宝島ロード。東京・上野の繁華街で同業者にそう揶揄されるほど飲食チェーンを集中展開し栄華を誇った“焼肉王国”は、主を失いあっという間に瓦解した。身内の“クーデター”で惨殺された宝島龍太郎さん(当時55歳)と妻の幸子さん(同56歳)は草葉の陰でいま、何を思うのか。〈画像〉背中一面に「殿」と「姫」、腹には「鶴」が彫られた関根被告
宝島さんが社長を、幸子さんが役員を務めて切り盛りしていた「サンエイ商事」は焼肉店を中心にした飲食店を少なくとも17店舗以上、JR上野駅近くで経営していた。
ライバル店との客引き合戦なども熾烈を極め、4月16日に栃木県内で夫婦が惨殺体で見つかった際も、長女が「正直、敵は多かった。同業者に狙われていたのかなと思う」と、集英社オンラインの取材にほのめかしていた。
しかし実際、犯行計画を練ったのは夫妻の「番頭」として経営に加わっていた長女の内縁の夫・関根誠端被告であり、長女の宝島真奈美被告も共犯として罪に問われたのは既報の通りだ。
経営方針を巡って対立、力ずくで経営権を宝島夫妻から奪うために汚れ役の「バイト」を雇って殺害させた未曾有の強行事件で、「宝島ロード」もズタズタに寸断され、今も営業を続けているのは4店に過ぎないという。
宝島夫妻と長年付き合いのあった取引業者の男性によれば、サンエイ商事の経営は、真奈美被告の妹が継承したようだ。
「まだ会ったことはないけど妹さんが代表って話は聞いているよ。ただ、妹さんが事件の説明をしたわけでもないし、踏み込んだ話も聞かないから実質誰が仕切っているとかはわからない。おそらく実際に店を切り盛りしているのは妹さんではなくて、宝島社長時代の頃から働いていた何人かで話し合っているところなんじゃないか。
今となってはあの界隈でも事件のことを話す人間もほとんどいなくなったし、ようやく、残った店でどうにか前向いて頑張ろうってタイミングなんじゃねえかな。あんだけあった店舗も今は4店舗になっちゃったしな」
残ったのは寿司屋、大衆酒場、焼肉、イタリアンの4店舗のようだ。
「事件の後はいろいろ大変だったんだよ。俺も当時は食品を卸して取引していたけど、事件後はずっと代金も支払われていなかったんだ。俺は古株の社員に『今警察に会社のお金をすべて押収されています。それが戻ってきたら必ず支払います』と約束してもらい、それを信用していたから、4ヵ月もの間、代金をもらわず食品を卸し続けていた。代金にすると4ヵ月で約80万円ほどかな。
他にも出入りしている業者もいたけど、中には売上から日払いで貰っていったり、取引自体をやめた業者もあったって聞いているよ。だからお店のほうの営業も当時は大変だったんじゃねえかな」(同前)
この男性の信頼に応えるように、商品の卸代金はきちんと支払われたという。
「押収されたお金は1枚1枚指紋を取ったり、かなり長期間調べたりしていたみたいだからさ。それが戻ってきたっていうのが8月とか9月で、それからまとめて溜まってた分も支払われた。これはわかんないけど、仕入れも足下見られてたんじゃねえかな。事件も事件だし、状況も状況だったからお店にとって厳しい条件の取引っていうかさ。
宝島社長時代は直接社長が取引業者とやり取りしてたから、しっかりした商品を安く仕入れるってことに関しても長けていたからね。事件があって、マネージャー(関根被告)が逮捕された後は長女(真奈美被告)が継ぐって話になったと思ったら今度は長女が逮捕されたり、残ってお店をやっている人間は大変だったろうな。
でも少しずつ盛り返していっている印象はあるよ。売りに出されてオーナーが新しい人に代わったお店もあるし、まあ、いろいろ進み始めてはいるよ」
残った店舗のある従業員は、訪れた記者にこう語った。
「ようやく落ち着いてきて、4店舗をくまなく見て回れるようになってきました。先月も記者の方が取材にお見えでしたが、事件や真奈美さんに関して話せることは何もないんです。各店舗で現場を回しているという感じです。
もともと自分はセイハさんを慕っていたので、会えるなら会いに行きたいです。でもまだ接見禁止中で誰も会えないので、必要な物などの差し入れだけしています。セイハさんにはお世話になってましたし、セイハさんがいたから今でもここで働いていますし、これからもその思いです。セイハさんは自分にとってはすごくいい人だったんで…」
全身刺青だらけながら人当たりがよく、人たらしで女たらしだった関根被告。「宝島ロード」を丸ごと簒奪しようとした犯行計画の詳細は、まもなく公判で明らかにされるだろう。
※「集英社オンライン」では、今回の事件について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかXまで情報をお寄せください。メールアドレス:[email protected]@shuon_news
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班