2018年3月、滋賀・守山市野洲川の河川敷で、両手、両足、頭部を切断された体幹部だけの遺体が発見された。遺体は激しく腐敗しており、人間のものか動物ものかさえ判別が難しかったが、その後の捜査で、近所に住む58歳の女性のものと判明する。
女性は20年以上前に夫と別居し、31歳の娘と二人暮らしで、進学校出身の娘は医学部合格を目指して9年間もの浪人生活を経験していた。
警察は6月、死体遺棄容疑で娘を逮捕する。いったい二人の間に何があったのか――。
獄中の娘と交わした膨大な量の往復書簡をもとにつづる、『母という呪縛 娘という牢獄』。大ヒットノンフィクションとなった同書が漫画化(漫画『母という呪縛 娘という牢獄』原作:齊藤彩 漫画:Sato君)され、こちらも話題を呼んでいる。コミカライズを記念し、原作書籍より抜粋してお届けする。
河川敷で発見されたのは、女性の遺体の体幹部だった。
女性の身元を特定するため、守山警察署は現場付近の聞き込み捜査を開始したが、直後から、現場から370メートル離れた一軒家に住む一人の若い女性が、捜査本部の目を引いていた。
崎あかり(仮名)、31歳。医科大学の看護学科を卒業したばかりで、看護師としての勤務を間近に控えていた。
あかりは聞き込みに対し、3月15日の時点では「はい、母と二人暮らしです」と話していたが、翌日、再度聞くと、
「母はいま、別のところに暮らしていて、ひとり暮らしです」
と話を翻した。さらに近隣の聞き込みを重ねた結果、あかりの母・妙子(仮名)は、最近、ぷっつりとその姿が見えなくなっていることが判明した。
守山署は妙子に的を絞った捜査に着手する。妙子がふだん、よく利用していた近所のスーパーなど、立ち寄り先の防犯カメラの映像を収集して分析し、1月19日ごろから崎妙子の出入りがないことも分かった。
さらに、その後の捜査で崎母娘の生活ぶりが徐々に分かってきた。
あかりは妙子のひとり娘で、父親とは20年ほど前、あかりが小学生のころに別居し、以来母娘の二人暮らしが続いていた。
あかりは小学校時代から成績優秀で、母親の妙子は娘のあかりを医師にしたいと考え、それも国公立の大学医学部に入学させたいという強い希望を持っていた。あかりも期待に応えようと勉強を続け、医学部受験を目指していた。
あかりは2005年に県内のキリスト教系進学校を卒業し、母の希望通り医学部を目指して受験を繰り返したが果たせず、2014年に医科大学の看護学科に進学した。その間、なんと9年もの浪人生活を送っていたことも明らかになった。
なにより、20年にわたって守山市内の一軒家で娘と一対一で向き合っていた母が、突然娘をおいて離れて暮らすことなどありうるだろうか。
あかりの話は、矛盾に満ちたものと捜査員には感じられた。一月以降、妙子の足取りが消えていることも捜査員の疑念を深めた
守山署は遺体の内臓や血管に大量に残存していた血液を採取し、滋賀県警察本部科学捜査研究所の鑑定によって、DNA鑑定を実施した。
5月17日、娘・あかりの口腔内から採取した細胞と、父の唾液との比較から、あかりと遺体の女性の親子関係が成り立つとされ、河川敷で発見されたのは崎あかりの母、崎妙子・58歳の遺体であると判明した。母が死んでいたにもかかわらず、なぜあかりは当初の聞き込みに対して、「母は別の場所に暮らしています」とをついたのか。あかりが母を殺し、遺体をバラバラにして捨てたことが強く疑われた。
6月5日、守山署は死体遺棄容疑で崎あかりの逮捕に踏みきる。6月21日には死体損壊容疑で追送検し、26日に死体遺棄罪、死体損壊罪で起訴した。
あかりはその間に誕生日を迎え、32歳となった。
母:無理矢理…と言われたのが許せない理由。医大に行かせる条件(助産師の免許取得)を受け入れたくせに、都合が悪くなると、無理矢理感を出すなんて卑怯だと思うから!!!こうやって、ずっと自己中にアンタは生きてきた。その生き方を未だに変えてない!!!だから、いま尚無理矢理だと言う。だから努力もしないし、失敗しても反省の気持ちもなく、反発心が募るのだと思う。
娘:被害者意識を強く持っていたりとか、私の悪事や裏切りで母に嫌な思いをさせていたことを忘れているとか、そういうことは無いんですけど、ただ、特に私自身に助産師になりたい気持ちがあまり無いのはあります。それで、勉強に対して気乗りがしなかったのも事実です。しかし、だからといって助産師学校を受験しないつもりはなく、良くない結果を出してしまったことを反省し、勉強していかなくては…!と考えているのが、今の私の思いであります。
記事後編【「浴室で解体しました」58歳母をバラバラ死体にした娘が告白する「切断」「解体」「遺棄」までの全貌】に続きます。
「浴室で解体しました」58歳母をバラバラ死体にした娘が告白する「切断」「解体」「遺棄」までの全貌