なぜ観光資源にできない 軍港・舞鶴に眠り続ける旧海軍遺産

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

旧海軍鎮守府が置かれ、第二次世界大戦後の「引き揚げ港」だった京都府舞鶴市に、令和の時代になっても活用されていない遺産「旧軍用財産」が眠っている。
ガソリン庫(こ)やトーチカの軍事施設が残る島々、旧海軍の防空指揮所などがある土地で、広さは約305万4千平方メートルに及ぶ。一部は貴重な観光資源になりうるだけに、同市は有効活用を模索する。だが、計画性や安全確認の調査など活用へのハードルは高い。
東京で10月3日、開催された「旧軍港市国有財産処理審議会」。舞鶴市に残る旧海軍用地(国有地)の一部が、国から同市に無償譲渡されることが決まった。海軍舞鶴鎮守府築港材料置き場跡地で広さ約6370平方メートル。JR西舞鶴駅の北西1・2キロにある空き地で、国道175号に面した?一等地?だ。
他にも旧海軍省が所有していた用地は、海軍鎮守府が置かれた舞鶴市内に点在。昭和20年の時点で約2045万平方メートルあり、令和3年までに約1739万6千平方メートルが同市に譲渡されたが、依然として約305万4千平方メートルが残る。
軍用地の譲渡は昭和25年に「旧軍港市転換法」で「必要があると認める場合、事業を行う費用を負担する公共団体に財産を譲与しなければならない」などと定められている。
今回の土地は、これまで国が合同庁舎建設などを検討する際の候補地として所有してきた。同市が東消防署中出張所と統合・移転する新たな西消防署の建設用地として、令和3年度に近畿財務局に譲渡を要望。近畿財務局が同審議会に譲渡を諮問し、認められた。
進まぬ譲渡や活動、なぜ?
同市では平成26年、軍艦の材料を保管する「旧舞鶴海軍工廠艦材囲場」が伊佐津川運動公園として利用するため、譲渡されて以来となる。なぜ、譲渡や活用は進まないのか。
「今回は(計画が)うまくはまった」。舞鶴市資産マネジメント推進課は、そう説明する。「市として活用するには、広い土地が必要で、市の計画で位置付ける必要がある」という。今回は国が活用する予定がなく、消防署の移転という市の計画がうまく適合した結果だった。同課は「旧軍用地の多くが小さな土地に分かれており、利用が難しい」と明かす。
だが、観光資源や歴史遺産になりうる?お宝?も眠っている。
その一つが平成28年認定の日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体験できるまち」に含まれる「蛇島(じゃじま)ガソリン庫」。舞鶴湾の無人島・蛇島にある「舞鶴鎮守府島嶼(とうしょ)施設」で、大正11年に海軍の燃料保管施設が設置された。島を貫通するトンネル4本(長さ65~70メートル、幅3・6メートル、高さ3・5メートル)や石垣の護岸などもあり、当時のインフラ技術を伝える貴重な遺産とみられている。
日本遺産には令和2年6月に追加認定され、同年には104年ぶりに住民が上陸した。一般公開が期待されたが、譲渡や活用には至っていない。
また、平成20年までキャンプ場として利用されていた無人島・戸島の活用も注目される。戸島は舞鶴湾内で最大の島。島の海岸の東側と南側には旧海軍が護岸を作り、大砲発射場標的跡やトーチカが残る。
昭和44年に京都府が国から島の一部を取得し、「府青少年の島・戸島」として、キャンプ場を開設した。同市内の多くの小中学生らが利用してきたが、イノシシなど野生生物の出現や井戸の衛生状態の悪化で、平成20年に閉鎖。上陸禁止となり、島は放置されたままの状態となっている。
キャンプ場を利用したことのある市民らがボランティア団体を結成。蛇島と戸島の再生を舞鶴市にアピールし、令和3年8月から許可を得たうえで雑木の伐採や清掃活動などに取り組んでいるが、利用のめどはたっていない。
このほか、地下に大規模な施設がある「東山防空指揮所」などの戦争を記憶する遺産として価値が高い土地も残る。舞鶴市がアピールする「旧海軍鎮守府のまち」として、活用の可能性が高い資産だ。
まずは調査が必要
「活用には安全性の確認や利用計画への調査が必要になる」。舞鶴市観光振興課の担当者は「いずれも時代を経て、戦後は手つかずの状況。調査や観光ニーズなど調査が必要」と述べる。調査費用などに相当な予算が必要になる見込みという。それでも「精査したうえで目的を持って、海軍ゆかりのまちとして資産をいかしていきたい」と話す。
現在、これらの土地を管理する近畿財務局京都財務事務所舞鶴出張所は「活用計画が法にかなって、目的に達することができるのかなどを見たうえで、認められれば、旧軍港市国有財産処理審議会に答申して、処理をしたい」としている。(永山裕司)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。