いま、熊と人間の世界の境目がなくなりつつある。山間部に近い地域で出没するだけでなく、10月23日には岩手県盛岡市の官公庁が並ぶ市街地で目撃されたほか、同25日には仙台市の住宅地でタクシーと熊が衝突する事故が発生するなど、人が多く暮らしている地域においても危険が迫っている。
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恐ろしいのが、熊に襲撃されるのは屋外だけではないということだ。かつてはヒグマが家屋を襲撃し、家の中にいた人が犠牲になった事件もある。それが北海道で発生した「下富良野少女ヒグマ襲撃事件」だ。別冊宝島編集部編『アーバン熊の脅威』から、一部抜粋・再構成し、「下富良野少女ヒグマ襲撃事件」について紹介する。
発生年月日:1904年7月20日発生場所:北海道下富良野村(現・南富良野町幾寅)犠牲者数:死者1名熊種:ヒグマ
1904年7月20日、下富良野村で農業を営む夫婦が夕刻に帰宅すると、一人で留守番をしていたはずの11歳の娘の姿がなかった。
室内は荒らされ、家の周りにはヒグマの足跡がいくつも残されていた。ただならぬ事態が起きたことは明らかで、夫婦はこれを近隣の村民たちに伝えると、協力を得て娘の捜索を始めた。
しばらくすると家から50メートルほど離れたところに点々と続く血痕が見つかる。これをたどって、さらに50メートルほど進むと、木の枝に布切れが引っかかっていた。娘の着物の一部だった。
辺りが暗くなってもなお、懸命に娘の行方を捜し続け、家から600メートルほど離れた林の中で、変わり果てた娘の姿を見つける。臀部と両脚の肉はほとんど喰い尽くされ、体全体に無数の爪痕が残されていた。
その後、娘を襲った熊の捜索は続けられたものの、結局見つけることはできなかった。
当時の地元紙『北海タイムス』が「下富良野少女ヒグマ襲撃事件」と題して報じた記事によれば、熊が農家を襲ったのは正午頃。2、3頭連れの大熊が家の中に押し入ってくると、娘は隣家へ助けを求めようと慌てて逃げ出したが、一頭が飛びかかって娘を組み伏せた。そうして抵抗の機会を与えることなく近くの草むらまで引きずっていき、そこで娘を喰らったのだという。
また『小樽新聞』によれば、娘の被害の様子について「頭の骨は剥げて顔もわからず、大腿骨から腰の辺り、臀部、陰部に至るまで肉は一面に噛り取られ、四肢の関節はいずれも離脱せるなど、さながら茹蛸のごとく、惨絶の光景に人々は覚えず眼を覆った」と伝えている。
『北海タイムス』は「2、3頭の大熊」と報じたが、成獣のヒグマが複数で行動することはほとんどない。そのため、これは子熊を連れた母熊であったと考えられる。
ヒグマは生後4か月になった頃から一定期間、母熊と子熊で行動をともにして、子熊は母熊の捕獲した餌をともに食べることで、狩りや食事の摂り方を覚えていくという。
そうなると、この事件で母熊は、子熊たちに「人間は餌だ」と教えたことになる。母熊が人間の子供を捕える様子を見ていた子熊たちはきっと「人間は、ウマやシカなどよりもずっと簡単に捕食できる」と学んだだろう。
実際この事件後、下富良野の周辺で長期にわたり、熊が人を襲う事件が起きている。
そのうちのいくつかを紹介すると、1908年4月には富良野町内で、腹部と大腿部が喰われて内臓が露出した高齢の行脚僧が発見された。死後しばらく時間が経っていたようで、僧の体は凍っていたという。
1909年には、近くの山道で人の脚が転がっているのが発見された。その後の調べで、周囲から頭蓋骨や足袋を履いた足先の部分などが散乱しているのが見つかっている。
1915年には、下富良野村からさほど離れていない村で、体を引き裂かれた状態の老婆の遺体が馬小屋で発見された。
これらの事件はやはり「人肉食を学んだ人喰い熊の子孫たち」によって引き起こされたと推測できるのだ。
取材・文/早川満