〈「この馬とこの馬はいかさんようにしたから」騎手が“ヤクザの女”に手をだしてしまい…ヤクザが「競馬の八百長」を仕組めた“生臭い理由”〉から続く
「ケーキをおいしそうにほおばる親分の、あの少年のような笑顔がいまでも忘れられない」
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昭和の時代、更生のために刑務所で宗教を学ぶことを許されたヤクザたち。ところが各宗教の間には、人気に差が生じることも。昭和のヤクザから特に人気があった宗教を、その意外な理由を、山口組系組長から更生を果たし、現在は暴力団員の更生支援のために活動するNPO法人五仁會(ごじんかい)代表・竹垣悟氏の『山口組ぶっちゃけ話 私が出会った侠客たち』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
写真はイメージ getty
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かつて「田岡一雄三代目というのはどういう人でっか」と竹中組若頭・坂本義一が正久親分に聞いたことがある。すると正久親分はこう答えた。
「親父(田岡三代目)と一日おったら、あともう一日おりたい。二日おったら、一週間おりたい。一週間おったら、ずっとおりたいと、まあ、こんな思いにさせる人や」
私にとって正久親分はまさにそんな気持ちにさせる親分だった。
竹中組時代は親分付きとしてお供させていただくだけでうれしい気持ちになったものだが、刑務所のなかで会えたこともまたいい思い出になっている。
1977年、私は初犯で姫路・大崎組と私が若頭をしていた坂本会との抗争事件で神戸刑務所に服役していた。そこに正久親分が入ってきたのである。
親分の懲役を「いい思い出」などというのは不謹慎と思うかもしれないが、辛抱ばかりが強いられるつらい刑務所生活で、親分がそばにいると思えるだけでもこのうえない幸せなのである。
とはいえ、親分とは房も工場も違い、話ができる機会といえば、月に一回の宗教教育の時間くらいのものである。
私は教育に行く者をハト(受刑者間で言伝てや手紙を送るための伝言役)として使い、親分に手紙を送ってひそかに連絡を取り合った。親分は「仏教に出る」ということだったので、私も参加することにした。竹中家は先祖代々、浄土真宗を信仰していたので、まじめな親分は仏教を選んだのだ。
だが、これは失敗であった。浄土真宗の宗教教育は死ぬほど退屈であると懲役のあいだでも不評であり、ほとんど選択する者がいなかったのである。やはり想像どおりというべきか、当日、受刑者で浄土真宗を希望したのは親分と私の二人きりであった。
それはそれで私には親分の近くに行けるのでいいのだが、こう人数が少なくては話をすることもできない。刑務所内は原則、私語は禁止である。
「ほう、竹中と竹垣、これは奇縁なことじゃ。ここで二つの竹が出会って……」
坊さんは私たちの名前になぞらえ、縁について話を始めた。
説法はちゃんと聞けばそれなりにためになるものだったと思う。
だが親分と話がしたい私にとっては馬耳東風、馬の耳に念仏である。しかもその間、じっと座っていなければならないというのは苦痛でしかない。
たまらず、私は坊さんの隙を見て親分に聞こえるよう小声でつぶやいた。
「こんな話、毎月聞かされとったら、ワシら真人間にされてしまいまっせ」
「せやけど、どないせい言うんじゃ」
「次回から『ベンサム』に行きまひょ。あそこなら自由に話ができるんですわ」
「ベンサム」とはキリスト教系カトリックの宗教教育で、教誨師を外国人のベンサム神父が務めていたことから、通称「ベンサム教会」と呼ばれていた。
外国人のせいか日本の宗教関係者のような堅苦しいところがなく、講説中の私語も自由で、何よりケーキとお茶が振る舞われることで受刑者に大人気なのであった。
翌月、私たちはベンサム教会で落ち合い、ようやく親分と気兼ねなく話をすることができた。ケーキをおいしそうにほおばる親分の、あの少年のような笑顔がいまでも忘れられない。
コワモテで知られている正久親分だが、そのような一面もあるということを書いておきたかった。
(竹垣 悟/Webオリジナル(外部転載))