【吉田 みく】学歴の高い息子がやる仕事ではない…発達障害のわが子を「溺愛する母」に息子が放った「衝撃の一言」

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近年は発達障害への社会的な理解が開かれ、企業もその特性に伴った対策が講じられるなったものの、ほんの数年前までは、その個性も「空気が読めない人」や「面倒なタイプ」と一刀両断に見られることも多かった。
コミュニケーションが苦手、共感力に乏しい、感覚が鋭すぎるなどの特質した個性は日本の「一律を求める」集団の中では確かに厄介に見える。裏を返せば、その特質した個性をどう活かせばいいのか、わからないというのが大半の本音だろう。
自閉症や知的障がいなどのはっきり分かる特徴が出た場合は別として、親も我が子のどこが発達障害に該当するのか、幼少期ではわからない場合が多い。言うことを素直に聞き入れるおとなしい性格や、読み書きは普通に、またはそれ以上に「出来が良い」のに、なぜか発達障害と言われてしまう。
前編記事の<運動会、お遊戯会は地獄でした…同級生から「吊し上げ」にされた、発達障害の息子への「母の悩み」>に引きつづき、発達障害の息子を育てたマスミさん(60代)の話は、そんな親の困惑がその後の子どもにどういった影響をもたらしたのかが分かる、良い例なのかもしれない。
学校へ行かないならせめて自宅学習だけはしてほしいと思っていたマスミさんは、息子に学習ドリルを渡した。そこで初めて息子の才能に気付き始めたという。
「算数ドリルを渡したら、スラスラと解いていくんです。難しい問題も苦労することはありませんでした。ハイレベルなドリルも簡単に解く姿を見たら感動しちゃって、この子はすごい!って思いましたね」
得意な科目は算数・数学で、模試ではつねに偏差値70前後を維持していたという。一方国語は苦手で成績の足を引っ張り、偏差値60後半の公立高校へ進学。マスミさんは当時のことを振り返りかなり悔しい様子だった。
「息子の自信に繋がるならと思い、有名な学習塾にも通わせました。月謝は月3万円くらいだったと思います。成績がよく予備校では月謝が一部免除になったので家計はかなり助かりました。塾通いに息子は『必要ない』と言っていましたが、いかないのも不安だったので。
正直、もっと偏差値の高い高校へ行けると思っていました。パート代の大半を学習塾に充てていたので、進学先の高校にはがっかりしたのが本音です。
息子を怒ったりすることはなかったのですが、進学先が決まった時に「塾代にかけたわりにこれか」と言ってしまいました。息子が静かに『俺に期待しすぎないでほしい』と言っていたのを覚えています」
大学は地方国立大の理系の学部へ進学。進路は高校の担任教師とマスミさんで決め、これを機に息子は一人暮らしを始めた。
地元の埼玉県から飛行機の距離の大学にあるにもかかわらず、マスミさんは2か月に1度は息子の住むアパートまで行って、掃除や食事など日常のこまごました雑務をしに4年間通ったそうだ。
入学してしばらくは国立大学へ通う息子が自慢だったが、パート仲間の子供が有名私立大学へ入学したことがきっかけで嫉妬心を抱き始めるようになる。
「パート仲間の『娘がサークルで旅行に行くんだって!』『髪の毛を茶色に染めてさ~』などの充実アピールが鬱陶しかったです。いくら有名な大学とはいえ、高い学費を払って学業に専念してないってどうなのかなって思っていました。
『息子さんはサークル入ったの?』『アルバイトは?』『下宿先で友達はできた?』と聞かれ、息子に尋ねると、サークル無加入、バイトは多忙で無理、友達はいないけど支障はないというんです。
休日はオンラインゲームで遊んでいました。ありのままのことを言ったら見下されそうだったので、架空の”充実した息子”を作り上げて話していました」
マスミさんの作り上げた”うちの息子”は、友達に恵まれてキャンパスライフが充実しているというありきたりのものだった。最初のうちは嘘を塗り固めて頑張ったが、話を深堀されるとがばれることが怖くなり子供の話は控えるようになり、そのうち誰も子どもの話はしなくなっていった。
理系分野では変わらず成績優秀な息子だったが、その後の就職活動ではかなり苦戦を強いられた。学歴フィルターもSPI試験も問題なくクリアできるものの、一時面接はすべて不合格。
採用見送りの連絡が10社を超えたあたりからやる気をなくした息子に、マスミさんは大学院へ進学も考えてみてはどうかと促したそうだ。
「息子は『就職できないし、大学院にでも行くか』という感じでした。私としては大学院へいけば専門的な知識も身につきますし、就職に有利だと思ったのですが現実は甘くなかったです……」
再びの就職活動では、研究職を中心に行ったものの不採用。全滅し自信をなくしてしまった息子は、どこにも就職できないまま実家へ戻ってニートになった。
「夫からは『お前が甘やかしたからこんな風になった!』と怒られました。でも私がいなければ息子は何もできまい子です。勉強の才能があると気付いたのも私、いい大学へ進学できたのも私のサポートがあったことを覚えてくれていない。私ばかり責められるのは絶対におかしい」
マスミさんの話を聞いていると、息子の意思を尊重するようなエピソードはどこにもない。進学先、下宿先の世話、就職……。どの事柄もマスミさんの考えに従うように息子が動かされている印象だ。
息子がニートだという現実を隠したいマスミさんは、パート仲間にはエンジニアとして働いていると嘘をついた。大学院へ進学しているし違和感がないと思っていたのだが、そんな嘘がバレそうになってしまう。
「接客業なんて向いていないのに近所のコンビニでアルバイトを始めたんです。高校生に混じって当時20半ばの息子が一緒に働いているなんて、まったく受け入れられません。パート仲間に見つかったら後ろ指を刺されるに決まっています。だから早く安定した職業についてほしいと言って、息子に就活を急かしたんです」
当初は就職支援サイトを使い、専門性の高い職業への就職を希望していたものの、案の定どこも不採用。エージェントからは「スムーズに受け答えができず熱意が伝えられていない」と言われてしまったそうだ。
エージェントでの就職活動は難しいと悟った息子はその後ハローワーク通いを始めるが、持ち帰る求人は飲食業と介護職ばかりだった。それをマスミさんは気に入らない。面接へ行こうとする息子を必死で止めたという。
「正直、飲食や介護職なんて、学歴の高い息子がやる仕事ではないと思ったんです。子ども時代に算数ドリルをスラスラ解き、地方とはいえ国立大出身ですよ。でも息子から『興味のある分野なので挑戦させてほしい』と言われました。人生で初めて私に反抗したんです。就職できない現実もあって今回は息子の意見を尊重することにしました」
面接で熱意が伝わった結果、介護職の内定を貰うことが出来た。現在も利用者支援員として働いている。
仕事を熱心にこなす息子を誇らしく思う一方、優しい、堅実、勉強が出来る息子を正当な評価をされないことに悔しさを感じているという。
「毎月6万円の家賃を入れてくれていますが、一人暮らしとなると厳しいと思います。30歳を過ぎていますし一人暮らしをしてほしい、欲を言えば結婚も……と思いますが、息子はあまり興味がなさそう。優しい子なのに……」
マスミさんは常に息子を心配している様子だった。「私が死ぬまでに息子の魅力に気付いてくれる素敵な女性と出会ってほしい。このままでは孤独死するかもしれない」と話していた。
息子の特性、第三者からの療育支援など、発達障害を疑う場面は多かったものの、マスミさん自身の判断で進めてきてしまったことで、”歪んだ親子愛”が形成されていった印象を受ける。マスミさんの息子は「優しい人」以外の深い部分はまったく伝わってこない。それはマスミさん自身が息子のある一部分しか見ていなかったのではないかという印象に変わる。
どの親も「我が子はいい子」と思うのは当たり前だが、時には第三者の意見を聞き入れることも大切だ。そして子供の意見を尊重することも重要だ。過度な親の先回りほど害なものはない。
…つづく<40代「セレブ妻」が絶句…息子を「インターナショナルスクール」に入れたら「地獄」が待っていた>でも、子どもを見ずに勉強させた結果、思いがけない末路をたどった母と息子の話を明かします。
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