オウム真理教による地下鉄サリン事件から10日後の1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った。事件との関与が浮上した、オウム信者であり警視庁の現役警察官でもあったXは「警察庁長官を撃った」と証言したが、その供述はデタラメばかりで、結局不起訴となった。警視庁は捜査を続けたが、2010年3月30日、ついに時効を迎えた。一方、教団とは無関係の男・中村泰(なかむら・ひろし)は「自分が長官を撃った」と供述。関係先からは拳銃や銃弾、偽造パスポートにフロッピーディスクも発見された。
発生から30年を迎えた警察庁長官銃撃事件。入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、当時の捜査員が何を考え誰を追っていたのか、「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。
2003年7月、中村が居宅として使っていた協力者Aの別宅(三重県名張市)の捜索で、捜査員を驚かせたのは拳銃や実弾だけではなかった。見つかったフロッピーディスクには長官銃撃事件について触れた多数の叙事詩が残されていたのである。
中村の叙事詩は長官銃撃事件の実行犯の目線で綴られていた。犯人しか知り得ない話がそこにないか捜査員は注目する。何年にもわたって何度も事件について挙げていることからすれば、長官事件に相当な執着があったことに加え、自分が実行犯であることを世間に公表できないフラストレーションがあったことも伺えた。
そのフラストレーションを解消させるため、中村は詩を作ることで自分が一国の警察のトップを標的にテロを実行したテロリストであるとして慰めたようでもある。
ただ寂しいかな彼の詩には、テロリストにしては何かが足りない感が否めない。なぜなら、思想犯なら持ち合わせている犯行に至った反社会的な理論武装=思想が、中村の叙事詩から何ら伺い知ることができなかったからだ。
「事件は自分がやってのけた」と自画自賛する無邪気な中村の姿しか見いだせないのである。
まるで世のため人のために大業を成し、人々から喝采を浴びている革命戦士であるかのように自分をヒーロー化し、美化して酔いしれている男の姿が叙事詩にあった。ここに中村という男の本質があるので記していく。
1962/3WhomCalled XXよ お前は生けにえだ お前は哀れなモルモットになるのだ俺の能力を試すための 実験台に使われるのだXよ お前は償いだ お前は選ばれて処刑されるのだ俺の蒙った屈辱を お前がその血で雪ぐのだXよ お前は使い捨てだ お前は銃口の前に立つのだ俺が射的を堪能するために お前は安物の栄光を着るのだ(処刑命令が発せられたとき 未知数Xは固有名詞に置き換えられる)
1975刑事補償お前らが強奪した年月について 還付請求が付きつけられたときお前らはできるだけ知らぬ顔で通し どうしても逃げられなくなると金を払って済ませようとする それも他人から巻き上げた金でだが 俺に 関するかぎり そんなことは絶対認めはしないその補償は お前ら一族の代表者が 自分の血で支払わなければならないのだ
1995/4March 30,1995金のためでなく 名を売るためでもなく 恨みもなく だれにも強いられずただこの世のことは 今世で片を付けよ と 内なる声を迫られて戦いの場に赴いた 無名な老鎗客 墨田の河畔 春浅く そぼ降る雨に濡れし朝 静けさ常に変らねど 獲物を狙う影一つ 満を持したる時ぞ今 轟然火を吐く銃口に 抗争久し 積年の 敵の首領倒れたり
1995/6June.15,1995死の淵から這い上がって来た男が ようやく姿を現した杖をついて足をかばい 愛想よく笑顔を振りまく治安部隊26万人の 総指揮官の威厳など 見出しようもないCorsetで腰痛の発作を抑え 緩慢にTVの前に座り 黙然と映像を見つめる老いの影が漂う 小柄なその男に 凄腕と怖れられたsniper片鱗さえも見る者はいない
1995/late小言幸兵衛独り合点●●●のやつ 取り調べのときにゃ 狙撃事件はやっきになって否定して假谷事務長拉致の件だけで 四、五年ほども食らい込みムショの中では 周囲に一目置かせようとしてマスコミに名指しされていたのをいいことに 警察長官を撃った凄腕とは実は このオレだったんだ とか ハッタリをかませるんだあのろくでなしのAumの若造めが(※編集部注:●●●にはオウム信者の実名が入る)
1996/7/2予想屋「週刊現代」は●●●を名指し 「週刊ポスト」は林泰男外国人を匂わす「サンデー毎日」 そして「新潮45」ときたら本命 穴馬 いろいろ並べ立て なんとでも言い抜けようとの魂胆●●が出てくれば「現代」は失格 林が捕まれば「ポスト」は落伍その後は どうやら 「サンデー」が逃げ切りを計り「新潮」はその尻馬に乗りかかり 各誌 口をぬぐって敗者復活を目指す賭けのやり直しGoalのないraceなのにー
(※編集部注:林泰男はオウム信者の元死刑囚で地下鉄サリン事件の実行犯)
1996/11花咲か(ない)爺さん音頭さぁさ 皆さん ご用とお急ぎのない方は 寄ってらっしゃい 見てらっしゃいここは東京新名所 唄で名高い神田川の底ざらいだよ犬が何やら吠えたとて 朝から晩まで飽きもせず ヘドロにまみれて宝探しはたして お目当てのものは見つかるか それとも出るのは瓦や瀬戸欠けいやさ 不法投棄の粗大ごみ-となりゃ 狂った意地悪爺さん 憎い犬めを滅多打ち-待った待った その前にてぐすね引いてるマスコミ野郎の 袋叩きをかわさなけりゃ日頃 羽振りのいい桜田門一家 お代は取らない大盤振る舞い嫌われ者の公安(ルビ:マルコー)が しゃしゃり出まして音頭取り橋の下での馬鹿踊り アーラめでた めでたや おめでたや
1997/1/4還俗対岸から 標的(ルビ:ターゲット)の棲む館を見据えて 声には換えない独白ー「俺はお前の死神 もうすぐ迎えに行く 今日 お前の命が尽きること知っているのは この俺だけ」357Magnum hollow point弾は 的確に中心部に食い込み 炸裂したが それでもあの犠牲(ルビ:いけにえ)は 紙一枚よりも狭い隙間から 死の手を滑り抜けた魔界の番属には成り得ぬ 所詮は運命に操られるだけの 生身の証ー
1997/1/22丸岡修さんよ「公安警察ナンボのもんじゃ」 とはなかなか威勢がいいけれどでも捕まってしまってからじゃねぇ なんだか 小唄みたいに聞こえるじゃないですか本当に そう言い切れるのは ニッポン警察の長官(ルビ:ボス)に鉛弾を食らわせて幹部連中を震え上がらせたうえに 公安の総力挙げての追跡も軽(ルビ:かーる)くイナしてしまっている あの闇の狙撃者(ルビ:スナイパー)じゃあーりませんかねぇ(※編集部注:丸岡修氏は元日本赤軍メンバーで「公安警察ナンボのもんじゃ」というタイトルの著書を出版)
1997/1/25こだわって総長とか長官とか 権力を象徴する肩書は着ていても丸腰 無抵抗の年配の肉体に 容赦なくhollow point弾をぶち込み内臓をずたずたに切り裂くだけでは けっして後味のいいものではないせめては護衛の反撃を加味してGunfightという体裁に仕上げたかったけれど挑発の発砲が かえって威嚇の逆効果(松尾山の小早川とは大違い)台本では撃たれ役に指定しておいたのに 弾の風切り音に怯えた未熟な腰抜けは隠れ潜んで指一本すら挙げず 結局は 一方的な襲撃だけという形カット!
1997/5/29一九九七年三月二十五日虎ノ門パストラル 新旧警視総監歓送迎会主賓の前田新警視総監 -「・・・長官狙撃事件も解決まで あと一歩というところで・・・」呆れ顔のThe Sniper-「あと千歩も万歩もあるとおもうけどねぇ・・・」理屈っぽい男-「どうせ 縮まらないのなら 一歩でも万歩でも同じじゃないか・・・」
1997/6/22歩く看板温和な風貌の初老の紳士 その引きずっている片足からなるべく視線をそらすようにして「近ごろ お具合はいかがですか 「まだ ときどき痛みましてね(否応もなく思い起こさせられる強い警察と唱えていた当人が 護衛がいたのに射ち倒されて しかも今でも未解決)「ちんば(※)の(黒田)官兵衛」には 何がし誉れの響きもあるが「撃たれの國松」では ただの恥さらしようも 自決もせずと生き延びてくれましたどうか これからも長生きして (ニッ)ポン警(察)の恥辱の実物見本をあちらこちらで展示してくださいね 少なくとも2010年まではー(※編集部注:詩から垣間見える中村泰の本質を伝えるための掲載であり、差別的な意図はありません)
1997/10/19AcrocityAlexandre Dumasの ‘Le Conte de Monte-Cristo’なるもの つまりは復讐の物語裁判所に申し立て 冤罪を認めて貰っただけの男を当人が自称したでもないに 「日本の巌窟王」などと呼ぶは筋違い己れを捕まえて投獄した官憲に 執念の銃弾で報告した者のほうがその称号に近いはずだが-(※編集部注:銃撃事件の現場マンション名は「アクロシティ」)
1998/1/15威信桜田門に飾られていたバカでかい鏡 威容を誇る年代ものとかいわれていたが九十五年の三月に 銃弾でひび割れた すぐに修理の本部はできたがなにしろ前例もないことで ああしてはまずい こうしてもだめうろたえ とまどい 右往左往 誰かが触れたりするたびに亀裂は拡がり 破片がパラパラ どうにも手が付けられない月日はたっても みっともないのはあい変わらず 皆いい加減くたびれたなんだかやる気もなくしがち いっそ そんなものは棄てちゃって新しいのに取り換えたらー でも それをどこで見つけるの
1998/3/16鎗客殺し屋を傭うなら まずは 腕が確かで 秘密を守れるヤツ標的がVIPともなれば なおさらの必須条件そういうのを見つけたくても そんな需要が少ない土地に いるはずがないという海の向こうには そこそこいるだろうが この風変わり島国の中で外国人が手際よくやってのけられるかどうか思案のあげくに ようやく思い付いた 宮本武蔵を刺客に頼めなければ自分が柳生十兵衛にでもなればいいってこと そして そうなった
1998/5/17惜しいけれど「水戸黄門」なる連続TV dramaたいていone patternの繰り返しなのになぜか根強い人気 定番の見せ場は 小柄で温和な百姓の爺さん風情がいざ土壇場になると 突如 葵の御紋を振りかざし 居直って凄んでみせるその変身ぶり 「でもよ 最初(ルビ:はな)っからあの印籠だしゃ 手間ぁ省けるのに「それじゃあ 間が持てねぇや目立たない窓際族風の初老の男が 一転proの根性を現わし単身 治安部隊の総指揮官を 鮮やかな狙撃で射ち倒すーとくれば これは絶好の題材 しかも documentaryでもいけるとなればなおさらのこと だが このscenarioは 秘密の秘 絶対非公開ーというわけで 視聴者の皆さん 残念でした
1999/1/13Le Motifかの天才詩人 中島みゆきは 一度 恋に破れれば百編ぐらいの 失恋の歌が作れるものーと言ったそうなでは 一回だけでもVIPを狙撃すれば 百編ほどの詩ができてもいい勘定だが実際のところ せいぜい四分一 でもまあ量より質かも
1999/2/10奇襲音頭武器よし 腕よし 準備よし 作戦完璧 手落ちなしそれで あっさり はい 成功Riskもなければthrillもない これじゃ dramaにゃもの足りない アー よいよい
1999/2/13Le Monologue de Monte Cristo警察 検察 裁判官 これがまぎれもなく当面の敵したがって 警察庁長官 検事総長 最高裁判所長官 やつらこそ倒すべき標的だが肩書はともかく たまたまそのとき その椅子に坐っていただけの丸腰無抵抗の老人あるいは初老の男が 血にまみれて路上に転がるのを見れば それですむのか確かに 長官狙撃事件以降 警備は強化されただが 所詮は貧弱な火器しか持たない 戦技の上では素人同然の連中この腕の中のmachine-gunが吠えればDominoのように薙ぎ倒されるのは目に見えている-結果は大量殺戮 そして不幸の環は その周辺の五倍、十倍にも広がっていく中米で 東南Asiaで Africaで Balkanで 飽くこともなく繰り返される虐殺に暗然と対していた男が 今度は 自らそのmini版を演出しようとするのかAcrocityであのtargetは死を免れないはずだったそれがあり得ないほどの奇跡で生き残ったしかも生き延びたために かえって その衝撃は後々まで尾を曳いて敵への打撃は さらに効果的となった これは啓示と受け止められるのか所詮 詩人は悪鬼にはなり得ぬ 羅利になってはならぬと-海底20,000 lieuesを航行したNemoは復讐の大殺戮の後蹌踉として呻いた「-神よ もう十分です…」
1999/11/8組織的犯罪対策三法 改正住民基本台帳法盗聴するのはこちらの仕事 それがされる側になるとは論外犯罪収益がどうこう言ったって そもそも犯罪と認定されたら銭金よりもまず身柄のほうが危うい そうなる前に金ともども身を隠すたとえ治安当局の最高幹部でさえも人民総背番号という Fascism同様の不快な制度国家という牢獄の中で 国民という囚人どもに身上を記録して管理する それにしても 忍者には棲みにくい世となった今世紀の初めの頃 息苦しい内地を脱出して 大陸に渡る風潮があったが来世紀の初めには 刑務所日本を脱出して 南の大陸へ逃れるとするか
1999/11狙撃者警察庁長官は いわゆる名士のたぐいでもこれまでに数十人 これからも数十人撃った男は 無名 だが ただ一人 おそらく今後もー
1999/11/5駐スイス日本大使国内ではどうも肩身が狭いようで 脚を気遣いながら はるばるEuropeへその事情を知った人たちは 表向き 同情の外交辞令 裏へ回れば「Nippon警察って 無能なのかねぇ 今でも 未解決なんだって・・・ご存じ「撃たれの國松」 看板背負って 国際舞台でも 精出してー
2000/6/16忍者版 忠臣蔵雨の朝 墨田の河畔に待ち伏せて 見事 敵(ルビ:かたき)を射ち倒したがもとより 名乗りを上げるなどは 忍者の作法ではないで 誰に対しての忠義立てかって?赤穂の連中にしても 建前はともかく 本音の心情はこのまま引き下がってなるものか との 武士の意地だったのさ あら楽し思いは晴るる 身は匿す 伊賀の山月 懸かる雲なし
2000/12/24闘魂は今 米式装備を真似た 軍隊とも名乗ることもできない軍にその欠けらも残ってはいない同様に この身からも それは 失せた 代わって 取り入れたのは遠く離れてmissileを発射し 速やかに安全圏へ離脱する戦法Acrocityで その手を使い そして 相応に戦果を挙げた
2001/1/16勝ち逃げ一九九五年三月報復の銃弾が 日本警察の帽子を撃ち落とした だが 撃った相手は闇の中仕返しといっても しようがない 結局は 泥にまみれたままの泣き寝入り不毛な復讐の連鎖は 見事に断ち切られてー
2001/1/27緊急配備一時間半後 郊外のいつもの駅で下車Platformにも 連絡跨線橋にも 制服の武装警官改札口の外に立っているのは その帽子から見て 動員された機動隊員か南口は なおさらだろう 交番があるのだからだが fake(ルビ:偽造)IDを示すまでもなく 昇降客に埋もれて通り過ぎるしょぼくれた初老の男に 注目する者はいない事件の主役は 既にして Invisible man (ルビ:透明人間) 存在しながら存在しないBusに乗り継いでの帰途 窓から眺めれば 信号もない交差点の角にPolice car 佇立する警官 こんな所までーか背景に浮かぶのは 動転する警視庁幹部(ルビ:おまえらがた)の影冷ややかに一瞥くれて 胸中のmonologue(ルビ:つぶやき)「もう 俺は お前の死神じゃない 吹き過ぎる一陣の風さ」
2002/1/26viva! america言論でも法律でもなく 最後の拠り所は武力これが生涯一貫してきた我が信条 平和ぼけとか言われるこの国でこそ異端として不人気であろうとも 世界のleaderと目される国が実践よって教示している真理 国家としてだけではなく人民各自もまた 自己を守るものは 己れの力 自らの武器と我が信条と支持する存在 america万歳!u.s.a万歳!
2002/1/29自画像何かで目にした表現「東大を中退したインテリ崩れの無職の中年男 日陰者の身分で・・・」まあ これで表向きには間に合わぬこともないで 裏を返すと「15発のhollow point弾を装填したglock 19を腋の下に吊った必殺の拳銃遣い・・・」これじゃ 三文小説の こけおどし文句の引用になっちまう実際には人殺しなど好きじゃないから なるべく殺さずに目的を遂げるし滅多に射ち合いなどしない 第一平和ぼけと言われる国じゃ そのchanceもないただし 刀を錆びさせるのは武士の恥とかで 銃器の手入れは怠らないもっとも それより 常時使う車の点検のほうをしっかりやれ という声もあるが
2002/2/11矯正教育20年もの投獄は 頭でっかちで 足の浮いた 未熟な青二才を堅忍不抜の戦士にあるいは老練な秘密工作員に鍛え上げてくれた多分 この制度を創設した者たちも これほどの成果が挙げられるとは期待していなかっただろうにしかし 言葉だけでは 容易に信じられはすまい美辞麗句で飾り立てるのは 制度を運営する官僚の特技でもあるしそこで95年の春 Acrocityで その一端を実証してみせただが これは長期間にわたる 事後処理を併せて完結するもの表向きは 2010年が区切りの目安ーというわけで まだまだ 全容の公開にはほど遠いそして その間も闇中の戦いは続く
2002/2/20孤剣能く勝を制し得るや筆舌に余る迫害を受けても 敢えて力による報復には訴えず相手を寛恕する「以徳報暴」 となければこれは聖人君子の道だが それは やればできるのに 思い止まればこそのことさもなければ 単に無能無力の言い逃れやればできるのか それともいざとなれば 臆病風に吹かれて逃げるのか実際にやってみなければわからない遂行し得る能力と根性があると 自ら確かめるにはやはり行動するほかには 道がなかったのだ
2002/2/20報恩(記)底冷えのする夜 室温を17℃に調節し 風呂上がりの陶然を抱いたまま睡魔に身を委ねることに この上もない幸せを感じるのは 床の上に薄べり一枚 薄汚れた煎餅布団にくるまって 震えながら過ごした 十数回の冬があったからです和食、洋食、中華料理 それとも寿司、そば、うどん千円札にお釣りがくる程度の昼食でも その選択肢があることに十分幸福感が持てるのは 毎度々々が練り固めの麦飯と およそ最低の副菜の組み合わせ そうした給餌の類いを 数万回も食してきたからです使い古しのwagonでも 春には桜咲く山里へ 秋は紅葉映える渓谷へ一走り豊かな自然に触れられるのを 至福の時と堪能できるのは ハンドルを握るなど以ての外 塀に区切られた狭い一郭を 監視付きで日に数度往来するだけの 十数年を過ごしたからです一般人が当然に享受している 日常生活の些細なあれこれを天与の恩恵とさえ実感できるのは それらのことごとくを 長い間取り上げておいてくださった 日本官憲の方がたのお蔭です。それを「喉元過ぎれば暑さ忘れる」とばかりに捨て去って小市民的安逸に浸かったまま 無為に暮らしているだけでは忘恩の徒の謗りを免れますまいかの「八九三」と呼ばれる下賤の輩でさえ お礼参りの義理は欠かさないとかそれにも劣る恩知らずと言われては その屈辱に身の置き所もありません。そこで 心からの謝意を表すために 何か適切な贈り物をと考えたのですが世間には 神経Gasとか細菌兵器とか派手で豪奮Giftもありますものの小身者の私には分に過ぎていますので つつましく 銃弾数個にとどめましてむしろ手練な技を見ていただけるよう これを直接 代表者の方に差し上げましたもちろん秒速300メートルでですが
2002/2/24想定問答ある行為に対する批判「あのような復讐とか意趣返しに類することはすべきではなかった」反問「では もちろん 貴方の立場だったらやらなかったということですね しかし やればできるのですか」大方は「いやとても」結論「それじゃ するしないの問題以前に そもそも できないということじゃないですか」まれには「もちろんできる」結論「それはすごい 全く たいしたものです 私なんぞ 警官に護衛された最高指揮官を 単身 襲撃することなど そら恐ろしくて できそうもないと感じていたのですが 思いきって 試しにやってみたら できてしまったという次第でしてー
2002/6/2time lagバネは強く抑えられれば抑えられるほどそれだけ強く跳ね返るという法則権力者の手先どもに 長い年月 迫害されていた俺のバネは猛然と跳ね返って 奴らの首領を弾き飛ばし 地面に叩きつけただが、抑圧が弛んでから 反撃するまでに 20年近くの遅延があったのは迫害期間も また それが比例するということなのか
2002/7/18内ゲバおかげで公安の連中はτπ yにもGestapoにもならず虐殺者の汚名を着ることもなく 自分勝手に自滅してゆく奴らをせせら笑いながら秘密警察ごっこに耽ってこと足りる(だから長官を狙撃するような本ものに出合うと手も足も出ない)
2002/8/12戦闘員(戦士)装弾した弾倉を挿し込み 遊底を引いて放すとき心を占めるのは どの地物を利用し どう接近し どこで発砲し いつ退避するか憎しみは二の次だ抑圧の下 徒手空拳のとき 燃え盛っていたあの純粋な真紅の憎悪 今 残るのは その日照りだけ
2002/11/7更生刑務所の小役人どもが ここは矯正教育の場だ過去の過ちを償って 立派に立ち直れるよう われわれも手助けするとほざくその意志はなくはないにしても 実効策が伴わないから 結局は口先だけに終るで 出所者の大半は 外の世界に弾き出されて舞い戻るか路地裏を這いずって露命をつなぐか あるいは暴力団という特区に帰り着くかだ一部の者だけが 辛うじて二級市民の枠に潜り込むだが 俺は以前に数倍する力を蓄え どんな権力者であろうと欲すれば その生死を制し得る現に 治安部門の最高指揮官を この手で倒してみせたしかも こちらは全くの無傷でーだ今やloanの支払いに追われることもなく 俗人との付き合いに煩わされもせず好きな時に好きな所ー地球の裏側へでも出かけて目立たぬながらも優雅な歳月を 享受する自由を得たもっとも 権力者の番犬どもは そりゃ 立ち直り過ぎたと言うだろうが
2002/11/15狙撃者その日の朝 銃声を聞いた主婦は 窓越しに見下ろした両手で銃を構え 小雨の中 身じろぎもせずに立つ黒いcoatの男France映画の一場面のような と数十分後 通勤rushの終わりかけた電車の中の座席格別の特徴もない無表情 Suitsにnecktieの初老の男あまりにありふれて注目する者もいないその内側に漂う 昂ぶりの余韻など 見透せるはずもないから
Hopelessly戦いというものは 勝っても負けてもあくなき浪費の積み重ね 時間と労力と財貨とのーそれでも勝者には それなりの代償が得られようが 敗者にとっては全くの空費最新精鋭と称する公安刑事が数十人 十五年の泥沼の消耗戦に引きずり込まれあげくの果てに敗北に終わる宿命 惨めな終末に辿り着く 無益な抗争へ導いた愚劣な司法官どもの無責任な裁判 先ざきどんな結果になろうが
長官事件にまつわるこれらの中村叙事詩から分かることは、警察を敵として執拗に恨みを抱いていたということである。その敵の首領=トップの警察庁長官を狙ったわけだが、では警察に一体何の恨みがあったというのだろうか。
中村叙事詩ではしばしば、無期懲役刑を受け長期に服役したことを指しているのか、長期間「迫害を受けた」との記述がみられる。
しかし自分が金を欲しさに窃盗を繰り返して刑務所に服役した後、潜在的な敵意から警察官を射殺し無期懲役となり長期の服役となったわけだ。まさに自業自得の服役人生である。
それにも関わらず、「迫害」されたと訴えるのは単なる逆恨みとしか言いようもない。そうした歪んだ復讐心を持ち続けていることが、この叙事詩からも浮き彫りになった。端的に中村の動機は私怨以上の何ものでもないのではないか。
思想犯であるならば、こうした文書に歪んだものであっても政治の腐敗や社会問題、国際問題なりに対して憤懣やるかたない心情が溢れてきてしかるべきだが、中村の叙事詩にはテロリストが嘯くような自らの大義が全く見受けられない。
それが故、私怨からくる警察組織に対する単純な恨みを持ち続け、その恨みを晴らすという身勝手極まりない動機しか見えてこないのである。何とかして己をヒトカドの“志士”然とさせたいがため、詩作にふけった中村の切実さが言葉の隙間から垣間見えるのは私だけだろうか。
【秘録】警察庁長官銃撃事件51に続く【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。