秋篠宮さまが“衝撃のフレーズ”で政府を批判 「“一人の人間として娘を尊重してほしい”と望まれている」

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【全2回(前編/後編)の前編】佳子さまに起きている“ある変化”とは 「眞子さんの結婚を懐疑的に捉えられるように」
秋篠宮家の次女・佳子さまは12月29日、30歳のお誕生日を迎えられた。2021年に姉の眞子さんが結婚したのも、30歳の時だった。減少する皇族数を確保すべく与野党で協議が続く折、ご本人の「離脱」のご意思は固く、“その時”を待ち望まれているというのだ。
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上皇さまが91歳となられた24年12月23日。朝から祝賀行事が続く中、秋篠宮ご夫妻や佳子さまも仙洞御所を訪問され、お祝いのごあいさつをなさったという。
これに先立ち16日、佳子さまは東京・明治記念館で行われた「第7回みどりの『わ』交流のつどい」に出席されていた。宮内庁担当記者が言う。
「緑化活動に貢献した企業や団体を表彰する式典で、姉の眞子さんから引き継がれる形で、今回が3回目のご出席となりました。当日は、知多半島の緑化などに取り組んで内閣総理大臣賞を受賞した大学生らと懇談されるなど、受賞者の活動内容を熱心にご覧になっていました」
眞子さんからは「日本テニス協会」名誉総裁と「日本工芸会」総裁職も引き継がれており、加えて、
「佳子さまは『少年の主張全国大会』や『全国高校生手話パフォーマンス甲子園』、『東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート』といった行事に毎年携わっておられます。さらに24年は、5月に国交樹立125周年を記念してギリシャをご訪問。また8月には、国内外の障害のあるボーイスカウト隊員らによるキャンプ『第13回日本アグーナリー』に初めて参加されるなど、ご活動の幅を広げてこられました」(前出の記者)
そうした“ご公務ラッシュ”が続く佳子さまも30歳を迎えられた――。
「ご自身にとっては、まさしく節目のお年となります」
とは、さる皇室ジャーナリストである。
「姉の眞子さんは内親王時代、『30歳までには結婚したい』との願望を口にしてきました。小室圭さんとの婚約内定は25歳の時でしたが、トラブルが長引いて結局、入籍したのは30歳になった直後でした。佳子さまは、そんな姉の唯一の理解者として、ひたすら結婚を応援されてきたのです」
佳子さまご自身も、高校生の頃より“皇室から出て行きたい”と周囲に漏らされていたほど、日々の生活に窮屈さを感じてこられたといい、
「一連の眞子さんの騒動のさなか、19年3月にICUを卒業された際の文書回答では、『姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい』と述べられ、皇室の“公と私”を巡って物議を醸したこともありました。それでも皇室からの離脱を願うお気持ちは、いささかも揺らぐことはありませんでした」(同)
そんな佳子さまのご意思が思わぬ形であらわになったのが、11月30日のお誕生日に際して行われた秋篠宮さまの会見であった。
かねて進んでいた皇族数確保策に関する協議では、女性皇族が結婚後も皇室に残る案について各党がおおむね賛同。この状況を踏まえて記者会は、
〈当事者のご意見を聴取する機会が必要とお考えでしょうか〉
と質問し、これに秋篠宮さまは、
〈該当する皇族は生身の人間。その人たちがそれによってどういう状況になるのか、(略)宮内庁のしかるべき人たちは、その人たちがどういう考えを持っているかを知っておく必要がある〉
と述べられたのだった。
“生身の人間”というフレーズと相まって、このご発言は大いに反響を呼び、
「12月12日の会見で西村泰彦宮内庁長官は、『その後、(秋篠宮)殿下と具体的に話したかどうかは差し控える』としながら、『仰ったことは心しておかなければならない』『十分にお話を伺う機会は、そうはなかったと反省している』などと述べたのです」(前出の記者)
皇室をお支えする組織の長が“陳謝”するという異例の事態を招いたわけである。もっとも、秋篠宮家の事情を知る関係者によれば、
「殿下は日頃から、側近トップである吉田尚正・皇嗣職大夫とは密にコミュニケーションを取っておられます。その中で、今後の皇室制度に関する話題が出ることは珍しくなく、内容はもちろん、西村長官にも伝わっています」
とのことで、
「今回のご発言は一見して宮内庁に苦言を呈された格好になっていますが、殿下は宮内庁が政府の一機関に過ぎないことは重々ご存知。ご発言の真意は、ご自身や佳子さまのお気持ちを把握しないまま協議を進めていく与野党の政治家、そして、その立法府から報告を受ける政府への“痛烈なご批判”に他なりません。新たな制度がつくられつつある裏で、当事者が抱く思いを世間に知ってほしいと考え、あえて“身内”たる宮内庁の名を挙げてアピールされたのです」(同)
皇室制度に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授も、
「政治的発言と捉えられかねないため、秋篠宮さまが政府自体を批判することはできません。その意味では、宮内庁は“スケープゴート”にされたともいえます」
そう指摘する。肝心の与野党協議は目下、合意点が見いだせず足踏み状態にある。23年10月に就任以来、議論を主導してきた額賀福志郎衆院議長は、24年11月の特別国会で再任されている。本人に進捗状況を尋ねると、
「今は臨時国会中(12月24日閉会)だから、ちょっと勘弁してください」
と言うのみ。先の関係者が続けて、
「殿下は、眞子さんと共に佳子さまにも『いずれは結婚して民間人となるのだから、その心積もりで』と、幼い頃から言い聞かせて育ててこられました。今回のご発言には『そうやって30まで育ててきて、今さら“残ってください”と言われても困ります』とのお嘆きがにじみ出ていました」
会見で秋篠宮さまは、この件について佳子さまとは、
〈話し合いをしているということはありません〉
と仰っていた。それでも、
「日頃は頻繁に会話なさらないとはいえ、殿下は“一人の人間として娘を尊重してほしい”と強く望んでおられ、以前から佳子さまの『どうあっても出て行く』という強固なご意思については“娘がイヤだというものは仕方がない”と、理解を示してこられました。従って、今さら翻意を促すべく話し合いをなさるというおつもりもありません。今回は、“娘に成り代わって言いたい”というお気持ちから発せられたもので、こうしたお考えは以前から宮内庁の上層部には周知されており、“念押し”をなさったに過ぎません」(前出の関係者)
後編【佳子さまに起きている“ある変化”とは 「眞子さんの結婚を懐疑的に捉えられるように」】では、眞子さんの結婚への見方が佳子さまの中で変化した理由について報じている。
「週刊新潮」2025年1月2・9日号 掲載

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