「注文に時間がかかるカフェ」と呼ばれるカフェがある。吃音を抱える若者たちが全国を移動しながら営業する、期間限定のカフェだ。これまで、27都道府県で展開してきた。発起人は、奥村安莉沙さん。彼女はなぜこの業態を選んだのか。同じく吃音当事者でありスタッフとして参加経験のある赤石征悦さん、沙南さんへの取材を通して、滑らかに言葉のでない若者たちが「接客」をするまでに迫った。
【画像】自身も吃音の症状に苦悩してきたという、“注カフェ”発起人の奥村安莉沙さん
“注文に時間がかかるカフェ”(以下、注カフェ)は普通のカフェと変わらない。唯一、店員が発話しづらかったり、注文のやり取りに時間がかかってしまったりする点を除いては。ゆえに、「ご配慮いただきたいこと」として、その一般的な対応が同店のホームページ上でも示されている。発起人である奥村さんが自身の吃音に気づく端緒となった出来事は、切なく悲しい。
「小学2年生くらいまで自分では話し方が変だとわからなかったんです。しかし、クラスの友達を介して、授業参観で国語の音読を見たその子の親が、『奥村さんは話し方が変だ』と言っているのを知りました。さらに、『奥村さんとはあまり仲よくしないほうがいいかもしれない』とも言われたと聞いて、ショックでした。もちろん、クラスメイトの保護者のなかには医療従事者もいて、『吃音は感染しない』などと正しい主張をしてくれたこともありましたが、その出来事は自分のなかでとても衝撃的でした」
思春期にはこんな辛酸も舐めた。「中学生のころ、自己紹介の時間がありました。私は“あ行”の発音が苦手なのですが、姓名どちらも“あ行”から始まるので、とても時間がかかってしまいました。すると、『早くしろ、進まないだろ』という怒号とともにゴミを投げられました。そんなこともあって吃音に対する周囲の視線が気になりすぎて、やがて人前に出るのが憂鬱になりました。たとえば、長期休みの宿題で描いた絵がうまくできたのですが、選出されると学年集会で表彰されてみんなの前でなにか喋らなくてはならないので、わざと上から塗りつぶして下手に描いたものを提出しました」
吃音と向き合う日々は、いつしか奥村さんの日常から積極性を削いでいった。さらに成長して大人になってからも自己紹介に対する苦手意識は、就職活動においてもかなりの不利を強いられた。「自己紹介にはかなり苦しめられました。名前を言うだけで自己紹介の制限時間を使い切ってしまったこともあります。結局、200社に落とされました」
吃音を抱えながらも、奥村さんがカフェをやりたいと思った根底には、こんなきっかけがある。「前提として、吃音がある人たちも、接客業に対する憧れは普通の人と同様にあるんです。私も幼少期から、カフェをやりたいなと思っていました。ただ確かに、スムーズな意思疎通ができないことで、障壁になることはわかっていました。海外留学をした際に、とあるカフェで言葉が通じなくても身振り手振りで意思疎通をしている様子をみて、『そういう接客のあり方もあるんだ』とひらめいたんです」
はたして、その発見は功を奏した。「注カフェを始めてみると、まず吃音当事者のなかに接客業をやりたいと思っていた子が多かったことに気づきました。驚いたのは、お客さんからも『外国人だからゆっくり注文できていい』『優柔不断な性格だから、急かされなくていい』といった前向きな声があったことです」
注カフェでは、実際どんな人が働いているのだろうか。都内の大学に通う大学1年生の沙南さん(18歳)は、中学生のときにニュースで注カフェの存在を知り、高校1年生から参加している。彼女の吃音は、3歳のときから始まっていたという。小学校に入学して辛かったのは、国語の音読の時間だ。「出だしの音がつっかえているのを見て、クラスがシーンとしてしまいました。先生は私が読む場所を認識していないと思って『ここを読むんだよ』と教えてくれるのですが、読む場所がわからないわけではないんです。そのうち、クラスメイトから『早くしてよ』なんて声も聞こえてきて、とても悲しかった記憶があります」
それでも小学校低学年のうちはお遊戯会など人前での発表にも積極的に挑戦した沙南さんだが、高学年になると変化が出てくる。「私の場合、まったく声が出ないというわけではなくて、特定の発音が苦手なんです。それで、セリフにそうした発音を含むものがあるとつっかえてしまうんです。学芸会の練習のときもそんな調子なので、クラスメイトから『真面目にやってよ』などと言われて、高学年になってからは、頼まれてもセリフの多い役柄は断っていました」
こうした悩みを理解してくれる大人は少なかったと振り返る。「学年が上がって小学校の先生に相談したこともありましたが、心配してくれるものの、『緊張しなくていいんだよ』という程度のことしか言ってくれませんでした」一方で、長く吃音と向き合ったことで、対処法も心得た。「苦手な発音を回避して似た言葉を選択することで、違和感なく会話ができるようにはなりました。それでも、セリフなど置き換えが不可能なものは未だに苦手です」
そんな沙南さんが現在懸念するのは、将来に控えた就職活動だ。「私は教員を志望しているのですが、教員採用試験や教育実習など、人前で話さなければならない場面が多くあることが予想されます。自分の名前の発音を苦手としているため、今から非常に不安でいっぱいです」
沙南さんが目指すのは小学校教諭。その理由をこう明かす。「私にとって小学生時代は、吃音によって苦しめられた記憶が濃い時期でもあります。話したいことがあるのに言えず、人間関係に悩んだことを思い出します。一般的にはあまり理解されない苦しみがあることを知り、そうした苦しみがわかる教育者になりたいと思ったのは、そのときです」
赤石征悦さん(21歳)もやはり、小学生時代の国語の音読でクラスメイトから笑われた経験を持つ。だが赤石さんを傷つけたのは、何気ない言葉だった。「中学時代、吹奏楽部に所属していたのですが、発表会で司会に指名されたことがありました。観客からのアンケートを読んでみると、『司会がなにを言っているのか聞き取りづらい』『もっとハキハキと話せないのか』という辛辣な内容が書かれていました」
自分の声は聞き取りづらい――。アンケートで可視化されたその声は、赤石さんを傷つけたはずだ。話すことに対して少なからず恐怖を感じたかもしれない。翻って、注カフェではそのような心配がないと話す。「私は以前から、接客業をはじめとした人とコミュニケーションをする仕事がしてみたいと思っていました。しかしどこかで諦めてもいました。注カフェの場合は、お客様もこちら側に吃音があることを知っていてくださるので、中学校時代のアンケートのような反応がなく、安心して参加することができました」
赤石さんがこれからの社会に望むことはこんなことだ。「吃音で死ぬことはありませんが、もう少し世の中が吃音について、あるいは吃音によって悩む人がいることについて、知ってほしいなと思う部分があります。特に多感な時期の子どもたちの気持ちが少しでも和らぐように、周知されていけばいいなと考えています」
*注カフェを展開していくことは、さまざまな吃音当事者や客と出会うことでもある。発起人として、奥村さんは財産とも呼べる経験をしたという。「中心的なスタッフのひとりで、かなり重い吃音を抱えているスタッフがいたのですが、その人が憧れだった大手コーヒーチェーンの従業員として採用されたのはとてもうれしい出来事でした。障害があっても憧れの場所でサービスを提供できるという可能性が拓けたように思います。また、とある都市で注カフェをやった際、朝のラッシュ時にサラリーマンが並ぶことがありました。注カフェはやり取りに時間のかかることが多く、心苦しいなと感じていたら、そのサラリーマンがコーヒーを飲んで『いい味がするよ』と笑顔で言ってくれたんです。そうした些細なことが、私たちの励みになります」
言いたいことが声にならない、発するまでに時間がかかる。それが原因で露骨な中傷がなされ、心はえぐられる。苦い経験を繰り返し、コミュニケーションを諦めてもおかしくないほどの傷を抱えた、吃音当事者たち。注カフェで頼んだ一杯が提供されるまでには、確かに時間がかかる。だがその一杯は、彼らが「それでも接客がしたい」という気持ちにたどり着くまでの、はてしない時間の結晶でもある。私たちは、その一杯をどういただくか。忙しない日常において、誰もが振り返らずにすぎていく時間の隙間に、ふだんより少し注文に時間がかかるカフェで吃音当事者たちの時間を挟み込む挑戦は、この先も続く。取材・文・写真/黒島暁生