6月23日に投票が行われた東京都議会選挙、都民ファーストの会が第一党の座を奪還し、自民党は歴史的大敗を喫した。国民民主党や参政党は新たに議席を獲得したが、石丸新党をはじめ他の新党は振るわなかった。
選挙結果の詳細を見てみよう。投票率は47.59%で前回より5.2%上がった。定員127に対して295人が立候補した。
議席数は、自民党21(前回は33)、都民31(31)、公明19(23)、共産14(19)、立民17(15)、維新0(1)、ネット1(1)、国民9(0)、れいわ0(0)、参政3(0)、保守0(0)、社民0(0)、再生0(0)、自治0(0)、無所属・他12(4)であった。
自民党の議席数は過去最低であり、第一党を維持できなかった。コメの価格をはじめ、諸物価高騰に対する国民の不満が背景にある。小泉進次郎農相の奮闘も、選挙結果に好影響を与えるまでにはいかなかった。
自民党の敗因の最大の理由は、国政の場と同様な都議会自民党のパーティー券収入のキックバック問題であり、政治とカネの問題が厳しく問われたのである。
この問題の対象となった、つまり政治資金収支報告書に記載していなかった自民党の現職・元職議員は17人であり、そのうち6人が公認されなかった。三宅茂樹(世田谷区)、小宮安里(杉並区)、鈴木章浩(大田区)は落選し、宇田川聡史(江戸川区)、三宅正彦(島部)、山崎一輝(江東区)は当選した。
公認された候補でも、小磯明(南多摩)、石島秀起(中央区)は落選した。
自民党は、宇田川、三宅、それに政治資金問題とは無関係で無所属で立候補した青木英太(目黒)の3人を追加公認した。
42選挙区のうち、千代田区、中央区、武蔵野市、青梅市、昭島市、小金井市、島部は1人区であるが、前回は、都民ファーストと自民が3区、無所属が1区で勝ったが、今回は都民ファーストが3区、無所属が3区、自民党は追加公認した1区のみであった。この結果は重い。参議院選挙では、1人区が32あり、その勝敗が選挙結果全体を左右するので、注目に値する。
公明党は、1993年以降8回連続して「全員当選」の記録を打ち立てていたが、今回は、22人の候補者のうち3人が落選した。国政の場で、自民党と共に政権与党の立場にいる公明党への批判も強まったようである。
一方、野党側では、立憲民主党が議席を2議席伸ばし、国民民主党は9議席を得た。国民民主党は、山尾志桜里の公認問題でイメージが悪化し、事前の予想以下の結果であったが、それでも一気にここまで議席を獲得した。さらに、参政党が3議席を獲得した。つまり、合計して14議席の増加であり、その分、自民党、公明党が議席を失ったと言える。
野党の共産党は、前回より5議席少ない14議席であったが、自公政権批判票の受け皿が増えた分だけ、左派色の強い共産党が嫌われたのであろう。日本維新の会も議席を失ったが、大阪と違い、東京では勢いがない。
石丸伸二の率いる「再生の道」は、42人の候補者を擁立したにもかかわらず、全員が落選した。昨年の都知事選で、石丸は、165万票という大量得票して、蓮舫を抜いて2位につけ、時代の寵児となった。
しかし、今回の都議選については、事前の世論調査を見ても、「再生の道」に期待する人は2割以下であり、半数以上が期待をしていない。都知事選のときに躍進の原動力となったSNSも、今回は助けにはならなかった。
なぜ、このような結果になったのか。
最大の問題は、石丸自身が立候補しなかったことである。私も、新党を作った経験があるが、組織作りには様々な困難が伴う。党首のカリスマ性を活かすには、党首自らが出陣すべきである。
また、公約の面でも問題があった。たとえば、都会議員の任期を2期8年に限定することは意味が無い。都会議員は、任期を2期までに限定しているアメリカ大統領とは異なる。都知事の任期を2期までとするのは理解が可能だが、議員は、権力が集中する行政のトップではない。議員の場合、8年で都政に習熟できるとはかぎらず、3期12年でも、4期16年でもマイナスばかりではあるまい。
さらには、党の政策を掲げず、候補者が自由に政策を展開してよいとしているが、これでは政党の体をなさない。
そもそも、都知事選と都議選は、選挙区の広さを見ても、全く異なる。
都知事選は東京全体が一つの選挙区であるが、都議選の選挙区は、23区、さらに八王子市、立川市、武蔵野市、三鷹市、青梅市、府中市、昭島市、町田市、小金井市、小平市、日野市、西東京市、そして、西多摩、南多摩、北多摩一、北多摩二、北多摩三、北多摩四、島部である。
都議選の選挙区は狭い。だから、空中戦よりも、地上戦、つまり「どぶ板選挙」となる。SNSよりも、日頃からの地元との付き合い、日常活動が重要である。落下傘で降下してきた候補では、地元で生活する候補には勝てない。
都議の最大の仕事は、地元への利権誘導である。そうして成果を築き上げた都議は、地元商店街などからの強力な支持を受ける。不特定多数に訴えるSNSではなく、どぶ板を踏み歩く、接触型のコミュニケーションが物を言う。
都知事選のときは、全東京都民を念頭に置いて、渋谷ハチ公前、新宿駅頭、銀座4丁目などで街頭演説を行うが、都議選ではその手の選挙戦術はほとんど意味をなさない。サラリーマンが帰宅するときに、選挙区の駅前で挨拶するほうが票になる。
今回の都議選は、既存政党を否定するだけのポピュリズムの限界を示したと言えよう。再生の道は、参議院選には、選挙区に1人、比例区に9人を擁立するというが、戦略の根本的な見直しが必要である。
都民ファーストに自民党、公明党、国民民主党を加えた小池与党は、過半数を超えるが、かつて私が都知事だった時代のような自公で過半数を超える状況とは異なる。
国政の場でも、今は、衆議院で自公は少数与党である。都議会選挙の結果は、一ヶ月後に行われる参議院選挙と連動する。つまり、参議院でも、自公が苦戦し、過半数を割る状況になると、政権交代の可能性も生まれる。自公は、連立の仲間に国民民主党などの党を加えて、安定与党を形成するしか政権を維持できなくなる。
要するに、小さな政党を含めて政党の数が増える傾向にある。単一争点主義政党も出現することになる多党化である。そうなると、ベルギーやオランダやイスラエルのように、連立政権を形成するのに大きな労力が必要となる。連立政権合意がならず、政権ができないまま半年経つこともある。
1993年8月9日に発足した細川護熙内閣は、日本新党、新生党、民社党、社会党、公明党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合の8党派からなる非自民・非共産との連立政権であった。しかし、参加する政党が多いと、意見の対立から内部分裂する可能性も高まる。実際に、細川内閣は翌年4月15日に総辞職した。1年に満たない短命政権であった。
この細川内閣のような寄り合い所帯で政権を運営することになれば、同じような失敗を繰り返す危険性がある。日本の政治は、大きな曲がり角に来ている。
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