排卵日の「行為強制」が苦痛…結婚2年、進まぬ妊活で見えた妻の本性 44歳夫のボヤキ

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妻の不機嫌が怖くて、帰宅する時間がどんどん遅くなっていく。そう話す男性は少なからずいる。結婚したときはそうではなかった。子どもができ、結婚生活が長くなるにつれて妻が不機嫌でいる時間が増えた。夫からみれば、「妻が変わった」ということなのだろうが、妻から見れば「家族が増えて生活が変わっていったのに、変わらないのは夫だけだった」ということになるのだろう。
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「僕はごく普通の家庭に生まれ育ちました。姉がひとりいます。大学を出て就職し、結婚したのは30歳のとき。本当に普通の人生を送ってきました。妻は、3人きょうだいの長女で下に弟と妹がいます。そろそろ結婚しようかなと思ってつきあい始めたのが彼女で、しっかり者だったから結婚相手としていいなと。相手選びを間違えたんでしょうかね」
江崎貞一さん(44歳・仮名=以下同)はゆっくりとした口調でそう言った。穏やかさが顔に出ている人だ。結婚前と結婚後、さらに子どもが生まれてからの妻の奈那さんのギャップに苦しんできたという。
「僕は末っ子で彼女は長女でしっかり者。まあ、家計は妻に任せて、僕は妻の言いなりになるのが気楽かなあと思っていたんですよ」
1年半ほどの交際期間はうまくいっていた。妻は随所で気配りと気の強さを見せたが、それはむしろ貞一さんにとっては好印象だった。
「たとえば食事に行って、オーダーが間違っていて頼んでいない料理が運ばれてきたとしますよね。僕は自分が嫌いなものでなければ『ああ、いいですよ、それで』とオーダー変更しちゃうタイプ。でも奈那は、『これ、違います。頼んだものを持ってきてください』ときっぱり言う。食べたいものを頼んだのだから、それ以外のものを受け入れるつもりはないって。まあ、でも人には間違いがあるからというと、私は別に店員さんを責めてはいないと。確かに彼女の言うことは正しいけど、それを食べて、もともと頼んでものもまた頼めばいいんだしと僕は思っちゃう」
あなたはどこかグダグダしたところがあると指摘されたときも、「当たってる」と貞一さんは思わず笑ってしまったという。嫌味には聞こえなかったのだが、それは今思えば、彼自身が彼女を好きだったからだともわかっている。好きだから許せたことが、日常生活をともにしつづけて恋心が失せたとき、許せなくなるものなのかもしれない。
結婚して2年たっても子どもには恵まれなかった。奈那さんには焦りが見えたという。
「子どもがいようがいまいがいいじゃないかと思っていましたが、奈那はそうはいかないって。子どもがほしくて結婚したのにとぽつりとつぶやいたから、僕と結婚したかったわけじゃないのと尋ねたら、少し慌てていました。『もちろん、あなたと私の子がほしいからよ。いちいち言わなくてもわかるでしょ』と怒られた。あの怒り方はちょっと気になりましたが、僕はすぐに忘れてしまうタチなので」
妻は一緒に病院に行こうと言い始めた。貞一さんが渋っていると、「まずは私が検査してくる」と行ってきた。結果は異常なしだった。やいやい言われて貞一さんも検査に行ったが、彼もまた異常なし。
「人工授精をしようと奈那は必死に説得してくるようになりました。そんなに子どもにこだわらなくても、共働きでけっこう楽しくやれるんじゃないかと言いましたが、彼女の耳には届かなかった。不妊治療をしてくれなければ離婚するとまで言うので、しかたなく一緒に治療を始めましたが、初回で僕は脱落しました。医師はもちろん看護師も、みんなとにかく子どもが生まれることが至上命令みたいになっていて、ついていけなかった」
奈那さんは、「わかった。それについては私が折れる。医者には行かなくていい。でも家で私の言うことを聞いてくれる?」と作戦を変更した。妊娠しやすい時期に必ずしなければいけなくなった。それはそれで苦痛だったし、残業や飲み会が入っているとなかなかセックスする気にはなれない。
「排卵日にしないととたんに機嫌が悪くなる。しっかりしていて気配りもできる人だと思っていたけど、実は自分の思い通りにならないと許せないという激しさがあるとわかりました。でももう結婚しちゃったし、様子を見るしかないなと思っていた」
なるべく妻の思いに添うよう、貞一さんなりにがんばったが、なかなか結果が出ない。奈那さんにとって、自分のすることに結果がともなわない経験は初めてだったのだろう。かなりヒステリックになっていた時期もあった。奈那さんの両親が近くに住んでいたのだが、奈那さんは母親に愚痴ったり頼ったりはしなかった。
「おかあさんに私の苦しみがわかるはずないから、と冷たく言っていましたね。奈那は親とも仲がよさそうに見えたけど、案外、そうじゃないのかもしれないと気づきました。ただ、家族なんて、いつでも仲がいいわけじゃないし、いろいろありますから、そこは見て見ぬふりをしておいた」
もう仕事を辞めて不妊治療に専念したいと奈那さんは言いだした。それに巻き込まれるのだけはごめんだと貞一さんは思っていた。だがそれから数週間後、妊娠がわかった。
「ホッとしました。これで奈那の不機嫌に振り回されなくてすむ。最初に思ったのがそれでした。僕はあのころすでに奈那を大事に思っていなかったのかもしれません」
奈那さんは大事をとると言って、いきなり退職してしまった。会社が困るだろと思わず貞一さんが言うと、「あなたは私より私の勤務先を気にするの?」と声を荒げた。君子危うきに近寄らず。妻の妊娠中、彼はずっとそんな気持ちでいたという。
「本人が思うほど大変なことは起きず、妊娠は順調に継続されました。僕も早く帰って家事をしたほうがいいのはわかっていたけど、当時、仕事が本当に忙しくて、帰宅はいつも10時ころでした。やむなく僕から義母に少し助けてもらえないかと連絡したのを覚えています。奈那は『おかあさんが来るくらいなら、ひとりのほうがいい』と言ったけど、臨月が近づくにつれ不安もあったんでしょう。母親が来ることを了解しました」
貞一さん34歳、奈那さん32歳で娘が産まれてからも、義母を頼った。義母は20歳で奈那さんを産んだので、当時まだ52歳。闊達で気持ちいいくらいさっぱりした女性だった。奈那さんは、「うちの母親はヤンキー上がりだから」と軽蔑するように言ったことがある。だが家に来るようになった義母と話してみると、新聞数紙を毎日読み込み、趣味は読書で、貞一さんが目を通していない経済関係の本まで読んでいた。知的で、でもおもしろくて話しやすい。貞一さんは義母が来るのが楽しみになったくらいだった。
義母はそのころはパートで仕事をしていたが、シフトを変えて平日の朝と夕方には娘の様子を見に来てくれていた。娘のことが心配だったのだろう。だが当の娘は、どことなく母親をうっとうしがっているようだった。
***
奈那さんには奈那さんなりの悩みや苦しみがあったはずだが……妻の妊娠をめぐっては、貞一さんはかなり頭が痛かったようだ。だが娘が産まれても彼の悩みは尽きなかった。詳しくは記事後編で紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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