教師による「不適切な指導」で、子どもの命が奪われる──。学校や部活動の現場でおこなわれる日常的な指導が、ある日、取り返しのつかない結果を招くことがある。いわゆる「指導死」だ。
2025年12月に日本体育大学で開かれた「学校・部活動における重大事件・事故から学ぶ研修会」では、12年以上前に弟を失った女性が登壇し、今なお消えない問いを学生たちに投げかけた。(ライター・渋井哲也)
学生たちが詰めかけた会場で体験を語ったのは、2013年3月に弟の悠太さん(当時16歳)を亡くした姉のはるかさんだ。
悠太さんは、顧問による不適切な指導をきっかけに自らの命を絶った。いわゆる「指導死」とされるケースだ。
悠太さんは北海道札幌東陵高校の吹奏楽部に所属していた。2013年3月3日、顧問からの「不適切な指導」を受けた翌日、学校を出て自殺した。
遺族は学校側と話し合いを続けたものの折り合わず、北海道を相手に損害賠償を求める裁判を起こした。札幌高裁は2020年11月、請求を棄却したが、前日の指導について「指導方法が適切とはいえず」と認定している。
不適切な指導をきっかけに児童生徒が自殺に追い込まれる「指導死」。悠太さんの身に何が起きていたのか。
「悠太はもともと音楽が好きで、中学から吹奏楽部を始めました。顧問をすごく慕っていて、高校も吹奏楽が盛んな学校を探して受験したんです」
はるかさんはそう振り返る。
「高校でも全国大会を目指したい、中学でお世話になった顧問に成長した自分を見せたい──という気持ちで毎日練習に励んでいました」
高校生活の中心は吹奏楽部だった。部活が、悠太さんにとっての居場所だった。
「朝の始業前、昼休み、放課後と毎日練習がありました。休みはお盆の2日とお正月の3日。あとはテスト前だけ。昼休みにも練習があるので、お昼ご飯は授業の合間の10分休みに食べていました。クラスメートや家族と過ごす時間はほとんどありませんでした」
そんな中で、悠太さんは2度、大きな指導を受けることになる。1度目は亡くなる1カ月前だった。
3年生部員の引退後、悠太さんは1年生のリーダーを任された。しかし、それをきっかけに部内で孤立し、悩んで部活を休みがちになった。担任にも相談しながら、一度は退部も考える。
「演奏会に見に行き、自分の気持ちを確かめた結果、復帰したいと思ったようです」
復帰にあたり、悠太さんは部員に「お疲れ様。課題もあったけど、また頑張ろう」といったメールを送った。
しかし、これに一部の部員が反発し、悠太さんが参加していないLINEグループで悪口を書き込むようになる。そこで話し合った内容がメールで悠太さんに伝えられたことで、トラブルが拡大した。
LINEグループ内のやりとりは考慮されず、メールの内容だけが学校に伝えられたため、悠太さんだけが指導を受けることになった。
顧問は「吹奏楽部の汚点」と位置づけ、学校は悠太さんに5つのテーマで反省文を書くよう命じた。さらに顧問は、部員全員への謝罪と、連絡網以外でのメール禁止を部活継続の条件とした。
「私は『学校、おかしくない?そんなの書かなくていいし、もう部活辞めちゃえば?』と言いました。悠太は『自分が言い過ぎたのは確かだから、本当に辞めさせられなくてよかった』と言って、反省文15枚を書き、みんなの前で謝罪しました」
その姿を見て、はるかさんは、悠太さんにとって、部活がどれほど大切な存在だったかを痛感したという。
しかし、一度壊れた人間関係の修復は容易ではなかった。
後にわかったことだが、部内で「悠太を続けさせるかどうか」を話し合うミーティングが開かれていたという。「切り捨てるのはよくない」と発言した先輩がおり、最終的に部に残すことになった。
しばらくして、同学年の男子部員2人とは関係が修復できた。悠太さんは「隠し事をしないように」と、部則違反の「部内恋愛」についても打ち明けた。
しかし、2人は「放置すると問題が広がってしまう」と考え、部則を重視していた顧問に報告した。これが、2度目の指導につながる。
自殺の前日、顧問は悠太さんを呼び出し、先輩部員4人を立ち会わせうえで「嘘を吹聴した」と一方的に叱責した。報告内容を誤解したままの指導だったという。
「『何のことだかわかるよな?』と言われて、『わからない』と言ったら怒られるのが怖くて、悠太は『はい』と答えたそうです。
続けて『お前のやっていることは名誉毀損で犯罪だ。俺の娘に同じことをされたらお前の家に殴り込みに行く。警察にも訴える。三度目はないぞ』
さらに『もう誰とも連絡取るな。喋るな。行事にも参加しなくていい。お前は与えられた仕事だけしていればいい』と言われました」
はるかさんは「人として存在できない条件だと感じた」と語る。
その夜、悠太さんは家族に指導の内容を話したが、言えなかったことがあった。立ち会った先輩部員からも「部活を辞めてほしい」と言われたことだ。
「仲間であるはずの部員からも言われたことは、つらすぎて言葉にできなかったのではないかと思います。私は、立ち会わされた先輩部員も、命を奪う指導に加担させられた被害者だと思っています」
翌日は日曜日だったが、悠太さんは「行かないと本当に辞めさせられちゃうから」といい、部活のためだけに学校へ向かった。しかし、職員室に寄ったものの、部活には参加せず、学校を出て自殺した。
遺書となったメールは、同じ部員の1人に送られていた。
「(部内恋愛を打ち明けた)2人を信用した俺が馬鹿だったんだね。信じなきゃよかった。生まれなきゃよかった」
顧問は、悠太さんが登校していたことを知りながら、部活に参加していないことを家庭に連絡しなかったという。それどころか、部員には「これであいつはもう駄目だな。今後は一切関わらないこと、もうあいつのことは話題にしないで練習に集中だ」と伝えたとされる。
「このとき、悠太はまだ生きていました。亡くなるまで3時間半もあった。親に連絡を入れてくれていれば、死なせずに済んだかもしれません」
遺族が訴えた裁判で、札幌高裁は請求を棄却した。
一方で「そもそも指導対象となる事実関係について、適切に確認しなかった」「前日の指導方法が適切とはいえず、教育的効果を発揮するどころか、かえって生徒を混乱させる指導になった」として、不合理な指導を認定した。
はるかさんは、指導死の危険性をこう訴える。
「前日の指導には、自殺の危険要素がたくさん入っています。一方的な叱責による混乱や焦り、仲間の前で叱責することで恥をかかせること、居場所である吹奏楽部や親友を失う絶望、自分さえいなければという周りに負担をかけている感覚。
こういったものがそろうと、死ぬことが唯一の手段のように思えてしまう状況になります。どうすれば不適切指導をなくしていけるのか、一緒に考えていただけたらと思います」
会場で話を聞いていた学生からはこんな声が上がった。
「自分の学校生活や部活動を通じて、照らし合わせられるところもありました。学校では生徒一人一人が主役で、指導者はフォローする存在に過ぎない。萎縮させるような指導は今後なくなればいい。教員志望ではないですが、(将来)職場で後輩ができたときに、一つ一つの言葉がどんな影響があるのかを考えたい」(男子学生・1年・野球部)
「今はトレーナーとして活動しています。激しい指導で、生徒が自分を責めるような心理状況になると感じました。もし教師になるとしたら、自分の考えを話せる職場環境を作ったり、自分の指導の仕方を考えながら仕事をしていくことが大事だと思いました」(男子学生・1年・トレーナー研究会)