NPO法人『福祉広場』代表の池添素さんは、不登校や発達障害の子どもと親にかかわり続けて40年、子どもの不登校に悩み苦しむ親たちを支えている。
その池添さんと出会った家族と池添さんにジャーナリストの島沢優子さんが取材する連載「不登校と向き合うあなたへ~待つ時間は親子がわかり合う刻~」。2025年1月21日に公開した第10回では、保育園時代から発達障害の特性があり、小学4年生から不登校になった娘・なんこさんと向き合う母・有理子さんについてお伝えした。
第11回では、なんこさん自身に当時を振り返ってもらう。小学4年生から不登校になったなんこさんは、今は大学に通いながらモデルの仕事をしている。前編【小4で不登校になった大学生の女性が振り返る「母に救われた言葉と行動」】では、後から振り返って気づいた「学校に行けなくなった理由」や、家族との関わり合いについてお伝えした。後編では、モデルになった理由と、自分自身の変化について。なんこさんを見守っていた母・有理子さんを支えた池添さんの言葉とは。ジャーナリストの島沢優子さんがレポートする。
――モデルになったきっかけは?
なんこさん(以下、なんこ)中学2年生のときに、お母さんの知り合いのカメラマンさんが、ストックフォト(紙媒体やweb記事を始め一般でも使用されるフリー写真)のモデルを探していて、誘われたのがきっかけです。お母さんに「なんこ、モデルせえへん?」って言われて、ええよって、まあ何となく面白そうかなって軽い気持ちで引き受けました。
――高校2年生のときに売れっ子のカメラマンさんが撮ってくださって、そこからさまざまな声がかかるようになったとお母さんから聞きました。モデルの仕事は自分に影響を与えましたか?
なんこ自分の自信にはなったかなと思います。高校も楽しかったし。
――中学、高校と進むなかで何か自分で変わったなと思うところってありますか?
なんこやっぱり性格が変わったなと思います。人の気持ちをちゃんと考えるようになった気がします。小学校の高学年まではあまり考えずにポンと発言して気まずい雰囲気になったこともあったように思います。でも、ちょっと知恵を使って、発言するようにはなりました。
――それはどうやって学んだのかな?
なんこ小5、小6のときに友達とのトラブルが多かったんですね。例えば私とけんかしてるというかちょっとこじれている子がいると、私が先生にあの子がこんなことしてた、みたいな感じで言ったこともあって。でも後から考えたら、私が悪いわけです。なんで自分は(友達を)悪者扱いしようとしたんやろう? って、すごく反省しました。
――自分がやったことを振り返ることができたんだね。
なんこそうですね。そんなことが積み重なって、あんまり人とトラブルがないよう、けんかせずに生きていきたいなって思うようになりました。
――自分でそう思ったんだね。素敵だね。そうやって自分から言えるのもすごいと思います。そのうえ、高校では常時クラスで2、3番をキープする好成績だったと聞きました。
なんこ1学期の中間テストで結構高い点がとれて、自分でもびっくりしました。上位だったので下がりたくないなと思って、テスト前でなくても勉強しました。勉強すれば結果がついてきたので、そこでも自信になりました。
――その結果、指定校推薦で大学受験をし、特待生で入学できたんですよね。特待生は入学金や学費が免除になるので、親孝行しましたね(笑)。お母さんは「経済的に助かったけれど、娘のがんばりが評価されたのが一番嬉しい。不登校でも大学で特待生になれたんです」とおっしゃっていました。
なんこ私としては自分が学びたい学科があった大学を選んだだけなのですが、合格したとき母も父もすごく喜んでくれました。高校選びで背伸びしなかったのが良かったのかなと思います。
――この春から大学2年生になりますが、ご自分の将来をどんなふうに考えていますか?
なんこ(大学は)文学部で日本史学科なのですが、アニメとかゲームの影響で日本史に興味を持ちました。大学で学芸員の資格が取れたら、それを生かせたらいいなって今は考えています。モデルの仕事も続けたいですね。ポートレートや写真家さんの作品作りにも参加しているので、そちらの仕事も精一杯やっていきたいと思っています。
――不登校になった子どもに伝えたいことはありますか?
なんこ不登校になっても、いろんなことを「あきらめないで」と言いたいです。みんなが自分のやりたいことをやれるといいなと思います。
こころが洗われるようなインタビューだった。発達障害という特性もあってなのか、小学校高学年で起きたトラブルを自分の至らなさとして素直に自省。成長につなげている。そして、自分を信じ伴走してくれた母親に感謝を述べる。モデルとして見せる美しい姿以上に、こころの清らかさに感動させられた。
――もつれた糸をほどく作業に時間がかかってしまいます。でも、糸がきれいにほどけて、子どもを信頼して待つところまでたどり着いたら、あとは子どもが動いてくれるように思います――
この言葉は、前回の連載でも伝えた池添さんの言葉だ。母子をサポートした池添さんは「有理子さんがなんこさんを信頼し、娘の意思を尊重したからこそ、わずか1年ちょっとで学校に行けるようになった」ととらえている。
なんこさんが不登校だったころ、池添さんは有理子さんから「先生、うちの子、漢字の書き順がめちゃくちゃなんです。これ、ちょっと直したほうがいいですかね?」と質問された。それに対し「漢字の書き順が間違ってても、大人になって困らへんよ」とバッサリ答えた。
――いらんお世話は焼かんでよろし。子どもの言葉を聞いて、本人の自由にさせることで、学校に行くためのエネルギーを貯めることができるんやから、好きにさせてあげなさい――
――学校は子どもの教育に活用すべき資源やけど、それが子どもの世界のすべてではない。学校以外の居場所もあったほうがいいよ――
これらの言葉を池添さんから授けられた有理子さんは、なんこさんがやりたがった習い事やポールダンスを不登校中も継続させた。そのことを、なんこさんは「お母さんが堂々としていたから、自分もこれでいいんだと思えた」と述懐している。不登校中に得た自己肯定感は、その後の彼女の人生で大きな支えになったはずだ。
一般的にネガティブなイメージで語られがちな不登校だが、当事者である親子の考え方次第でポジティブに変換される。そんな学びを、この母子の物語から得ることができた。有理子さんはこう話す。
「保育園の行事はほぼほぼ参加できなかったし、苦手なものがいっぱいあった。その子がいま、ああやってカメラの前でポーズをとって生き生きとモデルの仕事をしている。本当に夢のようです。ただ、冷静になってみると、発達障害は年齢を経て発達していくことで凹凸が少しずつ少しずつ丸まっていくんだなと実感します。それも通ってみてわかることで、渦中にいると迷うんですよね」
迷うからこそ、池添さんや福祉広場のような羅針盤が必要なのだ。有理子さんが前回の記事を紹介したSNSの投稿には、こう綴られている。
「不登校や親子関係について、対処や関わり方は家庭ごとに異なるだろうし、どれが正解不正解はないと思う。我が家はこれでうまくいったが、他に当てはまるとは限らない。でもこういう手段もあるのかと、方法の一つとして読んでほしいし、困っている誰かの一助になればいいなと思う」
小4で不登校になった大学生の女性が振り返る「母に救われた言葉と行動」