小学生から「認知症の祖母」を介護し、ついには高校中退…13年もの過酷な「ヤングケアラー」生活が続いた「悲しい事情」

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読者の皆様、相談支援事業所をご存知でしょうか? 相談支援事業所とは、都道府県や市町村が指定した無料相談所で、幅広い障がいの相談や必要なら障がい福祉サービスにつなぐお手伝いをします。その他、障がい世帯から派生するケアラー、ひきこもり、生活困窮など複合的な課題の相談や解決に応じるいわば介護・福祉の総合窓口。
今回は、筆者が勤務する「大阪市旭区相談支援事業所Kaveri」に届いた問題の事例をご紹介します。小学生時代からヤングケアラーとしての生活が始まった男性のケースから透けて見える、社会や家庭環境などの問題とは。最後までご覧いただければ幸いです。
吉本功さん(仮名=以下同)は、現在関西に住む40代半ばの男性です。家族構成は、父親、母親、祖母の4人家族。父親は中小企業の従業員、母親は体があまり強くないもののスーパーのパートタイマーで勤務中、認知症の祖母がいます。
功さんが小学生の頃から祖母の認知症の症状は進行していて、夕方から明け方を中心に突然外へ飛び出そうとしたり、上半身裸になって衣服をタオルに巻いて歩こうとしたりと常時介護が必要な状況……。
祖母の要介護度は3。デイサービス、ショートステイ、訪問看護と介護サービスを利用していたものの介護保険の1ヶ月の上限が決まっていて、夜から朝方にかけて1週間のうち大半で在宅介護が必要になりました。
主に母親が祖母のケアを担っていましたが、母親の体調が悪い時は功さんが祖母の介護を手伝うようになりました。
功さんはここからさらに過酷な経験をすることになります。
祖母の介護がつづく中、母親は父親に「おばあちゃんの介護、もう限界だわ。介護施設に入ってもらっていい? このままでは功の学校生活に影響出てしまうで」と言ったものの、父親は「介護サービス使ってるやん。まだ要介護3?もう少し面倒みれるやろ。功はできる範囲で手伝わせたらええやん」と責任放棄気味に返すばかり。
「父親は、祖母には年金がほぼないのを知っていて介護施設の費用などの負担を引き受けたくないのと、面倒な事に巻き込まれたくなかったのもあってか、私や母親に祖母のケアを押しつけました」(功さん)
母親の体調が思わしくないことが増え、祖母へのケアの負担がますます重くなり、功さんはついに中学校を不登校になりました。
「学校はなるべく休みたくなかったので担任に相談しようとしたものの、どう伝えたらいいかわかりませんでしたし、家の内情を話すのは抵抗がありました。それと、母親のケアの負担を少しでも減らしたかったのがあります」(功さん)
祖母の認知症の症状はますます進行しました。功さんは負担が重い「ヤングケアラー」になり、高校に入学したものの、成績が悪い上に人間関係になじめず、すぐに退学しました。あとは自宅にひきこもって祖母の介護をする毎日……。
「たとえば、夜に祖母から少し来てと呼ばれるんです。ばあちゃんどないしたん?と返すとトイレの前でウロウロしていて尿が便器の下に全部落ち後始末に追われます。ですから、朝になれば眠気と疲れで体が動きませんでした」(功さん)
功さんを見かねた母親は、「功、高校を中退してしまったんやで。あんたそれでもお母さん(祖母)の介護を続けろというの?」と怒り口調で父親を問いただしました。
父親は、功さんが高校を中退する想定外の事態に発展してしまったことにさすがに驚き、ようやく祖母を施設に預ける決断をして、介護施設費用や生活費を出すようになりました。
筆者は、ケアラーひきこもり障がい重層支援団体「よしてよせての会」の代表も務めていて、親族のケアをしている学生から功さんと似た内容の相談が寄せられることがあります。筆者の会は、本人と介護福祉教育など専門職と当事者が一緒に考え必要な場合は支援機関、そうでない時はLINEグループチャットやオンライン・オフライン会でピアサポートしつつ見守っています。
「ヤングケアラー」は、教育現場、介護・福祉現場、医療機関、NPOなど支援団体など多職種連携が不可欠です。しかし、自治体によってかなりの支援格差や温度差を感じます。支援か否かを問わず一人でも守っていきたいですよね。
* * *
祖母を施設に預けることになり、功さんは気がつけば23歳、小学生から続いた約13年間の「ヤングケアラー」生活が終わったかのように見えたのですが……。功さんの家族にまた異変が。そして社会に出た功さんを待ち受ける大きな壁とは?
くわしくは後編記事〈13年間、祖母を介護した「ヤングケアラー」を待つ過酷な運命…母は倒れ、仕事が1年も続かない生活で発覚した「生きづらさ」の正体〉でお伝えします。
奥村シンゴ
大阪相談支援KAVERIケアラー事業部責任者、介護福祉ライター、講師、支援団体「よしてよせての会」代表。
NHKで解説の他、取材・執筆や大学・自治体など講演多数。また、大阪や兵庫(宝塚中心)に啓発や居場所活動を積極的に展開中。
著書『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』2023年夏国際ソロプチミスト神戸東クローバー賞受賞。介護離職や若者ケアラー~就職氷河期10年(ダブルケア、ひきこもり含)経験。生粋の阪神ファン。
ツイッター @okumurashingo43
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13年間、祖母を介護した「ヤングケアラー」を待つ過酷な運命…母は倒れ、仕事が1年も続かない生活で発覚した「生きづらさ」の正体

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