インバウンド需要の高まりや物価上昇などに伴い、都内のホテルは軒並み宿泊費が上昇している。この影響をモロに受けているのが出張が多い営業マン。前編記事〈30歳営業マンが青ざめた…「ホテル代高騰」でも「出張宿泊費は据え置き」で月5万円以上の「自腹地獄」〉では、会社支給の宿泊費の上限が変わらないため、ホテル代の一部を「自腹」で建て替え、毎月給料の約2割が宿泊費で消えるという不動産会社の営業マンの事例を紹介した。このような状況下で、企業はどのような対策をすればよいのか。社会保険労務士の木村政美氏が解説する。
本記事の登場人物
A上さん:30歳、福岡本社勤務の不動産会社「甲社」の営業マン。元々は東京の営業所に所属していたが、営業所縮小に伴い本社勤務に。現在は毎週木・金の2日間、東京へ出張し、クライアント対応や新規開拓を担当。会社支給の宿泊費を超えるホテル代を自腹で建て替えていたら、その負担が月56,000円に達し、生活が苦しくなっている。
B沢さん :営業課長。A上さんから宿泊費の値上がりについて相談を受けたが、出張の宿泊費上限8,000円内で収めるようにと突っぱねた。
甲社社長:A上さんが勤める甲社の社長。ケチとして知られるため、宿泊費の上限を引き上げるか怪しいところ。
そもそも出張とは、業務の目的で普段の勤務地を離れて別の場所で働くことをいう。社員が出張を拒否できるかどうかは、雇用契約や就業規則、状況により異なる。雇用契約書や就業規則に「出張あり」と明記されている場合、面接や業務説明時に出張の可能性を伝えられていた場合などは、業務命令での出張を拒否できないと考えられる。
逆に雇用契約書等に「出張なし」と明記されている場合、業務命令により出張をさせることはできない。また業務命令で出張をさせる場合でも、下記のケースに該当すれば出張拒否が可能であるとされる。
〇業務に必要がないのに出張を命じられた場合
〇社員の不利益が大きすぎる出張(期間が長期にわたる、極端に低い手当など)の場合
〇健康状態や家庭の事情などのやむを得ない事情がある場合……など
出張にかかる経費は主に次のようなものがある。
〇交通費:勤務先以外への移動で発生する費用。公共交通機関の料金、タクシー代、レンタカー代、自家用車や社用車のガソリン代などが該当する。多くの企業では「最も経済的なルートで移動する」「タクシー利用は事前承認が必要」などのルールが設けられている。
〇宿泊費:宿泊を伴う出張時に支給される費用。実費支給や一律の金額支給など会社ごとに異なり、実費支給の場合、甲社の例のように上限を超えた分は自己負担となる場合もある。
〇出張手当及び日当:普段と異なる環境での業務や雑費の補填として支給される手当。法律で義務付けられているわけではなく、支給の有無や金額は会社ごとに決める。交通費や宿泊費とは別に支給される場合と、これらを含めて支払われる場合がある。
〇食事代:取引先の宴会参加や、クライアントとの会食など業務上必要な場合は支給されることがあるが、通常の食事にかかる費用は自己負担の場合が多い。
また、出張費の立替精算とは、出張の際に発生する費用を一時的に自己負担し、後で会社に請求して返金を受けることをいう。基本的に出張費の立替精算自体は違法ではない。
2023年5月以降、新型コロナウイルス感染症が「5類」へ移行して移動制限がなくなったこと、訪日外国人数の増加に加えて、物価上昇や宿泊施設における人材不足等によるコストアップに伴い、日本国内でも、ホテル・旅館等宿泊施設の料金が軒並み高騰している。
産労総合研究所が発表した「2023年度国内・海外出張旅費に関する調査結果」によると、国内出張で企業が支給する宿泊料は全地域一律の場合1泊あたり8,606円、実費上限の場合は同9,117円であり、宿泊費の高騰にもかかわらず据え置かれる傾向にある。
東京都内や横浜市のビジネスホテルなどでつくる「東京ホテル会」の統計では、加盟する約260のホテルの平均客室単価(2024年8月)は16,556円。2019年8月は10,804円だったので、この5年で1.5倍値上がりしたことになる。この高騰は人手不足や諸経費の増加などの問題が改善しない限り当面続くだろう。大阪、名古屋などの大都市でも、時期や場所にもよるが、1泊10,000円以内で宿泊できるビジネスホテルが減少する傾向が見られる。
法律では企業に出張経費を支払う義務を定めていない。労働者に食費や作業用品などの業務上の負担を求める場合、その内容を就業規則への明記が必要で、(労働基準法第89条第5号)出張にかかる交通費や宿泊費を労働者が自己負担する場合も同様である。
しかし、本来業務上必要な経費は企業が負担するのが原則である。自己負担が高額で給与水準に見合わない場合、社員の退職や人材確保の困難につながるだろう。
また、就業規則に出張経費の支払いや計算方法が明記されている場合、企業はその定めに従って支払う義務があり、不支給や定めより少額の支給は就業規則違反になる。
雇用契約時に出張の説明がなくても、就業規則に「業務上必要な場合は出張を命じる場合がある」と記載されている場合、単に「出張したくない」「特定地域には行きたくない」といった理由で出張を拒否することはできないとされている。合理的な理由なく出張命令を拒否すれば、業務命令違反として懲戒処分を受ける場合がある。
では、出張拒否の理由が「宿泊費の高騰で自己負担が発生する」場合はどうだろうか。A上さんのケースでは、1か月あたり56,000円もの自己負担が生じ、明らかに不利益を被っていると言えるし、改善を求めても上司が取り合わず、会社が問題を放置していたことになる。このような場合、出張命令が合理性を欠くと判断され、業務命令違反としての懲戒処分を下したとしても、訴えにより無効となる可能性が高いと考えられる。
A上さんのような理由で宿泊費の自己負担額が発生している場合、都市部、特に東京での宿泊料金が上昇している現状を踏まえ、規定を見直す必要がある。現行の規定では宿泊費を十分にカバーできない場合宿泊費は実費支給を原則としつつ、上限額を設定する。その上限額は社会情勢に応じて変動できるよう、規程ではなくガイドラインなどの内規で定めるのが適切であろう。また、
・「できる限り複数の案件を一度の出張で済ます」「出張先との打ち合わせは、あらかじめ事前にオンラインで進めておく」などの方法で出張の回数や時間を削減する。
・宿泊先に早割や割引プランがある場合積極的に活用するなど予約方法を工夫する。
などの取り組みを同時に行うことで、社員が業務を行うのに適切な宿泊施設を利用できる環境を確保しつつ、出張費用を抑えることが可能になる。
A上さんとB沢課長が言い争っているところに甲社長が現れた。
「B沢君に用事があるんだが、けんかとはどうしたんだ?」
B沢課長はバツの悪そうな顔で言った。
「A上君が明日の東京出張を拒否するので『会社命令を守らないとクビになる』と注意したんですが反抗するんです。それで……」
A上さんはB沢課長の話を遮った。
「私は出張するたびに宿代を自腹切ってます。これじゃあ生活できません。社長、どうにかしてください!」
甲社長はA上さんとB沢課長の言い分を聞き、ある提案をした。
「会社としては今すぐ出張宿泊費を値上げするわけにはいかない。だけどA上君に自腹を切らせるのも気の毒だ。だから調べがつくまで当分の間課長の言う通り、カプセルホテルに泊まってほしい」
B沢課長は得意げに言った。
「そうですよね。ほら、私が言った通りだろう」
しかし、甲社長の話はここで終わらなかった。
「明日はA上君ではなくB沢課長に出張してもらう。カプセルホテルに泊まって実際の業務に支障が出るかどうか確認し私に報告してくれ。その結果で今後の宿泊費を検討しよう」
「でも社長、私には課長の仕事があります。出張なんて無理ですよ」
「部下の業務環境を把握するのは課長の仕事だ。そうだろう、A上君」
「はい、そう思います」
翌日の夕方、甲社長の命令で東京に向かったB沢課長だが……。
「あっ、またキーを押し間違えた。もう夜中なのにちっとも作業が進まないじゃないか!」
デスクがないカプセルホテルのキャビンの中で、窮屈な格好でノートパソコンに向かうが打ちミスを連発。おまけに手元が暗くて目がショボショボするわ、肩や腕が痛くなるわで悲痛な叫び声を上げていた。
28歳主任が絶句…「反抗的な新入社員」の初任給が自分より高いことが発覚「会社辞めちゃおうかな」