今年も「クマ被害」のニュースが後を絶たない。6月末、長野県大町市の山中でタケノコ取りをしていた40代男性がクマに襲われ死亡。7月12日には北海道福島町で、新聞配達員の50代男性がヒグマに襲われて死亡する事故が起きた。環境省の発表によると、今年の4月から7月末までの期間で、クマに襲われてけがをした人や死亡した人は全国で55人にのぼり、過去最多の被害となった2023年とほぼ同じ水準となっているという。 そんななか、クマシーズンが始まる直前の5月28日に出版されたのが『クマ外傷 クマージェンシー・メディシン』(新興医学出版社)だ。この医学書にはクマ外傷の救急救命から、後遺症を軽減させる治療までが網羅されている。編者はクマ被害の患者が多く運ばれる秋田大学医学部附属病院で30年にわたってクマによる外傷の治療に携わってきた、秋田大学医学部救急・集中医療医学講座の中永士師明(ナカエ・ハジメ)教授。中永教授に、クマ被害の脅威について聞いた。【前後編の前編】
【写真】クマ外傷のあまりに凄惨な医療現場。頭蓋骨骨折、顔面骨骨折をきたしたCT像
同書は専門書ではあるが、タイトルにダジャレが入っていることからもわかる通り、一般の読者向けにも書かれている。クマ外傷に特化した本は日本初で、おそらく世界でも類を見ないと考えられる。出版の動機は何だったのか。
「ご存じの通り、秋田県はクマの被害が一番多く、特に2023年は異常に多かったので、秋田大の大学病院にはこの1年間だけで何年分かに相当する症例が集まりました。そこから非常に多くの知見が得られたので、他県の医療関係者にも知っていただいた方がいいと思い、本にまとめました」(中永教授・以下同)
クマ外傷の症例が多いということはそれほど被害数が多いということだが、今後発生する被害者の治療に生かしてほしいという願いがある。
本書にはさまざまな症例が掲載されているが、医学書であることから、なかには目を覆いたくなるような凄惨な患部写真もそのまま載せられている。ある70代男性は、路上でクマに襲われ、顔面中央部を眉間から両頬、上唇にかけて剥ぎ取られ、鼻がとれた状態になっている。
実はこの症例のように、「クマに襲われると顔面を損傷する確率が高い」と中永教授は言う。
「クマ同士の争いだと、クマはお互いに口を噛もうとすると言います。人間は口元が突起していないからなのか、口を使わずに腕で攻撃してくるケースがほとんど。クマは自分を大きく見せるために立ち上がり、水平方向に腕を振るので、ちょうど人間の顔の位置に当たり、相対した人は鋭い爪と強い腕力で顔をえぐられるのです。
クマ被害者の9割が顔に傷害を負っていて、片目、あるいは両目を失明した例もあります。クマの爪が折れて顔の傷口に残っていたケースもあり、それほどの力で強烈な『水平フック』を顔面に打ち込んでくる」
この70代男性はあまりに壮絶な傷を負ったが、この症例でさらに驚くのは、再建治療によって、取れた鼻が綺麗にくっついていることだ。写真上の見た目にはほとんどわからない。
「顔については形成外科の先生が頑張ってくれましたし、手足の怪我は整形外科の先生が頑張りました。昔に比べると、血管縫合の技術が進歩して、再建術はすごく綺麗にできるようになっています。顔が綺麗に治ったのには、私も驚きました。鼻もちゃんと通るようになって、多少、表情の動きにぎこちなさが残りましたが、ほぼ問題ありません」
ただ、クマの攻撃で傷を負うのは体だけではない。心にも大きな傷を負うという。
「なんでもないときにツーッと涙が出たり、クマに襲われる悪夢を毎晩見たりと、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する患者さんが多い。畑で襲われた方は、『怖くてもう畑に行けなくなった』と言っていました。交通事故などによる怪我とは異なり、野生動物に襲われたショックは人間にとって別物のようで、精神的なケアが重要になります」
人間の本能に植え付けられる恐怖感は、非常に大きいのだ–後編記事では、中永教授が語った「クマと会った時に顔を怪我しない対策法」と、「クマと人間のあるべき距離感」について詳報している。
(後編につづく)