「宗教二世」でヤングケアラーだった、という女性に話を聞きました *写真はイメージ(画像:312 / PIXTA)
【漫画】小学生の頃は学校へ行かせてもらえず、カルト本を読むことを父から強要されたという
障がい児や難病の兄弟姉妹を持つ人を、「きょうだい児」と呼ぶことがある。彼らは親に代わってきょうだいの面倒を見ることも多く、ヤングケアラーとなりやすい立場にある。
コミックエッセイ『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』の著者、平岡葵さんはまさに当事者の一人。幼少期から実家を出るまでの間、ヤングケアラーとして生きていた。「カルト宗教」「DV父」「母の失踪」「障がいのある弟」と、家族のさまざまな問題を背負ってきた平岡さんは、血を吐く思いで生きてきたという。平岡さんに話を聞いた。
現在、会社員として東京都内で働く平岡さんがコミックエッセイの出版を決意したのは数年前のことだった。
自分のような「きょうだい児」と呼ばれる子どもたちがいることを世の中の人に知ってほしい、そして、現在「きょうだい児」として苦しい気持ちを抱えている子の励みになればとの思いでしたためた。
エッセイ本に描かれている内容はかなり悲惨なことなのだが、温かみのあるイラストが重い話をユーモアに変え、平岡さんの当時の状況を軽快に説明してくれている。
葵さんの一つ下の弟には重度の知的障害、自閉症、強度行動障害があった。目を離すことができないため、必然的に長女の葵さんの生活は弟中心のものになっていた。
医療機関を頼り治療もあれこれと試していたが、弟の状況は良くならず、また、葵さんが生まれる前に生を受けていた葵さんの兄が早世していたこともあってか、次第に両親はカルト宗教にハマっていった。
(画像:『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』)
一度、親からの仕打ちがあまりにひどくなってきたため近所の人に助けを求めたこともあったというが、ドアを叩いて求めた葵さんのSOSは届かず、さっとドアを閉められてしまった。
「田舎ですし、当時はまだ障がい児に対する偏見も強かったので、仕方がないです」
親族はどうだったのかと聞くと、祖父母や親戚にも頼れない状況だったという。もともとストーカー気質だった葵さんの父親が、母親の実家までおしかけて結婚に至ったという経緯があった。
両親共にきょうだいも多く、親戚と呼べる大人は何人もいたはずだったのだが、葵さんが物心ついた頃にはすでにそれぞれの親族と絶縁状態だったため、頼る先が思いつかなかった。
小学生になった頃には父親が学校に通うことに反対、葵さんは小学校にもろくに行けない生活が続いた。
「今のように子どもホットラインや、子が親を訴えるなんていうのもなくて、そういうことを支援する機関もなかったんですよね」
(画像:『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』)
父親のDV問題や、時々失踪してしまう母親、そこに障がいの弟という平岡家の中で、葵さんはいつもバランサーの役割を担わされることになっていた。
(画像:『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』)
(画像:『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』)
(画像:『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』)
(画像:『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』)
(画像:『きょうだい児 ドタバタ サバイバル戦記』)
この状況から逃れるにはどうしたらいいかと考えた結果、勉強に活路を見いだした葵さんは自力で勉強、高校は県内トップの進学校に合格を果たす。しかし、だからといって家庭環境が良くなるわけでもない。
「母の調子が悪そうな時は母に『大丈夫?』と聞かないといけないし、弟がいるから、弟のケアも必要でした。高2の時に一度、私もキレて部屋をぶっ壊したことがあったんですよ。もうさすがに17年間バランサーとしての役割をしてきたけど、ムリだと。
この頃、2週間に一度、成績が張り出される校内テストとかもあって、勉強もすごく忙しかった。そのうえ、宗教のこともやらなくちゃで、なんか過呼吸で倒れることもあって、そんな時でも母親は『アハハ~面白い、なにしてんの~』と、全く私を気遣う様子もなかった。
母はDV父の愚痴はいうけど、別れることはなく、夫婦げんかもたえない。そんな毎日で、なんか、気がついたら暴れて自分の部屋をぶち壊してたんですよ。
このままいくと私、親を殺すかもしれないと思いました。だから、自分が殺人者にならないために、早くこの家を出ないと思ったんです」
どうしたらこの家を出られるか。考えた末に出た答えが東京の大学への進学だった。
「うちの高校が特殊だったのか、東大は当たり前、最低でも早慶に入ってくださいと、校長が入学式で言う高校で『東大早慶以外は大学としてカウントしないんで、皆さんここにいる3分の2は落ちこぼれです』とも言われました」
学校でのこうした指導もあったためか、葵さんの中には大学と言えば東大という思いがあったという。
「早慶って微妙だなぁって、勘違いをしていたんですよ」。家を出るには東大に進学するしか道はない、葵さんはそう考えるようになっていた。
大学に行きたいと両親に伝えると、「東大早慶なら家を出ることを許してやる」と言われた。時代は90年代、インターネットのない時代だ。暮らしていた地域には大学受験のための塾もなく、高校受験同様に自力でやるしかなかった。
平岡葵(ひらおか・あおい)/1歳下の弟に重度の知的障害、自閉症スペクトラム、強度行動障害があるきょうだい児。幼少期から親に代わって弟の世話をしていた。保育園時代に一家でカルト宗教に入信し、修行等を強いられる。小学生のとき、母親の過去の不貞行為が発覚し、父親による家庭内暴力が始まる。母親は家出と薬物の過剰摂取を繰り返すようになる。そうしたなかでも学業に励み、慶應義塾大学経済学部に合格・卒業。現在は家族と絶縁し、企業で働く傍ら、かつての自分と同じ境遇にいるきょうだい児たちとSNS等で交流し、彼らの精神的サポートもしている
「血が吹き出るほど勉強しましたよ。田舎でも本屋はあるので、東大に合格するための本を読みあさりました。そうすると、どんな問題集をやるといいかが出てるじゃないですか、それを片っ端からやりました」
それでも、苦手の数学については学校の勉強と自習の組み合わせだけでは分からない部分があった。葵さんは学校で行われる補修を活用したり、学内で教えてくれる先生に声をかけて必死で勉強に取り組んだ。
そして、戦う相手と自分の差がどのくらいあるかを知るために、駿台模試など、偏差値上位層が受ける模試を積極的に受けるようにしていたという。しかし、模試の結果は東大の合格ラインには到底届かない数字だった。
「私の通っていた高校では、過去の卒業生の成績が3年分渡されていました。学内で何番くらいにいると、このあたりの学校に行けますよというだいたいの予測ができるようになっていたんです。
校内順位10番以内に入るとだいたい東大、早慶の上位学部に入れる感じだったので、それを目指してやるしかないなと。でも、自分の学校での成績がよくても、それは結果的にそうだったということでしかないので、大学受験と学内の成績がリンクしているとも思えませんでした」
高2の時に東大生がやっている通信教育があるのを知って受講した。この講座の受講生は首都圏の人が多かった。
「『どういう勉強してるの?』と、一緒に受けている人たちに聞いたりしてました。それから、1週間だけでいいから東京の予備校に行かせてくれと親に頼み込んで、季節講習をやっと受けることができました」
季節講習は10日間ほどだった。
「全然これだけで役に立つというもんでもなかったんですが、それでもまあ、東京の人はこんなふうに勉強しているのかというのは分かったので良かったです」
そして迎えた大学入試。センター試験(当時)の成績は取れたため、東大に出願、しかし結果は不合格。親に「浪人させてほしい」と頼むと、案外すんなりと許可された。
だが、お金の負担はそれほど望めなかった。県立トップ校のこの学校の卒業生を受け入れて奨学金をくれる東京の予備校があったため、そこに通うことを決めた。こうしてまずは実家を出ることができた。
「大手の予備校と違って、ほんと、建物もなんかこう古い感じのとこでした」
予備校で出会った友人たちの話を聞いてやっと早慶も悪い大学ではないと思えるようになったという。
「予備校でグッと力が伸びた感じです」
国立狙いの6教科から、私立対策の3教科に絞り入試を迎えた。
しかし、これだけ荒れている家庭環境で金銭的にもゆとりのない状況の中、なぜ親は大学進学を許してくれたのか。
「両親は2人とも中卒で、大変な思いをしたので、学歴に対してのコンプレックスも強い人間だったんですよ。
田舎の昭和のお母さんって、パートと言えばレジ打ちのイメージがあったので、ある日、母に『お母さんレジ打ちやんないの?』と聞いたら『電柱に貼ってあるチラシ見てみなさい。みんな高卒って書いてあるから! 私みたいな中卒はお金を扱わせてもらえないの!』と、逆ギレされました。
それから自分でも学歴について調べるようになって、学歴って怖!っと思いました」
小学校もろくに行けなかった葵さんだが、両親に参考書がほしいと言えば「老後の面倒を見ろよ」といいながらお金を出してくれていたという。
時々、自分ができなかったことを子どもでリベンジしようとする親がいるが、葵さんの両親も学歴に対するコンプレックスを娘によって払拭しようとしていたのかもしれない。
2回目の大学受験、葵さんは慶應義塾大学に合格、今は東京で働いている。東京に出てからも何度か家のいざこざに巻き込まれそうになったが、社会人となった今は家族とは距離を置いて暮らしている。
葵さんはマンガエッセイの最後にこう書いている。
「この本を読んでくれたきょうだい児の皆さんには、自分自身の底力を信じ、確固たる信念に変えて、堂々と自分の道を生きてほしい」
東大早慶と言えば、恵まれた家庭の子どもが通う印象が強い昨今だが、さまざまな格差を乗り越えてど根性で這い上がる子どもたちがいることを忘れてはならない。
【この記事の画像】壮絶な子ども時代を漫画で描いた(5枚)
(宮本 さおり : フリーランス記者)