なぜタイへ? 経験生かし教師やオーケストラ支援 シニアたちの「第二の人生」とは

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今、定年後タイに移住するシニア世代が急増中。さらに「下町の味」で大繁盛した男性など、経験を生かし、タイで活躍する日本のシニアたちも!日本を離れ送る「第二の人生」とは?追跡します。
取材班が向かったのは微笑みの国・タイ。今、定年後タイに移住するシニア世代が急増中!66歳独身の新田和正さんが年金で暮らすのは、31階建てのタワーマンションです。
屋上には、バンコクを一望できるプールがあります。
本格的なスポーツジムも完備。広いリビングの奥には、8畳のベッドルーム。年金はおよそ20万円。海外在住でも支払われ、新田さんはタイの口座に送金。食費や光熱費を考えても余裕があるといいます。
さらにタイへの移住が増えている理由は…。
タイの首都・バンコク。その中心街に、日本人のシニアが経営する飲食店があります。従業員が何やら足で踏んでいますが…。
店の看板メニューは、毎日一から手作りするツヤとコシが自慢のうどん。そして、いりこと昆布を使ったあっさりダシ。本場さながらの「讃岐風うどん」で、連日満席の大人気店です。オーナーは日置文比古さん(72)です。
22年前、50歳で大手商社を早期退職。妻や子供がいる日本には数カ月に一度帰る生活に。3年ほどで日本に戻るつもりでしたが、こだわりのうどんが大当たり!常連客とともに、従業員も増えていきました。
店をやめるわけにはいかなくなり、気付けば22年が経ったといいます。
そして今、日置さんの帰国が更に遅れるかもしれない事態が。その訳が厨房(ちゅうぼう)に置かれ白い何かで満たされた大量のバケツ。中身は日本の下町の味「もんじゃ焼き」です。
日本食ブームのタイでも「もんじゃ焼き」は珍しく、驚いた若者たちがこの店の「もんじゃ」をSNSで紹介したところ大ブーム。ホットプレートで作り置きしなくては間に合わない程になりました。
店は大繁盛!休日には仲間と大好きなゴルフも楽しんでいます。
タイ在住の日本人は約7万2000人。近年、永住権を取得する日本人が増加しています。
去年、定年を迎え夫婦でタイに移住した高橋敬子さん(63)。35平米1LDKの家賃は、およそ9万円。一年中入れるプールも備えられています。
移住を後押ししたのが、インターネットなどで日本の家族、知人、情報とつながったままでいられることだといいます。現在のタイでの生活は?シニアの皆さんの食事会で聞いてみると、次のような声が上がりました。
近年の日本ブームで日本の食事や食材などに不自由しなくなったといいます。
一方で、円安と物価高で、以前より「割安感は減っている」という声も上がりました。
そんなシニアの皆さんが2週間に一度訪れているのが、バンコクにある女子高校です。
日本のシニアが女子高生たちにボランティアで日本語を教えています。
今年3月タイに移住したばかりの野村学さん(59)。この日はある物の売り込みのため営業先へ向かいました。
実は野村さんは数々の証券会社の役員を務めてきましたが、その地位を捨てタイへ。その理由がタイで600年の歴史がある陶磁器「ベンジャロン焼き」です。
野村さんはこの販売を行っています。妻や娘たちを日本に残しての単身赴任。しかも、数千万円もあったという年収は激減しました。
さらに今暮らしている部屋は6畳一間です。
なぜ日本人がタイの伝統工芸を?実は45年前、野村さんの両親はベンジャロン焼きを世界に広めようとタイで店を開きました。
当時、小学生だった野村さんは祖母の家に預けられます。その後、父親が亡くなり、母の黎子さんがタイの店を継ぎますが…。
野村さんがタイに来て改めて気付いたのが「ベンジャロン焼き」の美しさです。
今までの経験を生かし、まず始めたのはSNSを活用したPR。そして発信力のある若い世代に向けた「絵付け体験」です。
そして石川県の伝統工芸「九谷焼」とのコラボ「ベンジャロンワイングラス」を開発。現在「予約待ち」という人気商品になりました。
野村さんがタイに来てわずか半年。店の売り上げは2倍になりました。一方で深刻な問題なのが、絵付け師の高齢化による後継者問題。そこで野村さんは、貧しい地域の子どもたちに、ベンジャロン焼きの新しい模様を募るプロジェクト始め、賛同者も集まりました。
チャリティーと同時に将来の絵付け師を探し出す狙いです。
一方、バンコクのスラム街を歩く日本人女性がいました。タイに移住して30年の加古川成子さん(68)。不法に建てられた住宅などに10万人が暮らすという場所です。
向かったのはスラム街にある小さな教会。そこには、スラム街で暮らす子どもたちで構成された「イマヌエルオーケストラ」。
音楽大学を卒業後、ピアノ教師をしていた加古川さんは、30年前タイ人の男性と結婚しバンコクへ移住。オーケストラとの出会いのきっかけは東日本大震災でした。
スラム街の教会を訪ねた加古川さんは、使わなくなった楽器を寄付。子どもたちへの支援を始めました。その支援は次第に広がり、去年、日本での演奏ツアーが実現しました。
タイで活躍するシニアは地方にもいます。バンコクから飛行機で1時間半、マレー半島西部のかつて貿易の拠点として栄えた小さな港町。そんな街の高校では…。
タイでは今、日本語を教える高校が増えています。教えているのは、この町でたった一人の日本人教師、村田幹夫さん72歳です。
お昼過ぎ向かったのは、学校の食堂。様々な料理の中から食べたい物を選んで購入します。この日村田さんが選んだのは、ライスの上に、目玉焼き・豚肉のガパオ炒め・グリーンカレーをかけた「ぶっかけ飯」のようなものです。
生徒たちのテーブルに混ざって、一緒に食べます。定年まで40年数学の教師を勤めた村田さん。「海外で教師をしたい」という夢が諦めきれず、タイ語は話せませんでしたが、JICA(国際協力機構)に応募しました。
最初、妻は驚いたといいますが…。
村田さんがこの町で暮らしている部屋は、キッチン無しのワンルームで家賃は月2万2000円ほどです。家賃と食費などはJICAから支給され、年金を使う必要はないといいます。
朝食は毎日、近くの店で買った食パンや果物。夕食は屋台で食べることが多いといいます。
そして村田さんの楽しみが、地元の仲間たちとのテニスです。
この日は放課後、川の女神に感謝を捧げる「ロイクラトン祭り」がありました。生徒と一緒にバナナの葉っぱで作った灯籠(とうろう)を池に浮かべます。

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