結婚が決まった娘を喜べない毒親はまさかの言葉を吐いた 「お母さんのことは、どうでもいいのね」

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結婚が決まった娘に母親がかけたというまさかの言葉が、SNS上で大きな注目を集めている。
【写真】話題になったかよらんさんの投稿「『お母さんのことは、どうでもいいのね。』大好きな彼氏にプロポーズされ、結婚が決まり、実家を出るからもうお金は渡せない、と母に伝えたときに言われた。わたしが居なくなると、お金に困らせてしまうのは分かってた。それでも、一生分の勇気を出して言った。親不孝だけど、もう邪魔されたくなかった」と自身の体験を紹介したのは現在2児の母で専業主婦のかよらんさん(@kayoko_outgoing)。

かよらんさんはこの母親に対し、続く投稿で「『お母さんを泣かせてもいい。さみしい思いをさせてもいい。離れてもかわいそうじゃない。不幸じゃない。お母さんを捨ててもいい。人は自分で自分を幸せにする力を持ってるから、信じる。もう、お母さんを守らなくて大丈夫。』10数年前、TVで見かけた心屋仁之助さんの言葉を、ずっと胸に留めています」「わたしのしあわせが、母を追い詰めてしまう。分かってても、あのとき振りきった罪悪感が今も思い返すだけで苦しいけど、母には母の、私には私の、それぞれの幸せになる力を信じて、何を言われてもその距離感を大切にしています。」とも。近年、“毒親”という言葉が流行しているが、子供に依存し、束縛することでしか自分の心を埋められなくなってしまう親はたしかに一定数存在するようだ。かよらんさんの体験に対し、SNSユーザー達からは「痛いほど気持ちが分かります。自分の幸せを優先するのは悪いことだと考えて自分で自分を実家に縛り続けていました。本当はそんな事無かったし、実家から逃げたって良かったし、見離して良かった。同じ様な境遇の方が幸せを選べる権利があると気づいて欲しいと願わずにはいられません。」「ぜんぜん親不孝ではありませんよ!!子供が成長して家を出ていくのは親が立派に子育てをした証拠です立派に成長した子供は自分で自分の人生を決めて進んでいかないといけないんだと思いま!!」「『子はその可愛さで六歳で親孝行を終える』そうですよ。おそらくその何倍にもあたる何十年、お疲れさまでしたとしか言いようがありません!!もう充分ですね。」など数々の共感の声、驚きの声が寄せられている。かよらんさんにお話を聞いた。ーーお母さまがかよらんさんに経済的、精神的に依存されるようになったきっかけをお聞かせください。かよらん:わたしが19歳のときに両親が離婚し、姉と私が2人で暮らし、母と弟は伯母の家に居候させてもらうことになりました。それまでもいろいろあり、父とはもう暮らせない状況だということは分かってたので、私たちは母の姓に変わりました。まだ高校生だった弟と離れるのがさみしかったのと、この頃は母に苦労をかけたくないという思いもあり、母、姉、私、弟の4人で暮らせる日を夢見ていました。そして5年後、24歳の時にその夢が叶い4人で暮らせることになりました。振り返るとその頃から母からのお金の依存が強くなってた気がしてます。古いアパートとはいえ実家に住ませてもらってますし、私も働いてたのでお金を毎月入れてましたが、たかだか数万円とは言え「ありがとう」を一度も言ってもらったこともなく、娘からお金をもらうのは当たり前の態度。私の給料日になると「お金は?」と聞かれるのが苦痛でした。まだATMに行ってないと言うと、「いつ持ってくるの?早く」と急かされたり…その頃から依存に気付き始めました。ーーかよらんさんが結婚することを知った際、お母さまの反応は。かよらん:まず最初に鼻で笑われました。私が指輪が苦手なのを知っていた彼は婚約指輪の代わりにネックレスを買ってくれました。それに付いていたダイヤを見て母は失笑しながら「それ、くずダイヤって言うのよ」と言われ、なんとなくバカにされてるなと気付いたのですが、くずダイヤという単語を調べてみると、母に本当にバカにされてたことが分かりショックでした。そんな母親だと知ってたのに、一緒に喜んでくれると期待をしていた自分にも気付いてしまい、ダブルでショックでした。結婚後、母との関係に変化はあった?ーー結婚後、お母さまとの関係性はいかがでしょうか?かよらん:良くはないけど悪くもない、でもちょっと悪いかなという感じです。ただ、離れて暮らすようになって距離ができたのと、考え方が変わり心は楽になりました。母がガンになったりといろいろありましたが、今は同じ市内に住んでいて、数カ月に1度会うか会わないかという感じです。姉も弟も家族を持ち、近くに住んでます。母は狭い1Kに一人暮らしで、私達には帰れる実家が無いので、家族で集まる時はいちばん母の家に近い姉の家が多いです。ガンに侵されているとはいえ、人としての気持ちの部分が見えないというか…。集まっても孫たちを可愛がるわけでも無く、その日だけでも孫たちの世話や食事の準備など手伝うわけでもなく、ただ座ってTVを見て、姉と私が作ったり準備した食事やおやつを我先に食べはじめ、文句ばかり言ってる…めちゃくちゃ悪い手本ですね(笑)。たまに良いことも言うんですが、やっぱり気持ちが見えない行動の方が目立つので、今でも母は苦手なタイプです。ただ、自分がこの世に産まれてきたこと、姉と弟が大好きなのでそんな兄弟を産んでくれたことには感謝してます。いろいろ私のことを知ってる友達に「お母さんは生きてるご先祖さまと思えばいいよ」と言われた時に、スッと受け入れ楽になりました。どんな人だったのか知らなくても、ご先祖さまには命を繋いでくれてありがとうと思える。わたしの母にもそんな気持ちで接してます。親であり先祖。そう思うと感謝の心が湧いてくるようになりました。ーーこれまでのコメントや反響へのご感想や、親からの依存、束縛に悩む人たちにアドバイスがあればお聞かせください。かよらん:まず、いつも応援してくださってるフォロワーさんに感謝を伝えたいです。みなさんが、いいねやリプ、リツイートなどをしてくださり拡散され、たくさんの方に届けることができました。ありがとうございます。このツイートで本当に伝えたかったことは私の話よりも、ツリーにつづった、心屋仁之助さんの言葉です。「お母さんを捨ててもいい」。衝撃的でしたが、わたしの見える世界を変えた言葉でした。またその後もいろいろツイートしましたが、母を捨てる勇気を持てたことで、「母のせいで幸せになれない」という思い込みを捨てられたこと。わたしの生きる目的は、母を憎み捨てることではなく、自分がじぶんらしく輝くこと。辛く苦しい真っ只中の時は、頭の中が母でいっぱいになってましたが、それも依存だったんですよね。母のせいで私は不幸なんだと。まずは「自分はどう生きたいのか?在りたいのか?」と、自分に矢印を向けて、目的を確認するクセ付けを意識するといいかもです。わたしはずいぶん楽になりました。その人生の目的を叶えるために、母とはどんな点が問題なのか?と、具体的な解決策が見えやすくなったり、小さな問題は別にどうでもよくないコトだったと改めたり笑。もし人生の目的が「幸せになりたい」と漠然と思うなら、自分にとってどんな状態が幸せか?というのを、ノートやSNSにくわしく書き出すことをオススメします。例えば、「幸せになるために結婚したい!」なら、どんな人?付き合ってどのくらい?どんなプロポーズ?子供は?それを叶えるために、母との今どんな点が問題なのか?解決するにはどうしたらいいか?そもそも、それは本当に問題なのか?と考えられたりします。俗に言う”毒親”に育てられると、親のこと、つまり自分ではないことで頭がいっぱいなので、ご自身にまずはゆっくり目を向け、心に耳を澄ませてもらえたらなと。きっとそんなこと思いもしなかった人が多いと思いますので、じぶんの心を最優先にしてあげてください。自分がどう生きたいのかを決めると、どんな点が助けられるか周りの人も分かりやすくなります。1人じゃないです。助けてくれる人はたくさんいます。たった1度の人生、あきらめないでほしいです。◇ ◇読者のみなさんはかよらんさんのような体験、もしくはかよらんさんの母のような体験をしたことはあるだろうか。親子と言えども、別々の人生。過度な依存をして足を引っ張ったり、束縛して自由や将来の可能性を奪うことは人間としてあってはならないことだ。現在、インターネット上では親子関係についての悩みを相談できるサービスが多数存在する。苦しさを感じている人はぜひ一度、目を通していただきたい。(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)
「『お母さんのことは、どうでもいいのね。』大好きな彼氏にプロポーズされ、結婚が決まり、実家を出るからもうお金は渡せない、と母に伝えたときに言われた。わたしが居なくなると、お金に困らせてしまうのは分かってた。それでも、一生分の勇気を出して言った。親不孝だけど、もう邪魔されたくなかった」と自身の体験を紹介したのは現在2児の母で専業主婦のかよらんさん(@kayoko_outgoing)。
かよらんさんはこの母親に対し、続く投稿で
「『お母さんを泣かせてもいい。さみしい思いをさせてもいい。離れてもかわいそうじゃない。不幸じゃない。お母さんを捨ててもいい。人は自分で自分を幸せにする力を持ってるから、信じる。もう、お母さんを守らなくて大丈夫。』10数年前、TVで見かけた心屋仁之助さんの言葉を、ずっと胸に留めています」「わたしのしあわせが、母を追い詰めてしまう。分かってても、あのとき振りきった罪悪感が今も思い返すだけで苦しいけど、母には母の、私には私の、それぞれの幸せになる力を信じて、何を言われてもその距離感を大切にしています。」
とも。近年、“毒親”という言葉が流行しているが、子供に依存し、束縛することでしか自分の心を埋められなくなってしまう親はたしかに一定数存在するようだ。
かよらんさんの体験に対し、SNSユーザー達からは
「痛いほど気持ちが分かります。自分の幸せを優先するのは悪いことだと考えて自分で自分を実家に縛り続けていました。本当はそんな事無かったし、実家から逃げたって良かったし、見離して良かった。同じ様な境遇の方が幸せを選べる権利があると気づいて欲しいと願わずにはいられません。」「ぜんぜん親不孝ではありませんよ!!子供が成長して家を出ていくのは親が立派に子育てをした証拠です立派に成長した子供は自分で自分の人生を決めて進んでいかないといけないんだと思いま!!」「『子はその可愛さで六歳で親孝行を終える』そうですよ。おそらくその何倍にもあたる何十年、お疲れさまでしたとしか言いようがありません!!もう充分ですね。」
など数々の共感の声、驚きの声が寄せられている。
かよらんさんにお話を聞いた。
ーーお母さまがかよらんさんに経済的、精神的に依存されるようになったきっかけをお聞かせください。
かよらん:わたしが19歳のときに両親が離婚し、姉と私が2人で暮らし、母と弟は伯母の家に居候させてもらうことになりました。それまでもいろいろあり、父とはもう暮らせない状況だということは分かってたので、私たちは母の姓に変わりました。まだ高校生だった弟と離れるのがさみしかったのと、この頃は母に苦労をかけたくないという思いもあり、母、姉、私、弟の4人で暮らせる日を夢見ていました。
そして5年後、24歳の時にその夢が叶い4人で暮らせることになりました。振り返るとその頃から母からのお金の依存が強くなってた気がしてます。古いアパートとはいえ実家に住ませてもらってますし、私も働いてたのでお金を毎月入れてましたが、たかだか数万円とは言え「ありがとう」を一度も言ってもらったこともなく、娘からお金をもらうのは当たり前の態度。私の給料日になると「お金は?」と聞かれるのが苦痛でした。まだATMに行ってないと言うと、「いつ持ってくるの?早く」と急かされたり…その頃から依存に気付き始めました。
ーーかよらんさんが結婚することを知った際、お母さまの反応は。
かよらん:まず最初に鼻で笑われました。私が指輪が苦手なのを知っていた彼は婚約指輪の代わりにネックレスを買ってくれました。それに付いていたダイヤを見て母は失笑しながら「それ、くずダイヤって言うのよ」と言われ、なんとなくバカにされてるなと気付いたのですが、くずダイヤという単語を調べてみると、母に本当にバカにされてたことが分かりショックでした。そんな母親だと知ってたのに、一緒に喜んでくれると期待をしていた自分にも気付いてしまい、ダブルでショックでした。
ーー結婚後、お母さまとの関係性はいかがでしょうか?
かよらん:良くはないけど悪くもない、でもちょっと悪いかなという感じです。ただ、離れて暮らすようになって距離ができたのと、考え方が変わり心は楽になりました。母がガンになったりといろいろありましたが、今は同じ市内に住んでいて、数カ月に1度会うか会わないかという感じです。
姉も弟も家族を持ち、近くに住んでます。母は狭い1Kに一人暮らしで、私達には帰れる実家が無いので、家族で集まる時はいちばん母の家に近い姉の家が多いです。
ガンに侵されているとはいえ、人としての気持ちの部分が見えないというか…。集まっても孫たちを可愛がるわけでも無く、その日だけでも孫たちの世話や食事の準備など手伝うわけでもなく、ただ座ってTVを見て、姉と私が作ったり準備した食事やおやつを我先に食べはじめ、文句ばかり言ってる…めちゃくちゃ悪い手本ですね(笑)。たまに良いことも言うんですが、やっぱり気持ちが見えない行動の方が目立つので、今でも母は苦手なタイプです。
ただ、自分がこの世に産まれてきたこと、姉と弟が大好きなのでそんな兄弟を産んでくれたことには感謝してます。いろいろ私のことを知ってる友達に「お母さんは生きてるご先祖さまと思えばいいよ」と言われた時に、スッと受け入れ楽になりました。どんな人だったのか知らなくても、ご先祖さまには命を繋いでくれてありがとうと思える。わたしの母にもそんな気持ちで接してます。親であり先祖。そう思うと感謝の心が湧いてくるようになりました。
ーーこれまでのコメントや反響へのご感想や、親からの依存、束縛に悩む人たちにアドバイスがあればお聞かせください。
かよらん:まず、いつも応援してくださってるフォロワーさんに感謝を伝えたいです。みなさんが、いいねやリプ、リツイートなどをしてくださり拡散され、たくさんの方に届けることができました。ありがとうございます。このツイートで本当に伝えたかったことは私の話よりも、ツリーにつづった、心屋仁之助さんの言葉です。「お母さんを捨ててもいい」。衝撃的でしたが、わたしの見える世界を変えた言葉でした。
またその後もいろいろツイートしましたが、母を捨てる勇気を持てたことで、「母のせいで幸せになれない」という思い込みを捨てられたこと。わたしの生きる目的は、母を憎み捨てることではなく、自分がじぶんらしく輝くこと。辛く苦しい真っ只中の時は、頭の中が母でいっぱいになってましたが、それも依存だったんですよね。母のせいで私は不幸なんだと。
まずは「自分はどう生きたいのか?在りたいのか?」と、自分に矢印を向けて、目的を確認するクセ付けを意識するといいかもです。わたしはずいぶん楽になりました。その人生の目的を叶えるために、母とはどんな点が問題なのか?と、具体的な解決策が見えやすくなったり、小さな問題は別にどうでもよくないコトだったと改めたり笑。
もし人生の目的が「幸せになりたい」と漠然と思うなら、自分にとってどんな状態が幸せか?というのを、ノートやSNSにくわしく書き出すことをオススメします。例えば、「幸せになるために結婚したい!」なら、どんな人?付き合ってどのくらい?どんなプロポーズ?子供は?それを叶えるために、母との今どんな点が問題なのか?解決するにはどうしたらいいか?そもそも、それは本当に問題なのか?と考えられたりします。
俗に言う”毒親”に育てられると、親のこと、つまり自分ではないことで頭がいっぱいなので、ご自身にまずはゆっくり目を向け、心に耳を澄ませてもらえたらなと。きっとそんなこと思いもしなかった人が多いと思いますので、じぶんの心を最優先にしてあげてください。自分がどう生きたいのかを決めると、どんな点が助けられるか周りの人も分かりやすくなります。1人じゃないです。助けてくれる人はたくさんいます。たった1度の人生、あきらめないでほしいです。
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読者のみなさんはかよらんさんのような体験、もしくはかよらんさんの母のような体験をしたことはあるだろうか。親子と言えども、別々の人生。過度な依存をして足を引っ張ったり、束縛して自由や将来の可能性を奪うことは人間としてあってはならないことだ。
現在、インターネット上では親子関係についての悩みを相談できるサービスが多数存在する。苦しさを感じている人はぜひ一度、目を通していただきたい。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)

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