有吉立さんが語る、苦手な仕事と向き合うコツとは?(筆者撮影)
【画像を見る】※閲覧注意!アース製薬の《害虫飼育》の様子はこんな感じ。貴重なゴキブリの脱皮の様子も。
ゴキブリ100万匹、蚊とハエ10万匹、ダニ1億匹他、合わせて100種類以上ーー。
想像するだけでめまいを起こしてしまうようなおびただしい数。これらの虫を、年間を通して飼育している企業がある。「ごきぶりホイホイ」「アースノーマット」などでおなじみのアース製薬(本社:東京都千代田区)だ。
同社は、虫ケア用品(殺虫剤・防虫剤)市場で国内シェア率57.3%(※出典:インテージSRI+ 殺虫剤市場(園芸用殺虫剤除く)2024年累計販売金額シェア)とナンバー1を誇っている。虫が大量発生しやすい高温多湿の夏、同社の虫ケア用品を常備している家庭は多いのではないだろうか。
今回話を伺ったのは、同社研究開発本部 研究部 マイスターの有吉立(ありよしりつ)さん。有吉さんは1998年の入社時から27年もの間、アース製薬研究所(兵庫県赤穂市)の生物飼育施設で「害虫」の飼育に打ち込んできた。その数100種類。
【画像を見る】※閲覧注意! アース製薬の害虫飼育の様子はこんな感じ。貴重なゴキブリの脱皮の様子も。
同社がここまで害虫飼育に力を入れる背景には、製品開発の際に虫ごとの薬剤の効果を確かめるために、常に一定条件で管理された一定量の虫が必要とされることにある。(※「害虫」とは、人間や家畜やペットに不快感を与えたり、農作物に食い荒らすなどといった、人間の営みに悪影響を及ぼす虫のことを指す)
その害虫飼育のプロフェッショナルこそが有吉さんであり、いわばアース製薬の虫ケア用品開発において欠かすことができない存在だ。
「私、いまだに虫が好きなわけじゃないんです」
しかし、有吉さんは「虫が大の苦手」と苦笑いする。ゴキブリが視界に入れば身動きがとれなくなり、蚊を叩きつぶした跡を見ることすらできない。
虫嫌いの有吉さんは、なぜ虫と向き合う仕事を選び、27年もキャリアを築けてこられたのだろうか。
まるで海に浮かぶ要塞のような佇まいのアース製薬研究所(筆者撮影)
海の見える会議室でお話を伺った(筆者撮影)
有吉さんは、兵庫県西宮市で生まれ、赤穂市で育った。ひとりっ子で、どちらかというとおとなしい性格。家では本を読んだり、絵を描いたり、ものづくりをしたりして過ごすことを好んだ。
家で過ごすことが多かった有吉さんにとって、虫は身近に潜む恐怖の対象だった。夜中のキッチンでゴキブリを見かけたら、声も出ず、立ちすくむ。腕に蚊がとまって叩いたら、そのつぶした跡ですら気持ち悪くて目を背ける。とにかく虫は、有吉さんにとって怖く、気味の悪い存在だったそう。
「私にとってえたいの知れないもの。飛ぶからいきなり襲いかかってきそうで、見つけたらその場からはやく立ち去ろうと必死でした」
中学、高校と美術部だった有吉さんは、卒業後東京の美術学校に入学。両親の希望もあって赤穂にUターンし、家具販売店で3年、陶芸教室講師として3年働いた。体調不良で退職した後、職探しのために新聞で毎日求人情報をチェックしていた。ある日アース製薬の求人が目にとまった。そこには「生物管理室員募集、昆虫の扱いができる女性の方」と書かれてあった。
「ネームバリューはそうなんですが、いちばんは『土日休み』に惹かれたんです(笑)。“昆虫の扱いができる方”と書かれていたんですけど、いや、できないけどなって思いつつ、とりあえず行ってみるかと履歴書を送りました」
面接には応募者40人全員が呼ばれ、実際に働く職場である生物管理室の見学も行われた。建物内は閉ざされてどんよりと薄暗く、湿気のなかにこもったような独特のなんともいえない強烈な臭いが充満していた。虫うんぬんではなく、五感すべての不快さに瞬時に思った。「ここで一生働くのは、無理かもしれない」。
結果、選ばれたのは有吉さん1人だった。いざ迎えた初日、職場の生物管理室(※1998年当時の名称)には、有吉さん含めて計4名。詳しい仕事の説明もなく「ここの飼育をしてもらいますね」と通された部屋には、ケースに入った蚊、ハエ、ゴキブリと、30種類ほどの虫がいた。虫を見るのも嫌いなのに、扱うのはゴキブリやハエなど、いわゆる“不快害虫”。不安はなかったのだろうか。
「せっかく採用された以上、まずはやってみようと。まあ、頭のどこかでは、どうしてもダメだったら辞めたらいいやっていう気持ちでいました」
入社1年目に担当したのは、ハエの飼育。最初に出されたのが、バット一面にうごめくハエの幼虫、いわゆる「ウジ」だった。
ハエ飼育の作業はこうだ。バットにウジの餌となる培地を置き、うにょうにょと動くウジをスプーンですくって移す。1枚のバットに約400~500匹。それらを規定通りの体重・体長に育てるために、虫の密度を調整する必要がある。すべてのバットで成育環境を統一しなければならなかった。
さらに、成長したハエの体重や体長を一匹ずつ測定し、データを蓄積していく。地道な作業の繰り返しだ。一方で、研究に使われなかったハエの処分も仕事のうちだった。飼育室では他の虫への影響を避けるために薬剤が使えないため、ケージ内に60度ほどの湯を入れて対処し、死骸を手でまとめて処分しなければならなかった。
「ハエの死骸がまとまった状態や、ニクバエの産卵にはレバーを使うし……。普通に暮らしていれば絶対に経験しないような作業の連続に、しばらくは食欲がわきませんでした」
蚊の飼育の様子(画像提供:有吉立さん)
2年目に担当したのは、子どもの頃から最も苦手だったゴキブリ。抵抗感はひときわ強かった。
まず強烈な臭いに気が滅入った。1カ月に一度、床替えといって成育環境をきれいにするために新しいケースに移す作業時、紙製シェルターを持ってゴキブリを振り落とす。口で息をすることで臭いをなんとかしのいだが、それでも腕を這い上がってくることが多く、そのたびに背筋がぞわぞわとした。
さらに、当時は餌容器がビンだったため、床替えのたびに洗浄する必要があった。30個近い容器を熱湯で洗うのは、相当な手間がかかった。効率よく済ませたいと思った有吉さんは、使い捨てできるプラスチック容器に変えることを提案。臭いに触れる時間が少なくなり、作業時間は2時間短縮した。
また、単調な作業を少しでも楽しくする工夫も忘れなかった。たとえばオス・メス各200匹という依頼があれば、左手でカウンターを持ちながら、100匹を10分でカップに分けるといったゲーム感覚で挑んだ。1~1.5cmほどのチャバネゴキブリは、横から胴体をピンセットで素早くつかみ、脚がちぎれないよう注意を払う。
「もともと、ちゃちゃっと済ませたい性分で。手先の器用さが役に立ちました。嫌なことは、できるだけ楽に、楽しくなるように工夫してきました。関西人らしい気質なのかもしれません(笑)」
生物飼育の仕事は、製品開発のための薬剤試験で必要な害虫を、必要なときに、必要なだけそろえておくこと。そのミッションを遂行するために、嫌悪感すら創意工夫で乗り越えた。
しかし2年経っても、虫が嫌いな気持ちは変わらなかった。転職も考え、こっそり採用試験を受けたこともあった。しかし、その背中を止めたのは、信頼していた先輩社員の言葉だった。
「どんなに嫌な作業もそのうち慣れるし、環境も変化していく。あわてて辞めることはないよ」
「いいことも、そうでないことも、全部先輩に聞いてもらっていました。会社を辞めるきっかけは人間関係が多いといわれますが、環境は変わっていきます。信頼できる上司や同僚に味方についてもらえれば乗り越えられる。だから私も、後輩にはそう伝えています」
どんな質問にも丁寧にわかりやすく答えてくれる、とても気さくなキャラクターの有吉さん(筆者撮影)
ゴキブリ飼育に取り組む一方で、有吉さんに新たな課題が舞い込んだ。研究で必要なときにその都度捕獲していたナメクジを「1年中使いたい」という要望を受けたのだ。しかし当時、ナメクジの繁殖方法は確立されておらず、参考資料もごくわずか。どうしたら卵を産むのかなど、ゼロからのスタートだった。
同社研究員から借りた文献によると、雌雄同体のナメクジは、頭部の横にある交尾器を他の個体とこすり合わせて精子を交換することで2匹ともに受精・産卵することがわかった。
次に立ちはだかったのは、個体の成長スピード。20度の恒温器のなかでキャベツやニンジンなどを与えても、大きくなるまで7~8カ月。ようやく産卵できたと思っても孵化しない。このままでは必要なときに必要な数をそろえられない。
野菜を用意する手間も負担になっていた有吉さんは、ふと、ゴキブリに与えていた固形飼料をナメクジにも与えてみようと思いつく。なぜなら、タンパク質由来の栄養素が含まれているからだ。けれど、そのままでは食べなかった。
後輩から「粉末状で与えたらどうですか?」と提案される。すぐに試すと、驚くほどのスピードで食べ尽くした。
その結果、孵化して成体になり、生殖可能になるまでの期間は4カ月に短縮。体重・体長も順調に増え、従来の半分の期間で、健康的な繁殖に成功した。
「ナメクジは、野菜しか食べないと勝手に思い込んでいました。ゴキブリ用の固形飼料も、カビやすいという理由で与えたくなかったんです。でも先入観を捨てて試してみることの大切さを、改めて実感しました」
この生物管理室の成果は有吉さんの後輩社員が学会で発表し、社外から一定の評価を得た。入社して3年が経ち、有吉さんのなかで「虫は嫌い」という感覚は、次第に薄れていった。虫に関する依頼があれば、迷わず引き受けるまでに成長していた。
「会社のなかで、虫に関することだったら有吉が全部引き受けるくらいの気持ちでやってみたら?」
あるとき、上司にそう声をかけられた。この言葉をきっかけに、有吉さんの仕事観は大きく変わった。飼育だけが自分の仕事ではない。パンフレット用の虫の写真、見学時の案内–すべてが仕事なのだと気づいた瞬間だった。有吉さんの視界が、ひとつ広がった。
有吉さんが、初めて飼育以外の業務を任されたのは、飼育室の見学ツアーだった。一般向けではなく、取引先関係者を対象としたもので、それまでは先輩社員が担当していた。入社2年目のある日、「次からは有吉さんが案内してね」と突然任命される。
実際に案内をしてみると、「こちらがハエです」「こちらがゴキブリです」と言うのが精一杯。虫について説明しようとすると頭が真っ白になった。毎日虫を飼育しているにもかかわらず、体系的な知識が身についていないことを痛感した。
たとえば、ゴキブリは世界に4600種以上、日本では66種(※2025年7月23日現在)が確認され、家屋内で見るのは4種ほど。寿命は1~2年。そうした基本情報すら説明できなかったという。
「これはダメだ、勉強をしないとマズいなと焦りました」
そこで有吉さんは、飼育作業を効率化して生み出した1時間を使い、まず飼育している虫30種類について調べた。次第に範囲を広げ、虫全般の知識を身につけていった。
2003年、生物研究棟のリニューアルに伴い、案内コースも衛生的に整備され、営業担当者が取引先バイヤーを連れてくることが定例化した。
虫を正しく知ってもらうだけでなく、もっと興味を持ってもらえるよう工夫を重ねた。有吉さんは、ニコンの写真教室に通いマクロレンズの扱いを習得。昆虫館の展示を参考に、キューブ状に立体標本を展示し、見学者が楽しめるよう展示を充実させた。
屋内展示(筆者撮影)
2005年頃の見学ツアーの様子(画像提供:有吉立さん)
こうした見学ツアーは一般公開こそしていないものの、訪問者の間では「名物ツアー」として好評を博した。2019年にはさらなるリニューアルを実施。「お客様の記憶に残る見学コース」を目指し、五感で体験できる展示へと進化している。
「虫のことを知らない人たちにも、展示や写真、動画を通じて伝えることで喜んでもらえる。飼育という“内向き”な仕事にとどまらず、外へ発信する楽しさを知ったからこそ、ここまで続けてこられたのかもしれません」
その発信は、社外にも広がった。2018年、有吉さんは『きらいになれない害虫図鑑』を出版。害虫というニッチなテーマにもかかわらず5度の重版を重ねた。害虫について、あらゆる角度からユーモアを交え紹介した一冊は、多くの読者に新たな視点を届けた。
有吉さんは、かつての自分を振り返る。
「子どもの頃の私は、ゴキブリなら“飛んで襲ってくる”と勝手に思い込んで、必要以上に怖がっていました。でも、ゴキブリは夜行性だと知れば、電気をつければ驚いて隠れるのも当然だと理解できる。蚊が血を吸うのは、交尾を終えたメスだけ。血は産卵のための栄養源なんです。人間の行動に置き換えれば、納得できることばかりです。観察して生態を知っていくと、恐怖心や偏見は少しずつ消えていきました。大切なのは、苦手なものでもあらゆる角度から知って、理解しようと努めることだと気づきました」
虫と向き合い続けて27年。「今でも虫は好きにはなれない」と有吉さんは少し気まずそうに、素直に語る。
感情に振り回されず、与えられたミッションを達成するには何をすべきか。冷静に考え、工夫とアイデアで乗り越えていく。どうしても感情が揺れ動くときは、頼りになる上司や同僚に話を聞いてもらい、相談する。
正しく知り、理解しようと努める対象は、虫だけに限らない。会社の人間関係や、見学に訪れるお客様など、仕事で関わるすべてに通じる考え方だ。「嫌い」と向き合うなかで、「好き」を探し、実践する。その積み重ねが、自分なりの価値を生むのではないだろうか。
最後に、改めて「苦手な仕事を続けるコツ」を聞いてみた。
「好奇心を持つことじゃないでしょうか。私、27年やっていても、まだまだ興味は尽きません。チームで意見交換していると、『へえ』と思うことがたくさんあって。今では、この仕事が天職だと思っています」
研究所入り口にて。ゴキブリのオブジェを入り口に設置する企業なんて、めったに出会えるものではない(筆者撮影)
【画像を見る】※閲覧注意! アース製薬の害虫飼育の様子はこんな感じ。貴重なゴキブリの脱皮の様子も。
(野内 菜々 : フリーライター)