「すぐに子どもが欲しい」。そう願って始めた妊活。しかし、思いがけず男性不妊が判明し、人工授精や体外受精、複数のクリニックへの転院、そして流産……。何度も希望と挫折を繰り返しながら、不妊治療に向き合ってきたりんこさん(仮称)。仕事との両立や周囲への気遣いに葛藤しながらも、パートナーと支え合い歩んだ日々について、率直な思いを語っていただきました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年2月取材。

体験者プロフィール:りんこさん(仮称)
東京都在住、1983年生まれ。職業は会社員、現在は育児休職中。2018年に結婚をして、2019年から妊活を開始。流産・不妊治療・休職の経験を乗り越えて第一子を出産。
記事監修医師:浅野 智子(医師)※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
編集部
お子さんを授かろうと思ったのはいつ頃ですか?
りんこさん
34歳で結婚してすぐ、夫と「すぐ子どもが欲しいね」と話しており、妊活をスタートしたのですが、なかなかできなかったんです。夫の友人が不妊治療の末に出産をしていたこともあり、「私たちも病院に行った方がいいかな」と話し合いました。不妊の定義は「妊活を開始してから約1年間妊娠しないこと(※)」ですが、心配だったため入籍して半年後には不妊治療をおこなっている病院を受診しました。
※日本産科婦人科学会「不妊とは」https://www.jsog.or.jp/modules/diseases/index.php?content_id=15#:~:text=%E3%80%8C%E4%B8%8D%E5%A6%8A%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E5%A6%8A%E5%A8%A0,%E3%81%A8%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
編集部
まずは検査をおこなったのですか?
りんこさん
そうです。不妊の原因を探るため、夫婦で一通りの検査を受けました。夫の精液検査で「精子の状態が悪いね」と結果を告げられたときは、夫婦で頭が真っ白になりました。ただ、医師からは「日によって精子の状態が変わりますから、少し間隔を空けてまた検査しましょう」という説明があったので再検査を受けたり、タイミング法や人工授精をおこなったりしました。
編集部
その後の経過はどうでしたか?
りんこさん
なかなか上手くいかなくて「もう体外受精に切り替えた方がいいかな」と夫婦で相談して、体外受精のための病院を探していたとき、たまたま男性不妊に強いクリニックを見つけたんです。夫が受診したところ、初診で「手術をした方がいいでしょう」という話になり、精索静脈瘤の手術を受けました。
編集部
男性不妊を解決する手術としては一般的なものですね。
りんこさん
そうです。手術後も精子の状態が改善するか様子を見ながら人工授精をしたのですが、それでも妊娠できませんでした。私もそのクリニックで処方された薬を服用しながら人工授精をおこなっていたのですが、薬の影響でだるさや眠気などが起こり、体がだんだん辛くなってきて……。その時期は仕事も忙しく、海外出張もあったので、「このクリニックで体外受精に進むのは厳しいだろうな」と思っていました。
編集部
それで転院されたのですか?
りんこさん
はい。低刺激の体外受精が得意なクリニックに転院しました。以前のクリニック通院時と比べると体は楽になりました。しかし、採卵して移植したところ、7週で流産。その後、採卵したのですが卵を1個しか凍結できなかったり、次の移植も上手くいかなかったりと……。「このままここで受けても意味がないんじゃないか」「高刺激の体外受精も試してみた方がいいんじゃないか」と思い、再び別のクリニックに転院したのですが、そこでも結果が出ませんでした。
編集部
低刺激と高刺激両方を試してもダメだったのですね。
りんこさん
そうです。「高刺激は体が辛いからもう一度だけ低刺激に切り替えて、これでもダメだったら諦めよう」というくらいの気持ちで、再び低刺激の体外受精をおこなうクリニックに戻ることにしました。治療に集中しようと思い、ちょうどそのタイミングで会社の制度を利用して、1年間の休職届けを出しました。その後まもなく、採卵済みの卵で体外受精をおこなったら、幸いにも妊娠することができたんです。
編集部
何度も転院したり、治療を切り替えたりして大変でしたね。
りんこさん
そうですね。とくに高刺激のときは体もしんどくて大変でしたし、何度も流産・化学流産を繰り返していたので、精神的にも相当きていました。
編集部
不妊治療中、大変だったことはなんですか?
りんこさん
やはり、仕事と治療を両立させることです。頻繁に受診する必要がありましたし、急にクリニックへ行かなければならないことが多かったですね。仕事もフルタイムで忙しかったので、会社のフレックス制度を利用して検査を受けてから出社といったように、なんとか時間をやりくりしていました。
編集部
職場の人には不妊治療をしていることを話していたのですか?
りんこさん
いいえ。直属の上司には相談したのですが、それ以外の人にはほとんど話しませんでした。そのため、同じチームの人には「どうしてあの人だけフレックス制度を頻繁に使っているんだろう」と不思議に思われていただろうし、海外出張を後輩に変わってもらうときには「なんで俺が行かなくちゃいけないんだ」というような言葉も耳にしました。
編集部
周囲にも相談したら、理解してもらえたのでは?
りんこさん
たしかにそうかもしれませんが、「妊娠できない、かわいそうな人」と思われたくないという気持ちが強かったんです。心配されたり、変に気を遣われたりするのも嫌でした。仲の良い友人にも不妊治療のことをなかなか話せずにいましたが、勇気を持って話してみたら「実は私も……」と言う子もいて、その子たちと話すのはとても心の支えになりました。
編集部
不妊治療中、ほかにも励みになったことはありますか?
りんこさん
twitterで不妊治療に関する情報を集めていたのですが、そこで私と似たような境遇の人を探したり、体験談を読んで共感したりすることが、私にとってはとても大きな励みでした。講演会に出席した際、twitterでやりとりしている人と初めてリアルに会ったときは、とても心強い気持ちになりました。
編集部
不妊治療中、夫のサポートはありましたか?
りんこさん
ありました。仕事と治療の両立で本当に辛かったとき、その辛さが顔に出ていたのか「辛かったら、いつやめてもいいんだよ」って言ってくれました。
編集部
治療が実って妊娠したときは、どんな気持ちでしたか?
りんこさん
まさか妊娠すると思っていなかったので、ビックリしました。じつは最後に体外受精をおこなったとき、血液検査の数値があまり良くなかったので「手持ちの凍結胚のうち、グレードの低い卵を移植しましょう」という話が出たんです。だから、それほど期待していませんでした。妊娠が発覚してからも流産を経験していたこともあったので、嬉しいという感情より不安でいっぱいでした。
編集部
「またダメだったらどうしよう……」という不安ですね。
りんこさん
そうです。医師にも「一般的には安定期という言葉があるけれど、医学的な定義としては存在しない」とも言われていましたし、頭の中は不安でいっぱいでした。私は会社の制度を利用して休職した後に妊娠したので、一度復職して数カ月働いて再度産休に入りました。コロナ渦での妊娠だったため、幸いにもほとんど在宅勤務で済みました。ただ、産休前の最終勤務日、久しぶりに出社したとき、もうお腹が大きくなっているにもかかわらず必要以上に妊娠していることを知られたくなくて、職場から逃げるようにさっと帰宅してしまいました。
編集部
その不安は出産まで、ずっと続いたのですか?
りんこさん
はい。通常なら、ベビーグッズなどの準備をすると思うのですが、私も夫も出産するまでずっと不安で、臨月に入るまで買えませんでした。twitterを見ると、不妊治療を経て妊娠した人は「出産するまでずっと不安」と書いている人が多く、私も共感しました。
→(後編)【闘病】医療機関探しで“迷子”にならないように
※この記事はメディカルドックにて『【闘病】「出産まで安心できなかった」流産を乗り越えて、ついに不妊治療が実を結ぶ』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。