もかけてこなかったですね。全く何もできず、家のことは夫や母たちがしてくれていました」
そして1年経った頃、会社から「これ以上の休職は規定上無理だから、出勤するか退職するか選んでください」と連絡が来る。胡麻さんは主治医に短時間勤務の許可を願い出て、1日6時間まで働き始めるが、帰宅すると力尽きていた。
不倫発覚から3年目のある休日、子どもたちは義実家に泊まりに行っていない中、夫が激昂して言った。
「俺だって必死だし、疲れている! 少しは家の事しろ! 休みに好きなこともできない。我慢してやってる。子どもらも家にいたくないから実家へ逃げた。俺も逃げたい。やってられない!」
夫は怒鳴りながら家具を蹴ったり置物などを投げたりし始めた。当時飼っていた犬が、驚いて吠え、ケージの中から夫に威嚇していた。怖くなった胡麻さんが裸足で外へ逃げると、近所に住むママ友が胡麻さんの兄宅へ連絡してくれた。
「こうしたことはこの日が初めてではありません。口論になって怒鳴られたり、無言で家具を蹴ったりということが何度かありました。うつ病になってからの記憶は曖昧ですが、この時のことは鮮明に覚えています」
兄と実母が間に入って話をしたところ、夫にカードローン2社の、合計350万ほどの借金があることがわかる。趣味の車や、不倫で旅行やホテル代などに使ったという。うつ病になった胡麻さんの代わりに夫が家計を管理していたが、その間に子どもたちの学資保険も勝手に解約されていた。
一旦その場は収まったが、父親の借金のせいで高校の授業料を奨学金でまかなうことになった上、その年の夏の部活の遠征費用などが払えないといった状況を知った高1の次女は、大きなショックを受けた。
また、長女は高3で進学を希望していたが、父親から「全額、奨学金で行け」と言われ、今までにない怒りを露わにする。
「あいつ(父親)に出て行ってもらえば? 今までのこと全部知ってるし。あいつが原因だから、離婚したら母さんの病気も改善するし」
長女のこの言葉にハッとした胡麻さんは、すぐに兄に相談。兄が間に入り、夫に離婚や自宅売却の話をしたが、拒否されたため、離婚調停に。
不倫相手と夫は、最初に不倫が発覚した時から2年以上関係が続いていたことが判明し、担当した弁護士から夫の不倫相手の女性に「慰謝料を請求できる」と言われた。だが、夫がかばったのか相手に逃げられたのかは不明だが、この時はすでに別れていて相手の本名も住所もわからず、電話番号は解約されていて請求できなかった。
2015年11月。45歳になっていた胡麻さんは、うつ病で休みがちだった会社から自主退社を迫られ、退職。
退職金と自分の貯金で夫の借金を完済し、自宅を売却して残った金額が60万円。引っ越し費用・家財道具の償却代でその半分が消え、残りを胡麻さんがもらい、子どもたちがそれぞれ就職するまで1人月3万円の養育費を払うことで夫とは決着がついた。
わずかなお金を手に、高3と高1の娘たち、飼っていた犬1匹を連れて実家に身を寄せた胡麻さんは愕然とした。実家はゴミ屋敷と化し、家計も完全に破綻していたからだった。(以下、後編へ続く)
———-旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。———-
(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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