生理による出血の遅れや量を気にはしたけど、そして、不安でいくつも病院を回ったのに、病状が明らかにならない不安。ソプラノ歌手でお笑い芸人・ミッチェルさんの現実。そして、突然、言い渡された病状。彼女の胸の内は。(全3回中の1回)
【画像】「原因がわからず病院をたらい回し」40代女性を襲った不安「ようやく判明するもステージ4bのがんと告げられて」(写真10枚)
── 現役ソプラノ歌手で、吉本芸人でもあるミッチェルさん。昨年1月に子宮体がんと宣告されたそうですが、もともと自覚症状などはあったのでしょうか。
ミッチェルさん:3年ほど前から不正出血と背中の痛みがありました。ただ、私はもともと生理が不順だったことがあって、当初は「遅れてきたのかな」と、あまり気に留めていませんでした。その後も出血量が増えていったので、産婦人科へ行きました。がんによる不正出血を疑われ、検査をしたところ、「子宮がんではありません」という診断です。
後から知ったのですが、子宮がんの検査には「子宮頸がん」と「子宮体がん」があって、私が受けたのは「子宮頸がん」の検査だけだったんです。私の知識不足もありましたが、子宮のがん検診というと、通常は「子宮頸がん」の検診で、私のほかにもそれを知らない女性は多いと思います。そのため、「子宮がんではありません」と言われ、がんではないと安心していました。
ただ、その後も出血が続いたので、別の産婦人科に行くと今度は「閉経によるホルモン分泌の乱れじゃないか」との診断でした。ホルモンの分泌を調整する薬を処方され、薬局に行くと「これ飲むと出血が増えますけど、大丈夫ですか?」と薬剤師さんに言われて、「え?」とかなり不安になりました。
そこでちょっと疑問を抱いたのですが、「お医者さんの言うことだから」と、数日は指示通り薬を飲んでいました。ただ出血が止まるわけもなく、自分の判断でその薬を飲むことはやめました。さらに泌尿器科にも行ったのですが、今度は尿管結石を疑われ、結石用の薬が処方されました。自分のなかでは「これも違うような…」という感じでしたね。ほかにも年1回の区の定期健診も受けたし、本当にあちこちのクリニックに行きましたが、原因はわからずじまいでした。
── その間、体調はいかがでしたか?仕事に影響はなかったですか?
ミッチェルさん:貧血がかなりありました。ふだんは声楽の講師をしていますが、あるとき歌を教えている最中に、ピアノを弾いていたら急にめまいがした、そのまま「バタッ」と、ピアノにつっぷしちゃって。数秒間そのままの状態だったと思います。生徒は大人の方で、私が芸人の仕事をしているのも知っていたので「ふざけて演技をしているのかな」と思ったらしいですけど(笑)。子どもの生徒さんだったらパニックになっていたかもしれないので、まだよかったですね。
その後も出血が続き、ずっと不安でした。一昨年、クリスマスコンサートに出たときは、もう大出血をしてしまって。自分でもよく倒れなかったなと思うくらいの状態でした。しかも、衣装は薄手の白いドレスです。万全の対策を取って舞台に立ちました。出番は1時間ほどでしたけど、あと少しで、ドレスに染み出てしまうところでした。
── かなり大変な状態ですが、まだ病名はわからなかったのでしょうか?
ミッチェルさん:そうなんです。2024年の年明けに行ったクリニックで、MRIを撮るように言われ、そこで初めて「子宮体がんの可能性がある」と診断されました。がんがどの程度進行しているのかを含めて、具体的な病状はわからないままでした。「うちではこれ以上詳しく見ることができないから」と先生に言われ、大病院の紹介状を書いてもらったんです。
「子宮体がんの可能性がある」といわれ、「がんだろう」というのは、自分でも覚悟はしていましたが、前向きな気持ちでいようと思って、大病院を訪れました。大病院でのお医者さんの第一声は「これはもう手術できないかもしれませんね」というもの。私はもう言葉も出ない状態でした。そのひと言で打ちのめされてしまいました。リンパへの転移もあるとのことで、「もうかなり進行していますね。ステージ4です」と先生がおっしゃって。
腫瘍科の先生ですから、毎日のようにそうした宣告はしているでしょうし、こういうシチュエーションに慣れているのでしょう。でも、私はものすごいショックで。淡々と告げられ、患者の気持ちをないがしろにしているように感じられたんです。言葉でめった刺しにされた気分で、生きる気力を失うほどでした。
── それはつらいですよね。
ミッチェルさん:うちは母子家庭で、その日は母の誕生日でした。クラシック音楽の道へ進む私を母はずっと支えてくれて、ふたりで一緒に頑張ってきました。その母の誕生日に、がんと診断されたことを伝えていいのだろうか、とすごく悩みました。でも、私が病院に行ったのは知っているから、母から何度も着信があって。母に泣いている様子を知られたくなくて「ステージ4と告知されたよ」と、毅然と伝えました。ただ、「手術ができない(状態)かも」と言われたことは、このときは伏せています。
今後について話すため、翌日も病院へ向かいました。そうしたら先生が初日と違い、この日は「手術はできます」と言い出したんです。ただ「手術後に抗がん剤投与をするため、半年間は仕事ができない」とのことでした。
クラシック音楽にしても芸人にしてもそうですが、やりたい人はゴマンといる世界で、長く休めばいままで培ってきたポジションをゼロにすることになります。とくにオペラは1日、2日練習しないだけで勘を取り戻すのが大変と言われていて、半年間、何もしないなんてとんでもない話です。「できるだけ手術をしない方法はないでしょうか?」と、先生にお聞きしたら「そうしたら、来年はどうなってるかわかりませんね」と、言い放たれてしまいました。どうしても先生への不信感が拭えませんでした。結局、セカンドオピニオンを受けるため、別の病院を訪れることにしました。
── セカンドオピニオンの病院ではどんな診断がされたのでしょう?
ミッチェルさん:「ステージ4b」という診断は同じでした。ただ、セカンドオピニオンの先生はまず、「あなたの病状だと、手術と抗がん剤で大丈夫ですよ」と言ってくださって、その言葉で救われました。「手術をしても5年生存率は20%です。だけど、この20%になればいいんです」と、後の主治医で執刀医の先生が言ってくださったんです。同じ病気でも、こうも対応が違うものなのかと驚きでした。
じつはこの病院には以前かかったことがありました。私はかつて結婚していた時期があり、子どもを授かっています。でも、流産してしまって、そのときお世話になった病院でした。今回入院したのもたまたま同じ病棟で、いろいろなことがフラッシュバックしてきましたね。赤ちゃんを見るとうらやましいなと感じたり、ご夫婦で仲よくされている姿を見ると、私は一体どこで人生を間違えたんだろうと思ってしまうんです。
でも、やっぱりこれは自分が選んだ人生で、後悔はしていません。病院を転々としたのも、いまとなっては笑い話です。そういう意味では、お笑いをはじめてよかったなと思います。何かおかしなことがあると、コントに見えてしまうんですよね(笑)。これ「ネタになるな」と思えるし、いろいろなことがラッキーだと思えるようになるからです。いまも病気は抱えたままだけれど、前向きに生きていこうと思っています。

手術後に抗がん剤治療をスタートしたミッチェルさんでしたが、酷い副反応から歌手の仕事を休まざるをえなくなります。「これは自分の人生観と違う」、そう思ったミッチェルさんは抗がん剤治療を1回でやめ、仕事に生きる決意をしたのでした。今でもその決断に後悔はないそうです。
PROFILE ミッチェルさん
みっちぇる。1978年7月1日生まれ、千葉県出身。吉本興業東京NSC25期。桐朋学園大学卒業。声楽講師。学校公演700校以上。小澤征爾音楽塾にて塾生としてオペラ出演。出演歴は『火曜は全力!華大さんと千鳥くん』『いろはに千鳥』『かまいったーTV』『マクドナルド公式Twitter』『TOYOTA』など。
取材・文/小野寺悦子 写真提供/吉本興業