吉原を舞台にした大河ドラマ『べらぼう』の影響で遊郭に注目が集まっている。
遊郭は古くは豊臣秀吉が大阪や京都に造らせたのが始まりだと言われ、江戸時代には全国に広まった。戦後の公娼制度廃止(1946年)後も赤線として存続したが、1958(昭和33)年4月の売春防止法の全面施行によって、その歴史は幕を閉じることとなる。
吉原のように風俗街となったり、珍しい例としては飛田新地のように料亭街に看板を変えて往時の雰囲気を残す場所もあるが、多くが姿を消した。YouTuber・アングラ探検家のパイナポー裏ch氏が今回潜入したのは“現役の遊郭”だ。
徳島県徳島市。四国の中でも人口は松山、高松、高知に続く4番目と少し地味な印象だ。神戸市と鳴門市を結ぶ明石海峡大橋と大鳴門橋のおかげで、大阪から車で2時間程度とアクセスはそこまで悪くない。東京からだと飛行機で1時間20分ほど。
この徳島に150年以上続く遊郭があることを皆様はご存知だろうか。
「遊郭」と聞くと「歴史の遺物」というイメージだろう。だがここ徳島には場所を変えず、形もシステムもほぼそのままで営業しているまさに「現役の遊郭」が存在するのである。
以下は実際に筆者が身をもって体験してきたレポなので、ご興味のある方はご一読いただきたい。
‘23年8月。高松から2時間ほど電車に揺られ、徳島までやってきた。観光でやってきたわけではない。自身のYouTubeチャンネル内での『青春18きっぷで行く西日本アングラ紀行』という企画で、ここ徳島にある現役の遊郭街を体験するためにやってきたのである。
徳島の風俗街と言えば、一般的には栄町エリアを指す。ソープランドが立ち並び、2万円も払えば若く麗しい美女のサービスを受けることができる。世の大多数の、普通の男ならそちらを選ぶ。だが今回、用があるのは徳島駅から見て栄町のもっと向こう側、秋田町のほうである。
この秋田町に、長い歴史を持つ現役の遊郭街が稼働しているのだ。秋田町遊郭。別名「パンパン通り」。「パンパン」とは進駐軍相手の娼婦を指す隠語である。隠語が場所の名前としてそのまま使われているのだ。
この場所は1868年から150年以上、文化が紡がれてきている地区だ。昭和20年の徳島大空襲による戦災により一時壊滅したが、戦後に「南新地」という名称で赤線地帯として復活。今に至るまで営業を続けている。一度戦災に遭ったとはいえ、令和の時代になった今でも戦前の遊郭の面影を色濃く残している。
午後22時すぎ。目的の秋田町にやってきた。ヤラカスシティホールという葬儀場が目印で、その先が秋田町という具合である。
一歩エリアに踏み込むと、異様な空気が張り詰めていることがわかる。まるで結界が張られているかのようによそ者を拒絶する空気。そもそも灯りが少なく暗いのだ。暗闇と言っていい。
その暗闇の中に扉が不自然に開いている建物が数軒あり、わずかな灯りの下に女性が座っている。軒先に女性が座っているのは大阪の飛田新地と同じだが、飛田のように積極的に客を呼び込んでいるわけではない。よくて会釈ぐらいだ。
何も言わずにこちらをじっと見つめてくる嬢や、店の前を通りかかっても目も合わせずにテレビを見ている嬢も見かける。
元遊郭らしく、筋の道幅は不自然に広い。赤線建築であろう建物も数軒見受けられる。現在店舗が連なっている筋は1本だけだが、昔は隣の筋も”ちょんの間”通りだった。店の数も全盛期には倍以上はあったのではないか。エリアを2往復したが、営業中の店は10軒ほど。20代に見える女性は少なくとも1人もいなかった。
それにしてもこの暗さと独特の雰囲気は尋常ではない。日本にはまだこんな秘境があったのだ。
有料版『FRIDAY GOLD』では、パイナポー裏ch氏が実際にお店に潜入。そこで体験した出来事の詳細について掲載している。
取材・文・撮影:パイナポー裏ch