「ルフィ」らを名乗る指示役が関与した広域強盗事件。そのうち、2023年1月に東京都狛江市で発生した強盗致死事件をはじめとする6件について、実行犯を務めたとして逮捕起訴されたのが永田陸人被告(23)である。その裁判員裁判が10月18日から東京地裁立川支部(菅原暁裁判長)で開かれ、同月24日に検察官は永田被告に無期懲役を求刑した。
「一連の事件は指示役があたかもアルバイトを雇うかのように広く実行役を集めて実行された。金を得るためならば手段を選ばない者たちの集まり。指示役、実行役、道具調達役、運転手役などと分業し、効率的に強盗を遂行し、利益を上げることを目指している。秘匿性の高いアプリ、テレグラムを用いて連絡を取り合い、主に若者を中心に面識のない実行犯らが集められた」(論告より)
各事件の実行に関与している永田被告もSNSの「闇バイト募集」に応募したひとりだったが「実行犯のなかでも指示役の指示を共犯に伝えたり、現場で判断するなどしていたリーダー格」だったと検察官は論告で指摘している。永田被告が関わった狛江市の強盗致死事件では当時90歳の女性がバールで殴打されたのちに死亡し、その直前に関わった広島県広島市の強盗殺人未遂事件においては、当時49歳の男性がモンキーレンチで後頭部を殴られ、高次脳機能障害を負った。以下、裁判でのやり取りから、この広島市での強盗の詳細を明らかにする。
【高橋ユキ/ノンフィクションライター】【前後編の前編】
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永田被告がTwitter(現X)で闇バイトに応募したのは2022年11月上旬のこと。石川県内で土木作業員として働いていたが、競艇にのめり込み、消費者金融だけでなくヤミ金からも借金をしていた。指示役「キム」とテレグラムで繋がって以降、土木の仕事を続けながら、紹介される“案件”実行のため各地に出向く生活となる。
最初の“案件”は同年11月、神奈川県秦野市での空き巣。本来は「タタキ(強盗)」のつもりだったというが、家人が留守だったため空き巣となった。887万円相当の腕時計64点ほかを盗み、これらを売却。50万円の報酬を得た。永田は被告人質問で「私自身、プッシャー(違法薬物売人)のタタキで、ボコボコにしてネタと金奪ったことある。盗みには全く抵抗なかったです」と述べ、当時は悪事を厭わなかったと振り返る。
2件目はその翌12月5日、東京都中野区での強盗。指示役そして永田被告を含む6名の実行役のほか、運転手役、道具調達役で実行された。宅配業者を装って突入し、家人に暴力をふるったうえで、金のありかを聞きだし、約2200万円を奪って逃走。報酬150万円を得た。「概要を聞いた時、やさしい強盗だと思った。想像していたのはもっと血があふれるような凄惨な強盗だと思っていた」と、秦野市の事件と同様、被告人質問で当時の心境を振り返る。ところがこの中野の事件において永田は、家人を殴りつけるなどした際、激しい抵抗に遭った。そのために「キムさんと次の案件の内容を具体的に詰める際に、道具について『モンキーレンチを加えてください』と伝えました」(同)という。
「中野の事件の被害者はとても強く、共犯が加勢してくれる予定だったが、最初はそれがなく、一度撤退して再突入するという、私にとってはあり得ない状況だったので、すぐに制圧できるように、用意してもらいました」
そして2022年12月21日、3名の指示役、永田被告含む6人の実行犯、運転手などで、広島市内の時計買取販売店兼住宅への強盗を敢行する。ここには父親(当時81)、母親(同75)、事件で大きな被害を負うことになる息子(同49)が住んでいた。突入前、指示役「キム」は永田と繋がったテレグラム通話をスピーカー状態にするように求め、実行役らが乗る車でこう呼びかけたという。
〈殴ったり蹴ったりしないと報酬あげません。遅れて来たカルパスくんがモンキーレンチでじゃんじゃんやってくれます。なので皆もどんどんやってください。ただし、殺しちゃいけませんよ〉
“カルパス”とは永田のテレグラムアカウント名だ。当日、ギリギリまで石川県で仕事をしてから、遅れて合流していた。「キム」がこう呼びかけたのを合図として、実行犯らは車を降りた。まず宅配業者を装った2名がインターフォンを鳴らす。応対したのは母親だった。
「2人の男は両手で段ボール箱を抱えていましたが、前にいた男がドアの隙間から足だけ入れて、閉まらないようにしてきました。靴下とサンダルを靴で踏まれて、次の瞬間、前にいた男が中に押し入ってきたのですが、足を踏まれたまま押されたのでそのまま仰向けに倒れ、後頭部を床に打ちつけました。私は2階にいる夫に『宅配じゃない、泥棒じゃけ!』と大声で叫びました。ですが夫は耳が遠い。息子に聞こえて欲しいと思って声を出しました……」(母親の調書)
母親はすぐに実行犯に口元をふさがれ制圧された。他の実行犯らも押し入り、2階に向かった。そこには、夕食を終えてテレビを見ている父親と息子がいた。突然の強盗の襲来について父親は調書で次のように語った。
「この後の記憶は、あまりに突然で、抵抗するのに必死だったのと動揺していたので、記憶が曖昧ですが、2階にいると、部屋に男が2人入ってきました。一瞬何が起きたのか全く理解できませんでしたが、咄嗟に強盗だと思いました。強盗の1人とお互いつかみ合いになり、取っ組み合いになりました」(父親の調書)
実行役らは数人ずつに分かれ、それぞれ家人を制圧していく。父親が2人の実行犯と相対しているとき、息子もまた、同じように実行犯に制圧されようとしていた。その最中、父親がふと見やると、息子が血まみれで倒れていることに気づいた。
「2階の台所床の上に仰向けに倒れる息子が目に入りました。息子は顔が腫れ、床に血が広がり、意識がなかった。記憶では、床の上に倒れる息子の頭にタオルを敷いてあげたと思うのですが、そのときも血が噴き出ていました」(同)
突然押し入ってきた強盗たちが、息子をこんな目に遭わせたのだと察知した父親は、〈お前ら、子供が死んだらどうするんだ! これで死んだら殺人罪だ! 早う、病院に連れて行かにゃいけん!〉と実行犯らを怒鳴りつける。父親はその後も、実行犯らに手を縛られそうになったが抵抗し、また顔を殴られても、何度も叫んだ。
〈子供が死んだらどうなるんだ! 殺人罪ぞ!〉
息子を殴ったのは永田被告だった。直前に、息子を制圧するため実行役2人で対応していたが、揉み合い状態が続いていた。永田被告が加わっても「団子状態になって、居間とダイニングキッチンを行ったり来たりして、転んだり、乱闘じゃないですが動き回っていた」(永田被告の証言)と息子は激しく抵抗していたという。これに永田被告は焦りを覚える。
「まずいなと思いました。3人がかりでも、全く制圧できない。現場リーダーとしての立場や、他の実行役を見る私の目線……尊敬しているとか、頼りにしているとか、散々言われてたので、メンツが潰れ、リーダーとしての立場も潰れる。その意味でまずいなと思いました」
焦った永田被告がこの後、取った行動とは何か。【後編】では、その残忍極まりない犯行内容を詳述する。
高橋ユキ(たかはし・ゆき)ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。
デイリー新潮編集部