〈「道路にポツポツと血痕が落ちていて…」駅の窓ガラスを割った男性が逃走→一度は見失ったが…犯人を捕えた“スーパー警察犬”お手柄の一部始終〉から続く
横浜市内にある神奈川県警察の直轄警察犬訓練所。訓練をのぞくと、尻尾をブンブン左右に振って、楽しげに指示を待つ犬がいた。3歳のラブラドール・レトリーバーのウタ号である。鑑識課警察犬係の奥木常允巡査部長をじっと見つめ、左側にピタリとついて跳ねるように歩く。
【かわいすぎる】おもちゃが大好きな警察犬・ウタ号、相棒の警察官と息ピッタリのジゲン号、お手柄を立てた「スーパー警察犬」2匹の写真を一気に見る
神奈川県警察本部刑事部鑑識課警察犬係の奥木常允巡査部長とウタ号
たくましい体躯の警察犬が目立つなか、ウタ号は18kgと小柄なタイプだ。大きな犬に負けないジャンプ力と食欲があり、性格は好奇心旺盛という。
「ウタは人が好きで、ほかの警察官がいると触れてもらいに寄っていきます。特に人の捜索は得意で、行方不明者を見つけたとき尻尾を振って近づいていったこともありました」
警察犬になって1年半が過ぎ、現場での活躍も徐々に増えている。

年の瀬、瀬谷警察署管内で男性が行方不明になったという届け出があった。署から警察犬の出動要請があり、早朝、ウタ号とジャーマン・シェパードのカーラ号の2頭が向かった。
瀬谷警察署が管轄する瀬谷地区は、横浜市の西端に位置し、市内中心部よりも気温が低い。明け方は氷点下近くになることもあり、行方不明者の早期発見が急がれた。
活動は午前6時20分に開始。枕カバーのにおいを頼りに2頭は足跡追及を行い、その後エリアを分けて捜索を続けた。
周辺は、雑木林と畑が混在する場所。ウタ号と奥木さんはまず人目につきにくい林へと向かう。しかし手がかりはなく、畑の捜索へと切り替えた。近くには小川と側道があり、畑は法面(のりめん)で少し高くなった場所に広がっている。その周囲は背の高い草が生い茂り、畑の様子はうかがえない。

「小川沿いを歩いてにおいを探していたところ、突然ウタの耳の付け根がピクッとなり、法面を見上げたんです。ウタは興味を示すと耳のあたりが動くので、何かあるのでは、と気になりました」
斜面を上がって畑に入りたいが藪が阻む。300mほど進んでから回り込めば畑に入ることはできるが時間が惜しい。
「ウタの反応を信じて、斜面を上がって畑に入ることにしました。背の高い草をかき分けながら畑に入ると、土の上に倒れている人が見えたのです」
横たわっていたのは行方不明になっていた男性。氷点下近い気温で体が冷えて動けない状態だったという。奥木さんは声をかけ、すぐに署員へ連絡し救急車の手配を行った。
現場は自宅から約120mという距離だが、藪によって捜索できていなかったという。かかった時間は45分ほど。ウタ号によって無事に発見することができたのだ。

ウタ号の訓練では、警察犬の基本訓練とされる「服従訓練」が行われていた。ウタ号は「アトヘ」「スワレ」「タッテ」などの指示に正確に反応する。

この服従訓練は、信頼関係の構築や、現場での安全管理、どんな場所でも冷静に行動できるようにするなど、大きな意味がある。また「臭気選別」「足跡追及」など実践的な訓練も行われている。

ウタ号を見ると、楽しそうに訓練に取り組んでいる。鑑識課課長代理で警察庁指定広域技能指導官を務める赤坂一彦警視は「犬にとって作業は遊びの一環」と語る。
「服従訓練をいかに生き生きできるか、名前を呼んでしっかり来るか。基本的な訓練の取り組み方でその先にある足跡追及や捜索訓練の技量にも差が出ます」(赤坂さん)

訓練は嫌なことではなく楽しい作業であり、「この担当者に褒められたい」という信頼関係を構築することが現場で力を発揮する大きなカギとなる。
さて、奥木さんは、実はもう1頭警察犬を担当している。ウタ号よりも大きな体躯で体重は37kg、ジャーマン・シェパードのオスのジゲン号(6歳)だ。奥木さんもジゲン号もあらゆる現場を経験してきたが、とある夏、ダイナミックな捜査で大きな“お手柄”をあげた。

蒸し暑い梅雨どき。山あいのハイキングコースで1台の携帯電話が発見された。持ち主を探したところ、高齢女性が前日から行方不明になっているという情報を逗子警察署が認知する。
すぐに周辺の捜索が始まった。防犯カメラ映像も駆使したが、所在はつかめない。捜索は翌日に持ち越された。
その夜は雨が降った。翌朝、現場にジゲン号と奥木さんが到着した。

午前9時5分に活動を開始する。ジゲン号は行方不明者の枕カバーのにおいを嗅ぐと、すぐさまハイキングコースの崖沿いに立った。崖下をしきりに気にするそぶりを見せる。眼下には、樹々が生い茂る鬱蒼とした山林が広がり、ジメジメして虫も飛んでいる。奥木さんは「躊躇してしまうほどの急斜面だった」と振り返る。
歩く道もなく、人が容易に上り下りできる場所ではない。しかし奥木さんは、ジゲン号の反応を見て、斜面を降りることを決意した。枝の跳ね返りから目を守るゴーグルをつけ、ヘルメットをかぶり、装備を整え崖に入った。藪を掻き分けながら前に進む。
「崖に侵入するときはジゲンには普段通りリードをつけていましたが、木が茂りリードが絡むと危険です。リードを外し、声をかけながら進むことにしました」
ジゲン号は「ガンガン降りる気満々だった」と奥木さん。においのする方へ、ジグザグと器用に下っていったという。
「倒木で前に進みにくい場所もありましたが、ジゲンが『こっちこっち』というふうに振り返るんです。途中、なかなか進めずにいると、ジゲンが待っていてくれたり。『ジゲンいきな!』『見つけてボール遊びをするぞ』と声をかけながら私も一緒に下りました」

とはいえどこまで降りるのかわからない。奥木さんは「本当にここにいるのか」と不安もあったという。しかし、すぐに見つけなければ行方不明者の命に関わる。
「絶対に見つけなければ。この先に不明者がいた場合といなかった場合を想像しました。やっぱ行かなきゃダメだなと。ジゲンを信じて行ってみよう、という思いで進みました」
こうして下った谷底で、ジゲン号は座り込んでいた女性を発見する。崖の入り口からは距離にして120mほど。捜索開始からおよそ30分での発見だった。消防と警察がロープを使って救助し、救急搬送された。
前夜は雨。雨が降るとにおいは流れやすいというが、なぜジゲン号は崖下にいる行方不明者に反応できたのだろうか。赤坂さんはこう語る。

「雨によってにおいの痕跡が消えてしまうことはありますが、雨は“不要なにおいを消す”という利点もあるんです。雨によって野生動物などのにおいが抑えられ、そのため崖下からあがってくる行方不明者のにおいをジゲンは感じとることができたと考えられます」(赤坂さん)
一歩間違えればケガをするような急斜面に入った奥木さんとジゲン号。赤坂さんも現場に足を運び、実際に歩いて驚いたという。「警察犬が反応しても『さすがにそっちにはいないよ』と思ってしまえば、警察犬を行かせないまま終わってしまう。急斜面で、犬を信じてついていったのは本当にすごい」と振り返る。
警察犬ジゲン号の嗅覚と、信じてついていった担当警察官のタッグによって、行方不明者を無事に発見することができたのだ。

小柄なウタ号と、たくましいジゲン号。体格も性格も、経験も異なる2頭を、奥木さんはどのように導いているのか。
「接し方はやはり変わってきます。でも共通しているのは、犬が『楽しい』『もっと遊びたい』と思えるように訓練をすることだと思っています」
どの犬たちも、楽しいから作業を行う。「大好きな担当者と遊びたい」という気持ちが警察犬の原動力になっている。

奥木さんから見るジゲン号は「従順で真面目な性格」という。
「別の警察犬係員がジゲンの好きなボールを持ってかまっていても、私が名前を呼べばこっちに来てくれます。私の声をしっかり聞いていて、私が訓練中にボソッと言った言葉もしっかり聞いて汲み取ってくれるんです」

一方ウタ号は好奇心旺盛。食べることも大好きだ。
「勤務を終えてあがるときは、とびきりの訓練をしてボール遊びをしています。ウタは食べることが好きなので、成果をあげたときは『次も頑張ろうぜ』とおやつをあげることもあります。そのときはすごい喜びますね。でも体重が1kg増えれば使役に影響が出てしまうので、太らないよう気をつけながら与えています」
犬の性格を見ながら訓練し、たくさん褒めて技術を伸ばす。あらゆる現場を想定した訓練が、今日も重ねられている。
写真=山元茂樹/文藝春秋
〈「間違えると叱られる、怖い」現場で犬が動かなくなって…神奈川県警の警察犬係員が過去の失敗から学んだ“意外な犬への接し方”〉へ続く
(鈴木 ゆう子)