鈍器で殴られたような激しい頭痛に、男は目を覚ました。頭だけでなく、全身が痛い。朦朧とする意識のなかで周囲を見渡すと、鬱蒼とした森に自分が横たわっていることがわかった。そのまま気絶と覚醒を繰り返した。昼と夜が2回ずつ訪れたので、おそらく2日ほど森のなかで過ごしたのだろう。
とにかく移動しなければならないと思い、男は歩いて道路に出た。フラフラと歩いていくと、「出雲坂根駅」という案内標識が見え、その近くに「延命水」と書かれた看板もあった。「水」という文字を見て強烈な渇きを覚え、付近の水汲み場で浴びるように水を飲む。喉を潤したことで人心地つき、ベンチに座った。
だがその瞬間、とてつもない不安が襲ってきた。
あれっ、自分の名前なんだっけ……。思い出せない。ここはどこなのか。年齢は。職業は。住んでいた場所は。次から次に疑問が湧いてくるが、まったく答えが出てこない。圧倒的な不安に押しつぶされそうになった男は、ただ呆然とベンチに座り続けるしかなかった――。
2025年9月2日、テレビの報道番組でインタビュー映像が放送された「自称・田中一」という男性を覚えている人も多いのではないだろうか。わざわざテロップで「自称」と明記されたことには理由がある。テレビ出演したのは、自身の素性を知る人に呼びかけるため。田中さんは2025年7月上旬、島根県奥出雲町の山中で目覚める以前の記憶の一切を、失っていたのだ。
田中さんの存在は特徴的なモヒカンヘアーも相まって大きな話題を呼び、放送直後からネット上では猛烈な「特定合戦」が始まった。当時はすでにNPO団体に保護されており、スマホも持っていた田中さんは、その状況に恐怖を覚え、以降はメディアとの接触を絶った。
それから約4ヵ月が経った’25年12月、本誌は田中さんにコンタクトを取った。当初は強い警戒心を示していた田中さんだが、記者が「取材ではなくまずはお会いしたい」と呼び掛け、面会を重ねるうちに徐々に心を開いていった。
やがて田中さんは、「自身の経験を形に残しておきたい」と語るようになり、顔を出さないという条件で本誌の独占インタビューに応じた。
以下は、記憶喪失になったうえ、原因もわからないという前代未聞の”事件”がその身に降りかかった、自称・田中一さんの「自分探し」を追体験するルポである。
「出雲坂根駅近くのベンチに座ったのは夕方くらいだったと思いますが、呆然としたまま夜になっていました。街灯の下で改めてカバンの中身を確認したら、ポリ袋に入った現金を見つけた。使い方は判然としませんでしたが、『お金』ということは認識できました。数えてみると、『壱万円』と記載されたものが58枚ありました」
田中さんは当時をそう振り返る。極めて丁寧な口調で、ひと言ひと言確かめるように話すのが特徴だ(以下、鉤カッコ内は田中さんの発言)。
駅近くの茂みで一夜を明かし、翌朝、水汲み場でシャツと体を洗い、ゴミ箱で拾ったペットボトルに水を入れた。付近を歩くと人とすれ違うこともあったが、怖くて話しかけられなかった。
駅舎で案内図を見ても、何も思い出せない。駅近くの茂みで再び野宿。自分が何者かを確かめたいという思いはあったが、どこに向かえばいいかわからない。不安の極致にあった。
「翌朝、駅近くでぼんやりしていると、地元の男性が『どこから来たの?』と声をかけてくれました。記憶がなく、不安を感じていることを伝えると、男性は『とりあえず町に出たほうが良い。何か知っている人がいるかもしれない』と提案してくれ、車で出雲市駅まで送ってくれました。
駅前はお店がとても多かった。僕はとにかくお腹が空いていたので、いちばんキラキラしていた店に入りました」
田中さんは名称を覚えていなかったが、その店はコンビニだった。「焼きそば」や「メロンパン」といった文字を見ても、何かわからない。が、それが食べ物であることはわかった。
「鮭」と「シーチキン」のおにぎり、「カレーパン」と「ソーセージパン」を買って近くの空き地で食べる。とてつもなく美味しかった。
そのまま野宿して、翌日からは周囲を歩き回った田中さん。はたして、自分が何者かわかったのか――。
1月5日発売の『週刊現代』では、田中さんへの密着ルポ第1弾を掲載。「田中一」を自称するようになった経緯や、警察署や市役所を「たらい回し」にされる様子を詳報している。
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