《ドラマ化で原作改変》「セクシー田中さん問題」が何度でも起きる“シンプルな理由” 日テレも小学館もスルーした「最大の問題」とは

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2024年1月29日、小学館の女性向けマンガ雑誌「姉系プチコミック」連載の人気マンガ『セクシー田中さん』の作者・芦原妃名子さんが死亡しているのが発見され、自宅から遺書が見つかった。
【写真】波紋を呼んだ「脚本」の異例クレジット
映像化に際して原作者の意図が反映されず問題となる事例は、これまでも数多くあった。本件の特殊性は、原作者がみずから死を選んだことにある。
『セクシー田中さん』は2023年10月22日から日本テレビで実写ドラマ(全10話)の放送がはじまったが、ドラマ制作の過程で、おもに脚本をめぐって芦原さんとドラマ制作陣の間で軋轢が生じていた。そのことが明るみに出たのは、ドラマ最終話が放送された12月24日のこと。同日、さらには28日に、脚本家が第9話と第10話の脚本から外された経緯をインスタグラムに投稿したのである。それに対し芦原さんは、2024年1月26日に自身のブログとにそれに対する「アンサー(反論文)」を掲載。その直後の訃報だっただけに、原作者の意図に反した映像化が原因で、芦原さんが死を選んだのではないかと大きな議論になった。
公式HPより
3カ月以上が経った5月31日に、日本テレビの社内特別調査チームは、97ページに及ぶ調査報告書を発表。また、6月3日に小学館の特別調査委員会が90ページの調査報告書を発表した。双方の報告書を見比べると、芦原さんは小学館の担当編集者を通じて脚本チェックや修正点を日テレサイドに伝え、その要望は日テレのドラマ制作チームを経由して脚本家に伝えられていた実態が浮かび上がってくる。こうした多重構造の伝言ゲームの過程で多くの人間が入ると、著者の意図はストレートには伝わらない。「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変は、作家を傷つける」(日テレ報告書)という芦原さんの憤りは、直截的に伝わることはなかった。
日テレ側の報告書は、ドラマ化の条件について芦原さん側とのあいだに「認識の齟齬があった」と総括し、小学館側は「日本テレビ側が原作者の意向を代弁した小学館の依頼を素直に受け入れなかったことが第一の問題」とまとめている。ディテールに関しては「言った/言わない」の水掛け論になっており、第三者的に見れば責任のなすりつけあいをしているような印象を受ける。いずれにせよ、放送前の2023年6月の時点で、すでに小学館と日テレの間に齟齬が生じている点は看過できない。問題の火種は、半年以上も前から放置され続けたのだ。
双方の報告書は、再発防止のためにはコミュニケーションの改善と契約の明確化が重要で、伝言ゲームではないやり方で合意形成に至るプロセスを実現し、納得のいく脚本が仕上がってからドラマの撮影に入るべきとまとめている。
SNSに「アンサー」を投稿したあとの炎上を目にした芦原さんは、Xに「(脚本家を)攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」と投稿。SNSにアップしていた内容を削除したうえで失踪する。つまり自死の直接的な要因は、制作過程の齟齬よりもSNSで騒ぎを大きくしてしまったことへの悔恨に求められよう。したがって本件には「炎上案件が最悪の結末を迎えた」との側面も含まれている。

では、この炎上は未然に防げなかったのだろうか。端緒となったのは、12月24日と28日の脚本家によるインスタグラムへの書き込みであることは間違いない。自身には不明瞭な情報しか伝えられず、クレジット表記の問題に関して(主観的には)泣き寝入りを余儀なくされると危機感を感じた脚本家は、12月6日時点で「SNSに原作者さんからの強い要望で最後(9-10話)お預けしました、というような表現で投稿することも考えている」(日テレ報告書)との旨を日テレ側に伝えていた。日テレ側は、2週間以上の猶予もあり、脚本家を説得して、SNS投稿を思いとどまらせることもできた。だが、「個人のインスタグラムを止めることができるか確信できない」(小学館報告書)として、投稿はなされた。
一方の小学館の報告書に目を向けると、芦原さんの「アンサー」に深く関与していた実相があらわになる。1月10日、芦原さんは「脚本家の投稿に対してストレスを受け、原稿が書けないほどになっている」(小学館報告書)ので「アンサー」の投稿を望んでいる旨を伝え、芦原さんと小学館関係者のあいだで時系列に沿った事実関係の確認が行われ、そのうえで芦原さんが公表文を用意した。それを叩き台として、小学館側と5、6回ほど修正のやり取りを繰り返して「アンサー」の本文を完成させている。また、芦原さんが「アンサー」を投稿した翌日には関係者を交えてオンライン会議が設けられ、その後、芦原さんから「思いは果たしたので、予期していなかった個人攻撃となったことを詫びるコメントを出して、投稿を取り下げることになった」(同)と伝えられたという。

脚本家にしても芦原さんにしても、一時的な感情に任せて突発的にSNSに意見を表明したわけではなかった。日テレも小学館も、脚本家と原作者の投稿について、内容を事前に承知していた。にもかかわらず、会社として釈明や抗議のオピニオンの表明もせず、本来なら内々で解決すべき問題をSNSという公の場で当事者同士を矢面に立たせてしまっている。報告書から見えてきた本件の最大の問題点であり、この点において両社の責任は追及されてしかるべきだ。
双方の報告書は、今後も従前のドラマ制作体制を維持していくための「落としどころ探し」との印象は拭えない。みずから死を選ぶことになった作者の尊厳の回復や、残された遺族や関係者を慰撫するといった意図は、どちらにも含まれていない。ドラマ制作過程における業務フローをどれだけ整備したところで、実作者である原作者や脚本家に寄り添う意識が欠落したままでは、再発は免れないのではないか。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2025年の論点100』に掲載されています。
(加山 竜司/ノンフィクション出版)

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