2026年度から導入予定の「子ども・子育て支援金」についてSNSでは「独身税」と称され、支援金への批判が高まっている。こども政策、少子化対策を担当する三原じゅん子内閣府特命担当大臣が「独身税」という言葉が用いられていることに対して反論、批判したが、それはSNSで「独身税」という言葉を使っている人たちに届いたのだろうか。臨床心理士の岡村美奈さんが、三原大臣の反論と、「独身税」トレンドを生み出した人々とのズレについて分析する。
【写真】巣鴨での街頭演説で、やや大ぶりなピアスで支持を訴える三原じゅん子氏
* * *「独身税と言い換えることは間違っている」と”子ども・子育て支援金制度”がSNSを中心に独身税だと批判されたことに対して、厳しい表情に鋭い視線でこう反論した三原じゅん子こども政策担当大臣。
三原大臣は「子ども・子育て支援金は全世代のものであり、独身税という言葉は独身の方だけに負担を強いることを想起させる正しくない言葉使いだ」と発言。しかし反論している人たちをはじめ、皆、これが独身の人だけに税金を強いるものと思っていない。独身者や子供がいない世帯などからすれば、メリットなど感じられない不公平な税金への皮肉なのだ。
児童手当の拡充や妊婦の支援、少子化対策の財源に徴収されるのは、1人あたり平均で月額250円から450円、保険料に上乗せされるらしい。税金なのになぜ支援金なのか。ネーミングに政府の意図を感じてしまう。支援という言葉が使われているのに国民の義務というのはちょっとおかしな感じがする。
この制度について三原大臣の言い方を真似るなら、子ども・子育て支援金という言葉は、子どもや子育て世代を支え助けたい、援助したい人たちが自発的にサポーターになることを想起させる正しくない言葉使いではないだろうか。日本において支援という表現が使われるのは、義務ではなくボランティア的な善意の意味合いが強い時がほとんど。せめて支援税にすればと思うが、反発が大きくなるのを避けたのだろうか。支援金と名付けたところからして、最初から国や政府は、国民に善意とボランティア精神を求めているように思える。
さらに三原大臣は独身税という表現が「子どもを持つ方だけでなく、社会保障を含めた社会全体を支えるものであり、全員にメリットがあることが国民に十分届いていないことによるもの」と述べた。子供は社会全体で育てるものという意見に、正面きって異論を唱える人はいない。だが独身者や子どものいない世帯、子育てが終わった世帯にとって、どんなメリットがあるというのか。ネットでも指摘されている不公平感について、三原大臣はきちんと説明をしていない。税の大原則は公平性。だが恩恵を受けられる人を限定するため”税”ではなく支援金”という名称にしたのだろうか。
税を支払うのは国民の義務だけでなく、公正感や持ちつ持たれつという感覚、納得感から払うのではないだろうか。東日本大震災からの復興に当てられている復興特別税は、2013年から2037年まで所得税に上乗せして徴収されている特別税だ。国民全員にメリットはないが、その必要性は理解されている。地震大国に住む我々にとって被災や復興は、明日は我が身かもしれないからだ。2024年からいつの間にか徴収されている森林環境税も、その目的が地球温暖化防止や国土の保全、水源の涵養であるなら、日本に住む全員に関係する。しかし子ども・子育て支援金に公平感や納得感はない。
税金の使い方にも不満や不信感は多い。こども家庭庁の2025年度の予算は7.3兆円。少子化対策はすすむどころか、出生率は減るばかり。来年から三原大臣が進める”プレコンセプションケアの推進”は、5か年計画で予算は9億5000万円。妊娠出産のアドバイザーとしてプレコンサポーターという人材を5万人養成するというが、そんなことで出生率が上がるとは思えない。独身税という批判には三原大臣がいう言葉尻の問題より、物価高での増税や税金への不公平感、政府への不信感が含まれている。
岸田文雄前首相は首相時代、自身のXに「こどもは国の宝です」と投稿していた。SNSでは度々、全国各地の学校で出される「貧相な給食」が話題だ。唐揚げ1個や餃子2個が皿の中にポツンとある給食。1食あたりのカロリーは満たしていると聞くが、食べるのは成長過程にある食べ盛りの子供たちだ。物価高騰で給食費の予算はギリギリという声も聴く。支援と名のつく税金で恩恵を受ける人が限定されるなら、結果の見えないプレコンセプションケアなどという新しい資格制度より、目の前にいる子供たちの給食費を支援してもらいたいものだ。