オーラル・ヒストリーの第一人者として知られる、政治学者の御厨貴さん。御厨さんは自らががんを経験したことで、「言葉を記録する」仕事への新たな視点が芽生えたという。その闘病を語った。
【画像】御厨氏の闘病当時の日記
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御厨さんが膀胱がんの告知を受けたのは今から8年前の2018年3月、67歳になる年のことだった。その6年前に東京大学名誉教授となり、天皇陛下の退位をめぐる有識者会議で座長代理を務めるなど、メディア対応にも追われる忙しい日々が続いていた。
前年に天皇の生前退位をめぐる有識者会議の最終報告を出し、大きな重圧をともなった仕事が少し落ち着いたこの年、研究室のある東京大学先端科学技術研究センターのトイレで用を足した際、塊のようなものを伴った真っ赤な血尿が出た。驚いてかかりつけ医の診察を受けたところ、翌日には自宅近くの総合病院で精密検査を行うことになった。すると、担当医から「これはちょっと面倒かもしれません」と、泌尿器かその周辺のがんである可能性が極めて高いと伝えられた。そのとき、父親をがんで亡くしている御厨さんは、
御厨貴氏 文藝春秋
「ああ、ついに俺にもがんがきたか」
と、どこか冷静にその言葉を受け止めたと振り返る。
「検査入院の結果、診断は膀胱がんで、惜しかったと。半年早かったら他の治療も考えられたけど、もうかなり来ちゃっているから、がん細胞そのものを取らないと、たぶんあっという間に広がってしまうと言われたわけです」
治療では膀胱を温存するために、まずはBCGを用いた膀胱内注入療法を勧められた。結核予防のワクチンであるBCGをカテーテルで膀胱に注入し、免疫力を高めてがん細胞を攻撃する標準的な治療だ。
「簡単にできますか?」
そう訊ねると、さばさばとした雰囲気の担当医は「簡単だよ」と言い、その日のうちに1回目の治療を行うことになった。カテーテルを「シュッ」と入れる際の痛みには我慢できないものを感じたが、1週間に一度のBCG投与8回を耐えた。
「担当医は『簡単』というけれど、この治療は本当につらくてね。翌日には必ずと言っていいほど高熱が出たし、同じ治療を受けている外来の患者さんたちも一人、また一人と減っていくんです。あまりの苦痛に耐えかねて、『こんなことをして本当に治るのか』という疑念に負け、治療を諦めてしまうんですね。その意味では私は優等生だったと思います。どうしてこんなところに来ないといけないんだ、本当に治るのかと心では思っても、それを医師に対して口にすることはありませんでしたから」
しかし、結果的にBCGを用いた治療は思うような効果が得られず、2カ月後の診察の際に担当医からこう言われた。
「御厨さん、もう思いきったらどうですか」
膀胱の全摘出を勧める言葉だった。

「部分摘出というのはないんですか?」
そう訊ねると、膀胱の場合はがんが広がる速度がはやいため、「自分は取ることをおすすめする」と担当医は説明した。
「僕の担当医は、ダメなものはダメとはっきり言う激しいタイプの人でした。お世辞にも優しい物言いではないので、怒る人もいるかもしれません。でも、私にはその明快さがよかった。何より大事なのは納得できること。お飾り風な話を真に受けて後悔するのが最も嫌だったので、バチッとものを言ってくれるこの先生に託そう、と決めたわけです」
御厨さんはインタビューの際、当時使っていた『不思議の国のアリス』の絵柄の日記をめくり、そのときの心境や場面を思い返していた。それまでびっしりと書き込まれていた日記が、術後の10日間ほどの頁は全くの空白になっている。それをしみじみと見ながら、「やはり手術はきつかったんだな」と彼はぽつりと言った。

では、治療に専念していたこの時期、御厨さんは「がん」という病にどのようなやり方で向き合おうとしたのか。そう聞くと、彼は次のように語った。
「がんが見つかってからは、もちろん不安でしたよね。手術で取れば転移はしないと言われていたけれど、膀胱がんで10年後も生きている確率を聞いたら、確か『50パーセント』と言われましたから。特に2年後くらいの再発が多いし、転移している可能性もある。そういう点で言えば、これは運を天に任せるしかないんだ、と考えたよね。その上でこれからどうするか。俺の命も有限であるんだ、ということを突き付けられてから、そのことをどう受け入れていくか……。それが問題だった」
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※本記事の全文(6000字)は「文藝春秋」2026年4月号、および月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(御厨貴「【膀胱がん】病と向き合って竹下登の気持ちが分かった」)。
(御厨 貴/文藝春秋 2026年4月号)